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えん【詩作品】5

縁は異なもの味なもの。



縁はさまざまの人を結びつけ、
また離し去ることを繰り返す。

磯に寄せる波のように、淡々と繰り返す。

波が高く、荒ぶることも
低く、静かなこともあるように、
人との出会いもまた、
激情を伴う出会いも、
穏やかな出会いもある。

人の思惑とは関係のない、
日々寄せては返す波のように、
人と人との縁もまた、寄せては返すのみなのか。

合縁奇縁あいえんきえん

男女の縁の始まりは、
時として、
次の世代、そのまた次の世代へと続く縁の始まり。

代を重ねるごとに、大きく広がって行く。

天の計らいによって出会いがあるように、
天の計らいによって分かれることもある。

出会うべき人には、
かならず出会うものと言う。

縁がある者同士は、
間違いなく相手のところにたどり着く。

縁がなければ出会えない。

どのような出会いであっても、それは、
縁なのである。

そして、どのように惹かれ合おうと、
互いの、次の縁によって、
その縁が切れることもある。

どんなにあらがおうとも、
縁によって、縁が切れる。

すべては『良縁』である。


なぜなら良し悪しは、人が決めるものではなく、
天が必要と見なせば生まれ、続く。
不要と見なせば、離れていく。

つながるも縁、
切れるも縁。

相手への、どのような思いがあろうと、
互いへの、どのような思いがあろうと、
天が不要と見なせば、
立ちどころに離れて行ってしまう。

幼い日、子どもばかり遊んで、
船着き場に舫われた小舟から、
その先の小舟に渡った。

一番幼いがゆえに、
前を行く子らの動きに後れを取り、
向こうの小舟に渡るたびに少しずつ、
こちらの小舟は後ろに流される。

最後に渡る時、
自ら小舟を蹴って、
海の落ちた。

人との別れも、


同じではないだろうか。

最後は、自分のおこないが、
別れを決定づけてしまう。

天は、わたしにその最後の一蹴りをさせ、
その縁の終わりを思い知らせる。

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