誰かの写真に写っていない人

ある時、スタイリストの大山旬さんが「自撮り棒で記念写真を撮ろうとしているカップルを見ると、ついつい撮ってあげたくなっちゃう。でも我慢。」というツイートをしていました。

「本当にそうなんだよなあ」と思いました。

あの、自撮り棒が出てきたとき、「面白い現象だなあ」と思っていたのですが、渋谷の街で「ちょっと写真撮ってもらえますか」って外国人から声をかけられなくなったんですよね。

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ところで、bar bossa店内では、相変わらず一週間に1回くらいは「すいません。写真を撮ってもらえますか?」って言われています。

「写真を撮って」ということは、彼ら彼女らにとって、今、bar bossaで飲んでいるこの瞬間は「ずっと思い出にしておきたい時間」なんです。

そう感じていただけるのって、お店の人間としてはすごく嬉しいものなんです。

例えばいつもの服装で、誰かと「ちょっとお茶でも飲もうか」ってドトールに入って、そこで「記念写真」は決して撮らないですよね。

「記念写真」を撮りたいということは、「ばっちりお洒落もしている」し、「すごく親しい友人」や「大好きな恋人」と特別な時間を過ごしていて、「この瞬間、あと何年かしたら、懐かしいなあって思うだろうなあ」って思って未来からの視点で「写真、撮ってもらえますか?」なんです。

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お正月に家の前で家族写真を撮ったりしたら、誰か一人いない時、ありますよね。

それって、その「写真にいない誰か」はカメラを持っているからなんです。

そうなんです。普通、写真というものは「誰かがファインダーをのぞいていて、誰かがシャッターを押している」んです。

だから、bar bossaで撮った写真があれば、必然的に僕がシャッターを押しているわけで、誰かの家にあるbar bossaの写真は僕も「撮影者」として参加したんだなって思うと、嬉しくなります。

たぶん、というか絶対に、いつかbar bossaはなくなるわけで、もちろん僕も死ぬわけで、でも100年後に「渋谷にbar bossaっていうお店があって、私のお爺ちゃんとお婆ちゃんがデートで使ってたみたい。ということはこの写真を撮ったのはマスターの林さんだ。お爺ちゃんとお婆ちゃん、いつも林さんの話をしてたよね」って言われるのが僕は幸せです。

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今、渋谷、本当に外国人が多くて、おそらく2020年に向かってもっともっと増えていくと思うんです。

そして僕は毎日、出勤や買い物やお蕎麦屋に行くのに渋谷をうろうろ歩いてまして、しょっちゅう外国人の写真の中に写り込んでいます。

その度に「あ、今、インドネシア人の彼の日本旅行の思い出の写真の中で、渋谷を普通に歩く日本人男性という役柄で出演してしまった」って思います。

でも、本当は「フォト、プリーズ!」って声をかけてくれたら良いのになあってよく思います。

そしたら僕も片言の英語で「どこから来たの?」なんて質問するのになあって。

#コラム

色んな質問に答えた本が出来ました。『ちょっと困っている貴女へ バーのマスターからの47の返信』 https://goo.gl/dZ32IW 立ち読みできます!
https://goo.gl/Q6mRvL

bar bossaに行ってみたいと思ってくれている方に「bar bossaってこんなお店です」という文章を書きました。→ https://note.mu/bar_bossa/n/n1fd988c2dfeb

この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「今日は独りぼっちで」です。

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