彼女の思い出のお店

先日、ある30代半ばと思われる女性が今はもう閉店している「思い出のお店」について話してくれました(本人から書いていいと了解は得ています)。

「どんなお店なんですか?」

「音楽がかかってなくて、換気扇の音だと思うんですけど、その音がずっと雨が降っているような音がするんです。そして、ご主人が煙草を吸っていて、あんまり話さないんです」

「え、煙草吸ってるんですか。今だとありえないですね。じゃあ結構頑固おやじって感じで無愛想な人ですか?」

「いえ。話すときはすごく話すんです。自分が好きな仏像の話になったら、写真をとりだしてきて『この仏像が』ってずっと喋ってるんです」

「メニューはどんな感じなんですか?」

「大皿料理がカウンターにおいてあって、必ずゴボウのキンピラがあって、魚の煮つけと、菜っぱのおひたしと、お芋の煮っころがしがあって、後はシメサバがすごく美味しいんです。あと、ビールをおいてないんです」

「え、ビールがないんですか? でも、一見のお客さんが来たら、ほとんどの人が『とりあえずビールください』って言いますよね」

「ええ。そしたら『ビールないんですよ。今そこの酒屋で買ってきます』っていうんです」

「え…」

「そしたら人によっては『いいです、いいです』って言う場合もあるし、『じゃあお願いします』って言う人もいるんです」

「じゃあお酒は基本的に日本酒と焼酎だけですか?」

「そうでしたね」

「メニューは置いてあるんですか?」

「メニューはなくて、その大皿料理を指さすか、あ、そう言えばご主人の後ろの壁に短冊があって、シメサバとかって書いてありました。すごく古くて真っ茶色で、なくなったら裏返しにして」

「その短冊に値段は書いてありました?」

「書いてなかったです。でもすごく安かったんです。私、20代のお金がないOLだったのに、毎回払えてましたから。結構飲んでちょうど3千円とか」

「ああ、それは人によって値段が違うお店ですね。たぶんそのご主人にすごく気に入られてたんだと思いますよ」

「もうそのお店でお酒の飲み方、全部教えてもらいましたから。週に3回くらい行ってました」

「週に3回、20代のOLがそんなお店に一人で通ってたら、隣の男性から色々と面倒くさいこと、言われませんでしたか?」

「それがそのお店では一切そういう経験なかったんです。他のお店でカウンターで一人で飲んでたら、必ずそういう面倒くさいことってあったんですけど」

「ああ、そのご主人、たぶんすごく厳しくお客さんを選んでたんですよ。『この人、女性に声をかけて面倒くさいことを言う人なんだな』ってわかったら、さりげなく出入り禁止にしてたんだと思いますよ。それだけ通って一回もイヤなことないって、そうとうそのご主人が厳しいんだと思いますよ」

「そうだったんですね。私、全然、気がつきませんでした。なんか本当に優しくしていただいて、お花見も行ったし、一回、お昼に仕込みをしてたのを暖簾ごしに見かけたから『こんにちは』って言ったら、『おう、入んなよ』って言われて、入ったことがあるんです」

「あのですね、お店の人間って開店前にお客さんがお店に入ってくるのって本当にイヤなんです。どれだけ親しくても、開店前には入ってほしくないんです。僕だってどれだけ親しい人が来ても、お店の外で話しますよ。それ、そのご主人に本当に気に入られてたんですよ。あの、そのご主人から『恋愛感情』みたいなもの感じませんでした?」

「え、だって、その人、そのときもう60代くらいだったんですよ。私なんて孫くらいじゃないですか?」

「いや、それは僕は恋愛感情は少しでもあったと思いますね」

「え、でもすごく色っぽい人だったから、もしそうだったら嬉しいな」

「でももちろん、すごく自分にも厳しいから、絶対にお客さんになんて手は出さないって決めてたんですよ。その人、結婚してました?」

「若いときに離婚したって言ってました。独身でしたね」

「他にそういう感じの最後まで残っていて、なんか訳ありそうな一人の女性とかはいましたか?」

「うーん、いなかったですね。暖簾をお店に入れても、私だけ残ってたってことはよくありましたけど」

「ああ、じゃあ絶対に恋愛感情持ってたと思いますよ。ずっと思ってたけど、絶対に表には表さなかったんだと思います。ちなみにその時、そのご主人に誘われてたらどうしてました?」

「ああ、私、ついてったと思います」

#コラム

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「最近、ヨガにいけてなくて」です。

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彼女の思い出のお店

林伸次

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林伸次

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