ピアノ狂騒曲’23

七歳の長女が「ピアノを習いたい」と唐突に言い出したのは、ちょうど三年前の秋のことだった。
長女は赤ちゃんの頃から音感がよく、保育園で覚えた童謡の音程を外さない人だったので、いつか言い出すだろうとは思っていたが、それにしてもピアノか……と私は暗澹たる思いで長女のピアノ宣言を受け止めた。
後述するが、私はつい最近までピアノが嫌いだった。子供を通じてピアノに関わるのが億劫だった。
それでも長女がピアノを習い続けているのは、本人の熱意によるところが大きい。

長女が通っていた保育園には、保育時間中に外部の講師がピアノを教えてくれるオプションがあり、申込して月謝を払えば、園児は誰でも(年少以上なら)レッスンを受けることができた。
毎年春になると、年少・年中・年長のクラスでは、ピアノ教室の生徒募集のチラシが配られて、新しくピアノを習い始める子をちらほら見かけるようになる。
長女が年少になった春も、お友達の何人かはピアノを習い始めていた。しかし、早生まれで三歳になったばかりの長女にはまだ早かろうと、当時の私は完全に他人事だった。そもそもピアノを拒絶していたので、ピアノを習うという選択肢が頭になかった。「ピアノやりたい?」と長女に聞くことすらしなかった。
今思えば申し訳ないことだが、音楽好きの長女は、レッスンを受けるお友達の姿を見て、「いいなあ」と思っていたらしい。
そしてその「いいなあ」は、先にピアノを習っていたお友達に「一緒にやろうよ」と誘われたとき、最高潮に達したらしい。

そこからの長女の行動は早かった。ピアノレッスンに乱入し、「今からピアノやる!」と声高らかに宣言した。
慌てたのは周囲の大人たちで、それまで一言も「ピアノやりたい」と言わなかった長女の豹変に、ピアノ講師も担任保育士もずいぶん驚いたようだった。
その日のうちに担任保育士から「実は長女ちゃんが……」と経緯を説明され、ピアノ講師から「ちょうど来週から十月のレッスンが始まるので、もしよかったら……」と電話が入り、大急ぎで夫と相談してピアノを習うことに決めた。
かくして長女のピアノ宣言は早々に実現する運びとなった。展開が早すぎて悩む暇がなかったが、悩んでいたら「やっぱり嫌だ」となっていた気もするから、これで良かったのだと思う。

そんなふうに始まった長女のピアノ生活も、この秋で丸三年が過ぎた。
毎日きちんと練習する姿を見ていると、このまましばらくは続けていくのだろう。そう簡単に縁は切れそうにない。
そしてそれを見込んだ今夏、私と夫は重い腰を上げて腹をくくることにした。
アップライトピアノを家に置くのだ。

夫の実家に、埃をかぶった古いアップライトピアノがある。昭和末期、バブル華やかなりし頃に作られたヤマハUX3。X型の支柱が特徴の上位モデル、かつては人気の品だったようだが、現在は製造されていないという。
もともとは義姉が使っていたピアノで、若き日の義母が気張って購入したものだった。
長い間(三十年以上)弾き手が現れなかったピアノを、帰省のたびに長女や長男が弾くと、義母は目を細めて喜んでくれた。
あのアップライトピアノを、修理して調律して運搬して、どうにか我が家に持って来れないだろうか?

結論から言えば、ヤマハUX3は無事に我が家にやって来た。
孫が二人も弾くならと、義母はピアノのクリーニングを二つ返事で引き受けてくれた。
そう、長男までピアノを始めたのだ。長女同様に、長男もある日突然「ピアノやる」と言い出して、一年以上続いている。

アップライトピアノの豊かな音色が家中に響き渡るのを聞いていると、たった数年でずいぶん遠くまで来たように思う。
長女がピアノを習い始めたばかりの三年前は、おもちゃのキーボードで弾いていた。何しろ寝耳に水のピアノ宣言だったため、我が家にはピアノもキーボードもなかった。
前年のクリスマスプレゼントにサンタクロースからもらったアンパンマンキーボードで、長女は熱心に練習した。
すぐには辞めなさそうだと判断して、数ヶ月後に電子ピアノを購入した。電子ピアノは家電なので、寿命は十数年ということは調べて知ったが、十年も続けば御の字だと思っていた。しかしその見通しはかなり甘かった。
長女がピアノを習い始めて二年が過ぎた頃、「先生の家のピアノや、発表会のピアノ(どちらもグランドピアノ)は、重くて弾きづらい」とこぼすようになったからだ。

