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野球文献史<1>『職業野球』(昭和11年~*)

 プロ野球の先駆者・河野安通志が昭和10年に新聞紙上で連載した、日本初の野球書評&書誌学である『野球文献史』。同氏をオマージュし、85年の時を経てここに復活。

日本初のプロ野球専門誌

 野球を専門とした初めての雑誌は明治41年11月創刊の『月刊ベースボール』(野球研究会)だか、プロ野球では昭和11年12月創刊の『職業野球』(近代スポーツ社)が初となる。栄えある創刊号の表紙を飾るのは、日本職業野球連盟旗のデザインと東京巨人軍のスター・澤村榮治。

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『職業野球』
昭和11年12月(筆者蔵)

 内容は洲崎大東京球場で開催される第2次東京リーグ戦(11月29日~12月7日)の試合日程と展望、各チームの陣容や評価だ。それぞれ「最も有望な巨人軍」「强打を誇るタイガース」「稍々好調のセネタース」「稍々疲勞の名古屋軍」「意氣軒昂の金鯱軍」「面目一新せる大東京軍」との評。

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 去る九月の甲子園に於ける第一次リーグ戰によって、秋のシーズンを開幕した職業野球戰は、名古屋、寶塚の兩優勝戰から、第一次東京リーグ戰、第二次甲子園リーグ戰を經ていよいよ十一月二十九日から東都に於ける第二次リーグ戰、即ち本年の最後を飾る一大快戰が便利の極めていゝ市内は洲崎、市營バスを利用すれば洲崎終點、市電ならば洲崎行の東陽公園前下車の新設大東京所屬球場で決行される。
 結成未だ一年に滿たないのにも拘らず、巨人軍を始めセネタース、大東京、名古屋、金鯱、阪急、タイガースの七テイームが、各地に於いて示した精神と技術とは、早くもわが球界從來の水準線を突破し、着々と斯界の最髙峰を目ざして進軍をつゞけてゐる。その有樣は正にわが球界に於ける一大壯觀である。而も甲子園、名古屋、寶塚、東京と轉戰、シーズンが漸く深まるに連れて、各テーイムとも次第に好調の波に乘らうとしてゐる時、行はれる東都最後のリーグ戰こそは、日本職業野球軍が第一年の收穫を具眼のフアンに示す絕好のチヤンスである。

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第2次大阪リーグ戦の招待券
昭和11年11月(筆者蔵)

第1次大阪リーグ戦では澤村榮治が初の無安打無得点試合を達成

『近代スポーツ社』と小泉葵南

 発行は近代スポーツ社、編集兼発行者は小泉三郎とある。これは新聞記者を経て、後に雑誌『野球界』の主幹も務めた小泉葵南の本名である。大正期には盛んに野球の指南書を著しており、昭和10年代後期にはプロ野球団の設立を計画。実際に選手を集めて合宿させ、月給も渡していた(実際は味噌などを物納)というから、これは幻のプロ野球団と言えるかも知れない。

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小泉葵南著『ベースボールルールの詳解』
昭和5年9月(筆者蔵)

 近代スポーツ社は現在の選手名鑑にあたる『日本野球登録新メンバー』も発行し、球場内外の売店で販売した。

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『日本野球登録新メンバー』
昭和16年(筆者蔵)

 本誌の廃刊時期は不明だが、昭和30年代に同名の発行元『近代スポーツ社』がプロレス、特に力道山にフォーカスしたスポーツ誌『RIKI』を刊行していた。

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『RIKI』
昭和32年3月(個人蔵)

 戦後まもなく、空前の野球ブームにより野球雑誌が全国で多数創刊された。その大半は短命に終わったが、逐次刊行物としての即時性、地方のものは地域性があり、今や貴重な情報源となっている。

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【執筆】
萬象アカネ
【参考/協力】
プロ野球誕生前夜』東田一朔/東海大学出版会(平成元年)
【履歴】
公開:2020年5月17日
更新:2020年6月3日

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