マンシーニの恋

ヘンリー・マンシーニがオードリー・ヘップバーンのことをずっと片思いで、オードリーの死後、後追い自殺をしたという話は知ってますか? 公的にはマンシーニは病死ということになっていますが、実は誰もが知っている話だそうです。

マンシーニがオードリーのために「ムーン・リヴァー」を書いたのが1961年。オードリーが死んだのが1993年でマンシーニが死んだのが1994年です。

なんとマンシーニ、33年間もオードリーに片思いなんです。オードリーはその間に2回結婚、最後も結婚ではなかったものの男性と同棲状態のまま亡くなります。その何度もの恋愛劇をオードリーが繰り返している間、マンシーニはオードリーの姿を眺めながらずっと片思いだったわけです。

気になるのは、マンシーニはオードリーに自分の恋心を伝えたのでしょうか。たぶん伝えたはずですよね。それを聞いてオードリーはなんてリアクションしたのでしょうか。「あらヘンリー、どうもありがとう」くらいな感じがします。ですよね。どの時期でもオードリーは世界最高の女優ですから、そんな言葉は毎日のように聞いていたはずです。

マンシーニはオードリーを食事とかに誘ったりしたのでしょうか。したはずですよね。「今度の映画の曲のことでちょっと君とゆっくり話したい」とかなんとか理由を付けてオードリーを食事に誘ったはずです。

オードリーはマンシーニの切ない恋心に気づいていたでしょうか。これは想像ですけど、たぶん気づいていたはずですよね。だってマンシーニの残された映像を見る限り、どう見てもそんなに恋愛上手だったようには思えません。

きっと周りのスタッフとかにも「あらあら、もうマンシーニさん、オードリーにベタ惚れでいっぱいいっぱいなんだよな。無理だって。女優に惚れてどうすんだよ」なんて陰でいわれていたように思います。

ご存じのようにオードリーって最後は結構おばあちゃんになっちゃいますよね。でも、そんなオードリーのこともマンシーニは恋していたんでしょうね。だってその後、後追い自殺をするんですから。

マンシーニは僕たちが住むこの世界に多くの美しい楽曲群を残しました。これらの多くの曲が今でも美しいのはやっぱりマンシーニがオードリーだけを喜ばすためだけに曲を書いていたからではないでしょうか。

                ※

「ねえ、オードリー、今度の君の映画のためにすごく綺麗でロマンティックな曲が書けたんだ。ちょっと君に聞いてほしいから今度の火曜日の夜にでも会えないかな?」

「ごめんね、ヘンリー。火曜日はちょっと忙しいの」

「そう。じゃあ水曜日はどうかなあ? ほんとまるで君みたいに綺麗な曲なんだ」

「水曜日もちょっと… ごめんね、ヘンリー」

「いや、いつだっていいんだ。君があいている日で。別に夜じゃなくてもいいし。昼、一時間くらいあいている時間があれば君にこの曲を聞かせられると思うんだ」

「ヘンリー、あなた新聞は読まないの? 私、今度結婚するの」

「もちろん知ってるよ。おめでとう、オードリー。君のそんな幸せを祝いたくてこの曲を作ったんだ」

「ごめんね、ヘンリー」

「何を言ってるんだ、オードリー。君が幸せそうなのが僕には一番なんだ。ちょっと歌ってみるよ」


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