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「ピアフェス2023」を観覧して

不思議なイベントだった。

「ピアフェス2023」。2003年に閉店したショッピングセンター(SC)を回顧するイベントだ。会場には当時の写真や関係者のコメントのパネル展示、建物ミニチュア模型などのディスプレイの他、主催者らによるステージイベントなど相当にマニアックな内容だ。

会場の様子

しかし、会場には老若男女、幅広い世代がひしめいていた。主催者も想定外だったのではないかと思わせるほどの賑わいだった。

ピアとは何か。

福井にはイオンがない。正確には、イオン系のウェルシア薬局はあるし、敦賀以西にはミニストップもある。ただ、SC型の謂わゆる「イオン」が無い。

過去には、イオンの前身のジャスコがあった。しかし、福井県民はその商業施設をジャスコではなく、「ピア」と呼んでいた。

今回のイベントで知ったのだが、「ピア」は1977年11月にオープンし、県内のSCの先駆け的な存在だったようだ。

その「ピア」において、ジャスコはあくまで1テナントに過ぎなかった。他には、おもちゃの「オカ」や服飾の「ミスターベン」など地場の商店のほか、ミスドなども入居していた。

商業施設には珍しく、スイミングスクールもあった。私自身もここで泳ぎを習いに毎週通っていた。

1階には焼きそばやソフトクリームを売るお店「もくもく」があり、水泳帰りにソースの匂いに食欲を刺激されながら、帰りのバスに乗り込んでいたことを思い出す。

その向かいにあったゲームセンターの軒先にはポップコーンの機械もあり、それもまた芳しい香りを漂わせていた。

館内マップ

福井方式

さて、ピアが開店した1970〜1980年頃、全国ではダイエーなどの巨大資本による大規模店舗の出店構成が強まっていたという。

それを見ていた福井県内の事業者は先手を打った。組合を形成し、立地に適した土地を先んじて抑えていった。そして、自分たちが入居することを前提に、大手資本に組むのか組まないのかを迫る方法を採った。

それにより、一方的に大手に潰されるのではなく、共存していくことを選んだ。

福井が全国に先駆けて実行したことで「福井方式」と呼ばれるようになったという。

今回のイベントではパネルディスカッションが催された。当時を知るパネラーから、おもちゃの「オカ」の代表であり、組合の理事長だった岡氏が強いリーダーシップを発揮したというエピソードの紹介があった。

多様な主体が参加する組合の形で、他県でも例を見ない取り組みを進めるのは相当に骨が折れる仕事に思える。明確なビジョンを描いて、皆を率いたのでは無いか。

おもちゃ店の代表でもある岡氏は、相当に人間的な魅力のある方であったのではないかと、妄想を膨らませた。

子供ファースト

(パネルディスカッションでも話題になっていたが、)慧眼だったのは、子供をターゲットとした施策を講じ、「ピア」が「子供が行きたい場所」になるような戦略を採っていたことだと思う。

私自身、水泳以外で「ピア」に行くのは本当に楽しみだった。特に、ガンダムが好きだった私は、オカでガンダムのプラモデルを眺めたり、カードダスに興じたりしていた。

最上階の催事場ではミニ四駆の大会が開催されていたりして、子供達が遊べる仕掛けがたくさんあった。

また、エスカレータ下にあった「ピノキオ」で真っ青なアイスを食べるのが結構楽しみだった。(あれは何の味だったのか記憶が定かで無い。ただ、舌が真っ青になっていたのは覚えている。)

そして何より記憶に鮮明なのは、クリスマスのイベントだ。開店直後に子供一人一人にお菓子袋が配られる。それを目当てに、毎年長蛇の列ができていた。

ただのお菓子袋では無いのだ。袋にはくじが付いていて、運が良ければスーパーファミコンなどのおもちゃが当たった。

私自身、それほど高価な商品は当選しなかったが、ボードゲームの「人生ゲーム」が当たり、お正月に親戚と興じたことも思い出だ。

こういった子供時代の記憶は結構鮮明に覚えている。

当時の、「ピア」の戦略にどハマりだったのだろうと思う。

今日のパネラーの方からは、「子供向けの取り組みを重視していた。子供がくれば、両親や祖父母もついてくる。そうすれば買い物だけでなく食事もしてくれる。」といった趣旨の発言があった。

我が家は典型的な想定ユーザーだったことだろう。

売り上げが賑わいを生む

パネラーの言葉で印象的だったのは「売り上げが賑わいを生む」ということ。

先述した、子供向けのイベントも組合全体で売り上げがあってこそ、開催経費を捻出できる。

それが落ち込めば、魅力的なイベントも開催できないわけで、負のスパイラルに入っていくということであろう。

残念ながら、2003年に「ピア」は閉店したが、同時期に開店した「ベル」や「ピア」の後継とも言える「エルパ」は今も営業を続けているし、側から見るとまだまだ活気を保っているように思える。

ただ、関係者のニュアンスからは、苦境に立たされている様子を見聞きする。ECによる影響が相当に大きいようで、コロナがそれに拍車をかけた模様だ。

北陸新幹線福井・敦賀開業を控え、福井駅前の振興も、ディスカッションテーマになっていたが、他人のことまで考えられないといったのが本音ではないか。

SC各店の活性化のために、どのような方策を取るべきか関係者で検討が進められているという。

思い出となる場所

冒頭述べたことに戻るが、このイベントにこれだけの人が集まるとは思っていなかった。

私自身は、小学校を通じて水泳を習いに通っていたし、思い入れも強かったことから、クラウドファンディングにも寄付をしており、開催日は現地に赴こうと決めていた。

今日(5/14)、これだけの人を集めたのは、「ピア」がそれぞれの記憶に強く残る場だったということであろう。

子供の私にとって「ピア」は、習い事の場であるとともに、休日にはおもちゃやゲームのため行きたくてたまらない「ハレ」の場であった。

そのような個々の思い出が「ピア」の2文字には張り付いていて、ノスタルジーに駆られて来場するひとも多かったのではないか。

そういった意味では、子供ファーストは効果的な戦略だ。

子供のうちに強力な愛着を醸成し、成長して子育て世代になった時、それがその子供世代に引き継がれていく。

ピアは1世代相当の期間でその検証には心許ないが、一方で、今も続くベルは1980年開店。43年を経過して今も営業を続けられているのは、少なからずそのような循環が生まれているのではないか。

もちろんテナントの循環も進められており、ベルにも無印良品が入居し、今のニーズにアジャストしているように思える。私自身もよく利用している。

大手との共存により、生存していく戦略を展開する「福井らしさ」が今も息づいている。


最後に。一番ツボだったのは、お茶の専門店「大三」のほうじ茶の焙煎機があったこと。実行委員の方が紹介して気付いたが、懐かしい香りが脳内再生された。ああ、これも「ピア」だ。香りも記憶を呼び覚ますことを強く感じた。

焙煎機