これはまずい、とすぐに思った。
ピアノは打楽器だが、電子ピアノは電子機器である。どれだけ電子ピアノで練習しても、ピアノの練習にはならない。上手くなればなるほど、その違いは顕著に表れてくる。
夫の実家のアップライトピアノを譲ってもらえないだろうかと、具体的に考え始めたのはこの頃だった。

アップライトピアノが家に来ても、電子ピアノに慣れた長女は「鍵盤が重いから電子ピアノで弾きたい」と敬遠していた。どうなるかと気を揉んだが、毎日練習を続けるうちに慣れたらしい。今はアップライトピアノばかり弾きたがり、電子ピアノには触ろうともしなくなった。
長男は最初から、「こっち(アップライトピアノ)のほうが楽しい」と言って、力強く弾き続けている。

七歳の長女と五歳の長男がピアノを弾き、一歳の次男までもがピアノで遊ぶ我が家は、傍から見ればピアノ一家に見えるのかもしれないが、私はなるべく子供のピアノに期待をしないようにしている。
ピアノに限らず、子供の習い事も勉強も育児そのものも、あまり先のことは考えないようにしている。
私自身が、親と指導者からの過剰な期待に応えられない子供だったからだ。

三十年ほど前の私も、今の長女のようにピアノを習う小学生だった。
最初はピアノが好きだった。小学一年生の頃、はじめに習った講師は優しい人で、レッスンに行くのが楽しみだった。
潮目が変わったのは、母の意向でピアノ講師を変えてからだ。
親戚が習っていたピアノ講師の腕がよいと聞き、何を思ったのか、母は私をその講師のレッスンに入れた。ただ、残念なことに、私と新しいピアノ講師はまるで気が合わなかった。
新しいピアノ講師は厳しかった。気に入らないことがあると徹底的に怒鳴りつける癖があった。
もうほとんど覚えていないが、ピアノ講師の家の少女趣味な内装と、その内装に不釣り合いな金切り声だけははっきりと思い出せる。

私のピアノを怒鳴りつけるのは講師だけではなかった。母もそうだった。
母自身は弾けもしないピアノに何かと口を出して、そこがダメ、あそこがダメ、と頻繁に文句を言ってきた。
レッスンで講師に、自宅で母に、徹底的にダメ出しをされて、私は練習をしなくなった。練習しないからますます怒られて、逃げ出したのは一度や二度ではない。
呆れて嘆いて怒った母が、ピアノを辞めると講師に告げるまで、数年はかかったと思う。楽しく弾いていたはずのピアノを嫌いになるには十分な時間だった。

それから二十年以上、私はピアノが嫌いだった。そう思い込んでいた。しかし、よくよく考えてみれば、嫌いなのは母とピアノ講師だけだった。
ピアノを習い始めた頃の長女に、お手本として何曲か弾いたとき、長女や夫は「ピアノが弾けるなんてすごいね」と尊敬の眼差しを向けてきた。
少し弾くだけで怒鳴りつけられていた記憶がいまだに鮮明にあるので、拙い演奏を褒められたことに驚いた。その後、「褒められていたら、私はもっと練習したのでは?」と考えた。そして、ピアノは別に嫌いではないことに思い至った。これは大きな収穫だった。

長女のピアノ練習に付き合うことは、私自身の子供時代と向き合うことでもあった。
楽譜が読めない幼児に、練習をしない小学生に、怒鳴りつけたくなる気持ちもわかるが、母とピアノ講師のやり方は私には合わなかった。
というか、音大を目指してコンクールに出るような生徒の指導をする講師と、好き勝手に楽しくピアノを弾きたい私の相性がいいはずがなかった。
そこはつくづく母の判断ミスというか、「我が子にピアノを弾かせたい」という欲望を制御できなかったのだろう。

子供の習い事なんて、「楽しい」や「やりたい」があれば百点満点だと思う。長女や長男が教わるピアノ講師は優しい人で、二人は怯えることも怖がることもなく練習している。
かつての私のように怒鳴られることなく、子供たちがピアノを嫌いになることもなく、楽しく続けられているなら何よりだ。

アンパンマンのキーボードでドレミを弾いていた長女は、少しずつ少しずつ上達していき、ブルクミュラーを練習する小学二年生になった。
本人は「コンクールに出たい!」と言って、早々にアラベスクもタランテラも弾きこなしたが、素人目には長女の力量はまあ普通なので、もしも出場するなら叩きのめされてくればいいと思うし、コンクールなど考えもしなかった私の子供が出場を望むのは面白い偶然だとも思う。

いつか出場するときが来たら、私は母のように長女の演奏にダメ出しをしてしまうかもしれない。
そうならないように、今から心しておかねばならない。
そのために、ピアノに関するあれこれを、こうして書いて残しておこうと思う。

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