「ダサい」が死語な理由を考えてみました
先日、髪の毛がハネてて、「林さん、髪の毛、それ寝ぐせですか?」って指摘されたんですね。
それで、「ああ、ここですよね。なんか僕、ほんとダサいんです」って答えたところ、「林さん、たぶん『ダサい』って死語です」って言うんです。
確かに、「ダサい」って聞かないですよね。いろんな20代前半の若い人たちの顔を思い浮かべて、彼ら彼女らが「ダサい」って言うだろうか、って想像してみたら、「絶対に言わない」って気がしてきました。
じゃあ、いまどき、「ダサいなあ」って感じたら、どう形容しているんでしょうか。
「イケてない」とか、「センス悪い」とか、「お洒落じゃない」とか、「カッコ悪い」とかでしょうか。
なんか「ピン」とこないですよね。
それでまた、いろんな20代前半の若い人たちの顔を思い浮かべて、彼ら彼女らが「なんか、あの人、お洒落じゃないよね」とか「センス悪いよね」とかって言ってるところを想像してみました。
うーん、そんな風に言っているところが想像できません。
もしかして、若い人たちは「あの人、お洒落じゃない」と感じても、それを言葉にしないのでしょうか。
たぶん、それが「正解」のような気がしてきました。
そういう、「え、今頃、それを聞いているなんて、お洒落じゃない」とか、「え、その帽子にその色のシャツをあわせるなんてイケてない」とかってことを「口に出さない」ような気がしませんか?
もしかして、そういうちょっとした「差」みたいなのを、言葉に出して指摘すること自体が若い人たちにとっては「下品」なのではって気がしてきました。
これ、どういう現象なのでしょうか。
僕たちは20世紀後半に、「まだあのお店行ってるの? ダサいよ」とか、「今頃、それについて話してるの? もう終わってるよ」とかって言いましたよね。
それ自体がもう「ダサい」のでしょうか。
※
それとも、もしかして、「みんなが歌えるヒット曲」がないように、「みんなが認めるお洒落」がなくなってきているのでしょうか。
これが今は一番お洒落という存在がなくなったから、逆に「ダサい」が消えたのでしょうか。
この件、しばらく考えてみます。
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