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求めているもの

「ヨーロッパの森の奥で、晴耕雨読す。」

これは私の小学生の頃からの夢である。
一体、何の話だろうかと思うかもしれない。
いや、私は思うのである。
何がどうしたらこんなことを思ってしまうような子が育つのか。
むむ、なかなかに難解である。

我が家には家訓はある。
が、それ以上に私の精神に焼き付いている父の教えいや生き様は
「良いことをしなさい。そして、面白いことをしなさい。」
である。
父ははっきりとは語らなかった。
あるいはそんな暇さえも父親としての器用さも持ち合わせていなかった。
しかしながら、私はその背中姿から強く、強く感じ取ったのである。

そんな父の原動力は何なんだろうか。
私は強い疑問に駆られ、父の離散的な言葉に耳を傾け続けた。
かたわら、自分自身も己の生をまっとうし続けた。
それで見えてきたのは、「ノブレスオブリージュ」である。
日本語に起こせば、「高貴なるものの義務」といった具合である。

はっきり言って、これに尽きるのである。
すなわち、それが美しいから、己の美学に当てはまるから私たちはひたむきに生き続けることができるのである。

が、しかしである。
私にはまだ、それだけで歩み続けることはできなかった。
正当な感謝も施されない、その孤独な道を歩み続けられるほどまだ大人になれていなかったのである。

そうこうしているうちに、うつ病になってしまった。
翌る日も翌る日も、どんよりしていて何にも手がつけられない。
できるだけ意識を持ちたくないがゆえに、布団の中にうづくまる。
自分から孤独の檻に閉じこもろうとしてしまう。

壊れてしまってからでは、ダメなんだ。
もう遅い。
伸び切ってしまったバネは元には戻らない。
私は、壊れしまった人の方がよく知っている。
そうならずに済んだ幸福な人たち。
あなた方を排斥はしないが、もしあなた方が壊れしまった人のことを軽んずるなら、なかったことししようとするなら、私はそれを放っておく優しさを持ち合わせていない。

私は、安心が欲しかったのかもしれない。
誰も傷付かず、誰も痛みに苦しまない、そういう理想郷を、平凡な幸せを追い求めていた。
クリエイティビティに富んだ、面白い世界というのは実に楽しい。
ワクワクする。
でも、心のどこかで私は、そんなことどうでもいいと思っている。

ほんの数瞬の安心を追い求めて今日も私は、死からの逃避を続けている。

鮑叔館 陽円


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