人の事情にどこまで入り込むべきか悩む話

以前、あるカフェで生ビールを頼んだら、味が酸っぱくて変だったんです。

ちなみにそれは普段よく飲んでいる銘柄の生ビールだったので、「これは絶対におかしい」と自信がありまして、他のお客さまには聞こえないように、厨房の方に行って、小さい声で「この生ビール、ちょっと味が変なんですけど」って伝えました。

そしたら店長らしき人がそのビールを飲んで、さらにサーバーから新しくビールをついで試し飲みして、首をかしげています。

ちなみに生ビールって、古くなっちゃうと傷むんです。あるいはサーバーをちゃんと掃除しないと味が変になることもあります。

そういうことをそのカフェの方たちは知らなかったようで、僕が妙な難癖をつけたと勘違いして、なんか途中から表情が怒ってるんです。

でも僕は変な味の生ビールを我慢して飲みたくないので、「あ、じゃあそのビール代は支払いますから、別のドリンクにして良いですか」って伝えました。

さすがにそれは「良くない」と思ったのか、ビール代はチャラにして、新しいドリンク代だけの支払いだったのですが、やっぱり店員の方たちの表情がずっとカタいままでした。

僕は絶対に間違ったことはしていないと思うのですが、やっぱりもうそのカフェには行けなくなりました。

難しいですよね。こういうことって。これ、日本人だからこんな雰囲気になるのでしょうか。アメリカ人だとその場で色々話し合って、握手をして、また今までのように通ったりするのでしょうか。それとも世界中、こういう微妙な雰囲気になるのでしょうか。

                ※

こういう「どこまで相手のことを思って、『それ違うよ』と伝えるかどうするか問題」ってありますよね。

例えば、営業職の部下が口が臭かったとします。営業なので「それはダメ」ですよね。そんな時、上司は「君、口、臭いよ。お客さまに会う前に歯磨きやリステリンをした方が良いよ」と伝えるべきでしょう。

多少は微妙な空気になるとは思いますが、これは確実に言った方が良いというシーンですね。

                ※

ある既婚男性が浮気をしているのを知って、その奥様に「ご主人、浮気していますよ」と伝えるかどうかという有名なネタもあります。

これ、男性はまず言わなくて、女性は言うというのが定説です。

これ、「言うべきかどうか」というので、お酒の席ですごく盛り上がるので、一度、会話のネタに使ってみてください。

                ※

以前、渋谷のH&Mとドンキホーテの辺りで、新興宗教(詳しくは知りません)の勧誘をしているのをよく見かけることがありました。

僕は毎日、出勤中に「ああ、やってるなあ」と思って眺めていたのですが、ある時、立ち止まって熱心に話を聞いている真面目そうな女性がいました。

するとそこにスーツを着た快活そうな女性が現れて、その勧誘されている女性に「エリコ(仮)、お待たせ!」と声をかけて、その勧誘されている女性の腕をつかんで、無理矢理、離れたところに連れていきました。

僕はすごく気になって、その二人についていったら、そのスーツの快活そうな女性が「あのねえ、あれは宗教の勧誘なんです。ああいうのマトモに話聞いてたら危ないですよ。気をつけてくださいね」と伝えて、サッとその場を去りました。

うーん、こういう人もいるんだなあ、とすごく考えさせられました。

               ※

先日、友人が、駅のホームで女性が恋人と思われる男性にグーで殴られているのを見かけて、止めに入ったそうなんです。

そして、その場では殴るのはやめたらしいのですが、その後、その女性はそのままその暴力男についていこうとしたらしく、その友人は「そんな男について行っちゃダメ!」ってすごく止めに入ったそうです。

「いやあ、そこまで入り込んじゃうんだ」とその友人に言うと、「そりゃ当然でしょ」とのこと。

どこまで人のことに入っていくのか、それを内政干渉と感じるのか、人によって色々とあるもんだなあ、と思いました。 

#エッセイ

サポートしたいと思ってくれた方、『結局、人の悩みは人間関係』を買っていただいた方が嬉しいです。それはもう持ってる、という方、お友達にプレゼントとかいかがでしょうか。