恋愛の秋

いらっしゃいませ。

bar bossaへようこそ。

その夜は年に数日しかないような、心地よい風を感じる夜で、僕はお店の入り口は開け放し、ブロッサム・ディアリーの1984年のライブ盤を小さな音でかけ、お客さまが来店するのを静かに待っていた。

そこに常連の有里さんが入ってきた。彼女は華やかな花柄のワンピースを着ていて、僕は夏が入ってきたのかと思っていたら、彼女も「いつの間にか夏ですね」と言った。

僕は「この間まで桜の話をしていたのに、ですよね」と言いながら、有里さんにロワールのスパークリングをすすめた。

酸味がしっかりとしたリンゴの蜜のような味わいのロワールのスパークリングを少し飲むと有里さんがこう話はじめた。

「ほら。林さんが前に、恋愛の春が好きな人とかなんとかって言ってたじゃないですか」

「ああ、恋愛の春の季節だけが好きな女性のことですね。女性でたまにいるんです。比較的キレイめで、常に一人で行動していて、突然、男性だけの4、5人のグループの中に飛び込んでいくんです。それが短歌好きグループでもワイン好きグループでも何でも良いんですけど、『私、すごく興味あるんです』とか言って、男性だけのグループにぐいぐい入り込んで、いつの間にかそのグループのお姫様になるんです。

そしてそれぞれの男性に『気があるような素振り』を見せて、何人かが彼女に『好きです』って告白してきたら、『私そんなつもりじゃなかったのに~』って言って、そのグループから離れていくんです。そしてまた新しい男性4、5人のグループを見つけてそこで全く同じことを繰り返すんです。

そういう女性を僕は『恋愛の春の季節だけが好きな女性』って呼んでまして、彼女たちは要するに『誰かと恋愛初期のちょっとした駆け引きとかドキドキを楽しみたいだけ』なんです。それ以降の恋愛ならではのセックスとか喧嘩とか、そういういろんな面倒くさいことは経験したくないんです。

常々、彼女たちは本当に困った人だなあって思ってて、世の中の彼女たちを糾弾しているんです」

「いますよねえ。そういう女。ところで、恋愛に春があるってことは、その他の季節もあるってことですよね」

「ありますね。恋愛には夏も秋も冬もあると思いますよ」

「そう。今日はその恋愛の季節の話をしたくて飲みに来たんです」

「恋愛の季節」

「はい。私、今の彼と付き合いはじめて、ついに恋愛の秋が来たんです。

恋愛の春って一番楽しいじゃないですか。

お互いの好きかどうかっていうのを、メールの文章を何度も読み直して、『やっぱり私のこと好きなんだ』って確信したり、理由があるふりして、わざわざどこかで会ったり、『ごはんでもどうですか?』ってメールしたり、告白したり、手をつないだり、あの感じすごく楽しいじゃないですか。一番苦しいし、一番楽しいんですよね。

で、付き合うって決まったら、夏が始まりますよね。林さん、相思相愛の恋人たちは1日の80%くらいの時間の間、相手のことを考えているって知ってましたか? ほんと、そうなっちゃうんですよね。もう職場でも、友達とお茶を飲んでるときでもずっとずっと彼のことばかり考えてしまって、たぶん彼も私のことばっかり考えてくれてるはずなんです。それもすごくわかるから幸せなんです。

真夜中に突然、彼に会いたくなったりするじゃないですか。LINEで【会いたい】って送って、彼も【俺も会いたい】って送ってくれて、彼が私の家までタクシーで来てくれたりするじゃないですか。なんかすごい勢いでドアのところで抱きしめあって、そのままエッチしちゃって、その後で『お腹すいたね』とか言って、真夜中に近所のコンビニまで手をつないで行ったりして。ああいう恋愛の夏の季節も本当に楽しいんですよねえ。なんかほとんど病気なんです」

「わかります。わかります」

「で、この間、突然、秋の風が吹いたんです。

林さん、LINEの文章ってスマホの画面に1行だけ表示されるの知ってますか?」

「みたいですよね。通知が来るんですよね」

「そう。その通知を見て、急ぎの用事じゃなければスマホを開いたりしないで、そのまんまにしちゃうんです。そしたら既読にならないから、相手にも『ああ、今、忙しいから携帯見れないんだなあ』って思われるから、面倒くさい相手からのLINEだと、そのまんま放置して既読にしないってよくあるんです」

「なるほど」

「で、最近、彼、それが増えてきたんです。というか、以前はそんなこと絶対になかったんです。彼、どんなに忙しくても私のLINEはすぐに見てくれて、すぐに返事をくれてたんです。それがここ最近、明らかに既読にしないで放置しているんだなってわかることが増えてきたんです」

「本当に最近は忙しくて見れないだけなのかも知れないですよ」

「いえ。本当にそういうのってわかるんです。不思議ですよね。裏をとったわけじゃないんだけど、ああ、彼、既読にしないだけで用件は伝わってるなってなぜかわかるんです」

「そうなんですか」

「はい。そして、この間、ついに既読になったのに返事がこないことがあったんです。その日、私は『あ、秋が始まった』って気がついちゃったんです」

「返事がこないことってそんなに大事件なんですか?」

「そうですね。普通じゃないです。というか、恋愛の春の頃は『急いで返信しちゃいけない』とかいろんなセーブする気持ちがあるんですけど、もう確実にどんなことがあっても返信するんです。

で、恋愛の夏の時はとにかくずっとずっとどっちが先だったかわからないくらい、連絡ばかりしちゃうんです。【好き】とか【何してるの?】とか、もうそんなことばかり送っちゃうんです。

そして、返信がないってもうおかしいんです。スタンプでも何でも、言うことがなくても返すんです。というか返したいんです。

たぶんこれからちょっとづつ、やり取りが少なくなって、会うのも少なくなって、冬が来るんです。

林さん、恋愛の季節って逆戻りはしないんですか?」

「秋から夏や、夏から春には絶対に戻らないですよね。恋愛の季節は逆戻りしませんね」

「じゃあ、季節が進むスピードをゆっくりさせるっていうのは出来ると思いますか?」

「それは出来そうですよね。ずっと告白しないでドキドキするだけで、春のままでいるとか、夏になってもそんなに会いすぎないとかって出来そうです。

会いすぎてお互いのことを知りすぎて秘密がなくなっていくと、季節はどんどん進んでいくみたいですよ。

でも秋になると、あっと言う間に冬は目の前に来そうですね」

「林さん、恋愛の秋も楽しんだ方が良いんですよね」

「そうですね」

「秋も楽しんであげないと、私の恋愛が可哀想ですよね。あんなに春や夏を抱きしめたんだから、秋も冬も抱きしめます」

有里さんはそういうとスパークリングを飲み干し、「何か濃い目の赤ください」と言った。

#小説 #超短編小説

僕のcakesの連載をまとめた恋愛本でてます。「ワイングラスのむこう側」http://goo.gl/P2k1VA

この記事は投げ銭制です。この後、オマケでこの小説を書いた経緯を短く書いています。

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恋愛の秋

林伸次

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林伸次

超短編恋愛小説