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関係ない話(やきっぺ)

東洋水産の「やきそば弁当」が道民のソウルフードだという意見に異論はない。しかし、忘れてはいないか。袋に入ったアンチキショウ、「やきっぺ」のことを。
 
「焼そばやきっぺ」は「やきそば弁当」と同じ東洋水産株式会社から発売されている袋入りインスタント焼きそばだ。小樽工場が生産拠点で、理由ははっきりわからないが、道外にはあまり流通していない。液体ソースの小袋とふりかけが付いている。仕上げのふりかけに入っている紅生姜がアクセントだ。
 
やきそば弁当は1975年9月発売開始。私と同じおとめ座だ(たぶん)。一方、やきっぺは1977年発売開始。巳年生まれ。私より1年先輩で、やき弁さんの2個下ということになる。(意外にお若いんですね)
 
私は帯広畜産大学の学生寮(碧雲寮)で20世紀末から21世紀初頭にかけての9年間を過ごした。当時、寮には一般社会、大学とも軸を異にする時間が流れており、内部に独自の生態系や経済圏が形成されていた。(若干盛ってます)
 
当時、「やきっぺ」は寮生の主食に準ずる存在として、またある意味通貨に準ずる存在として寮内に流通していた。代返なら2個、過去問なら3個、レポートなら10個(難易度により変動)といった具合だ。
 
リニューアルを経ているそうなので、当時と若干数字が違うかもしれないが、現行製品は1個あたり482kcalで食塩相当量4.1g。これを1食あたり2個づつ食べていた。(きわめて不健康だ)
 
当時、やきっぺは会計室(事務室)で2個150円で売られていた。焼き弁も売られていたのだが、こちらは1個150円した。すなわち、多くの寮生にとって、やきそば弁当は年に1度か2度のごちそうだ。(一寸言い過ぎだ)焼き弁の容器は捨てずに洗って、小物入れとして大事に使ったものだ。(私の場合です)
 
量販店で週末に箱買いしてくる寮生もいた(車を持っている寮生)。安売りの幸運にあたれば、単価60円程度で入手できた。これを車を持たない寮生に1個70円で売る、という錬金術が一時流行った。
 
ところで、私はこのやきっぺを10個単位で作る技術を持っていた。私だけではなく寮生の多くが、巧拙はあれどその技術を習得していた。夜中に腹が減った時、その場にいる全員分を大鍋で一度に作るのだ。(コンビニが今ほどない時代だ)
 
一度やっていただけるとわかるのだが(やらないと思いますが)、インスタントの袋焼きそばを一度に10個作るのはかなり難しい。水量は単純に個数倍してもダメだ。茹で加減も余熱をみてアルデンテから仕上げなければ伸びてしまう。早まれば生煮えだ。ソースを工夫して入れないと味が均一にならない。
 
我がブロック(寮での生活単位のこと)に代々伝わる「やきっぺ大量調理」の技術を完成の域に導いたのは、何を隠そう1997~98年頃の私である。(テストには出ないよ)
4年目会(飲み会のことです)の「やきっぺ大会」(調理技術を競う寮内イベント)で他ブロックのライバル達としのぎを削った。
 
1998年の決勝では1Nはマヨネーズを使った(反則スレスレの行為だ)。3Sはカレー粉を隠し味に入れた(その後、ドーピングとして禁止された)。5Nはソーセージを添えて、なりふり構わず勝ちに来た。4Sはそもそもやる気がないから不参加である。
 
我が2Nは調理場に転がっていたキャベツを刻んで少量添えたが、それ以外は全くナチュラル、ノーギアで臨んだ。やきっぺは麺料理だ。あくまで麺のうまさ、茹で加減で勝負すべきなのだ。(海原雄山的発想)
 
結果は…
圧倒的優勝ッ! 4年目(留年している人を含む入学4年目の人の総称)の箸が…止まらないッ!
 
我が人生最高の瞬間のひとつである。
 
「結局、シンプルが一番ウマい」と審査委員長(コンノさん)が講評した。副賞のビッグマン(4L)が授与された。(その場で飲まされる)
 
卒業してから「やきっぺ」を食べる頻度はめっきり減った。食うなら「やきそば弁当」のがウマい。基本、お湯を注ぐだけでいいし、洗い物も出ない。スープがついてくるのが嬉しい。キャベツと肉?みたいな具がディフォルトで入っている。それに比べりゃ、やきっぺなんて作るのが面倒だし、味も単調だ。
 
今、私は一定の社会的成功を得、かつては高根の花だったやきそば弁当すら、好きなだけ買うことができる(安売りの時に)。物価高が叫ばれている昨今ではあるが、焼き弁の1つや2つなんとかしてみせるのが男の甲斐性だ。最近、味のバリエーションも豊富だから連食しても飽きることはない。しかしー
 
スーパーで安売りしている「アンチキショウ」を見ると足が止まる。「実際、そこまで美味くないよ、体にも悪いし」理性はそう制するのだが、伸びる手を止めることはできない。しかし、さすがに箱買い(30個入)はきびしい。5個入りパックで勘弁してもらっている。
(事実に基づき構成)
 
同部屋のヤマダさんはホンコンやきそば派だった。彼よりもウマくホンコンやきそばを作る者を誰も知らない。

(2023年2月9日にツイート)

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