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(230731)ぬけがらの体だけ砂に残し この胸は波間へ旅立つ 暁にシュプールを 描くように

2023年7月29日(土)
今週は三四郎ANNも霜降り明星ANNも神回だった。
三四郎は、花火大会からの流れであややの『GOOD BYE夏男』がジングル起用されたり誤情報を送るリスナーに制裁を加えたりとにかくごちゃごちゃしていて最近の三四郎ANNの中で一番の三四郎らしさだった。
霜降りは粗品が『逆のもの』をいう流れの中で『結婚の逆は?』『離婚ですね。』(中略)『結婚式の逆ってあるんですか?』『あの…12時間ぐらいの話し合いですね。』と粗品の離婚に言及する流れがありここ最近のラジオで一番笑った。

ラジオを聞きながら自由が丘に行った。
新卒の時に働いていた会社で仲良くしていた一歳年上のお姉さんとお互いが会社を辞めても連絡を取り合っていたのだが、数年前に僕のLINEが消えて連絡が途絶えていた。
人生の目標がありそれに向かってひたすら生きていた人だったのでその後が気になっていた中で、ひょんなことから再度また連絡が取れて会うこととなった。なぜか自由が丘を指定され、ベーグルを食べてアイスを食べて、かき氷を食べた。食べ慣れないものばかり。
自由が丘に居る人々はなんとなく機嫌が良さそうで、確かにこういう街には住みたいなと思った。

お姉さんは紆余曲折あり目標を達成できなかったが、今は目標をマイナーチェンジしてそちらに向かって頑張っていた。
方向性が変わり、なんとなく昔あったこわばった部分というか、その目標が本当に正しいのかわからないけどとりあえず突き進むしかないという印象が薄れていて少し安心した。
お姉さんはFF14というオンラインゲームで知り合った相手と長い曲がりくねった道を経て結婚し、その後さらに長く曲がりくねった道を経て離婚していた。
そして今またFF14経由で知り合った人と結婚しようとしている。

話を聞いていると、オンラインゲームがこんなにも世界を拡張させるのかと感心した。
30代になってから自分の中にある、それとない閉塞感とかそういうものって、人生の拡張性のなさから生まれたものなのではないかと気づかされた。
最近すごく思うのが、世界は自分が属していて、見えていて、見ているもののことだと感じがちだけれど、実際は自分が属していなくて、見えていなくて、見ていない部分の方が世界なのだと思う。
その部分を見ることによって、感じることによって得られる拡張性こそが世界という概念の本質だと思う。
話を聞いているうちにすっかりほだされてしまって、家に帰ってFF14を登録した。
挫折する予感しかしない。

自由が丘で入った飲食店のトイレに、『VEGAN』と彫ってあって物凄く自由が丘を感じた。


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