あまり感動しなくなってきたこと

※土日は読む人が激減することが判明したので個人的な話を。

TSUTAYAで旧作DVDを4枚借りると、1枚100円っていうのをやってるから、たまに4枚借りて、つまんなかったら途中でやめても100円だし良いやっていうの、時々やってるんですね。

で、この間は『ムーランルージュ』と『お熱いのがお好き』を観たんです。

ごめんなさい。ムーランルージュ、なんか半分くらいでやめちゃいました。お熱いの、はさすがに最後まで観たのですが、「うーん、まあまあかな」って気持ちでした。どちらも大傑作のはずですよね。

ちなみに僕の中で最高傑作と思っている、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『耳をすませば』もこの間DVDで観たのですが、こちらも「あれ? 前はもう少し感動したはずなんだけど」って感じたんです。

 ※

ところで、僕の感覚はいたって「大衆的」と言いますか、「みんなが良い」と感じるモノをすごく「良い」って感じるんです。

さらに、流行をつかむのとかも全然早くないんです。渋谷という大都会の深夜のバーで働いているくせして、流行っているのに気づいたり飛びついたりするのってすごく遅いんです(妻はいつも一歩早いです)。

で、その自分の感覚に関しては「それでいい」と思っているんですね。

僕が書いている文章は実は「20年後、50年後に読んでも面白いなって感じるもの」というのを目指しているので、すごく「一般的な感覚」って必要だし、僕はあえて、そういう普通の感覚を大切にしているんです。

でも、最近、「みんなが感動する作品」にあまり感動できなくなってきたんです。

 ※

中島らもがこんなことを書いてまして。

中島らもは「お笑い」の放送作家をやってたらしいのですが、毎日毎日、ずっと「笑えること」ばかり考えていると、普通の世の中の笑いが全く面白くなくなるそうなんです。

「笑いの感覚」ってドンドン高度になって、洗練されていきますよね。

例えば子供って「うんこ」とか言って大笑いしますよね。テレビの中で誰かが転んだりしただけで笑ったりします。

で、大人になるにつれ色んな笑いを体験していくと、ダジャレとかでは笑えなくなっていきますよね。

そういう感じで、中島らもは「普通の笑い」では笑えなくなったんだと思います。

 ※

で、実は僕は最近何か作品を見たり読んだりするとき、「どうしてここで人は感動するんだろう」ってことばっかり考えて見てるんですね。

「あの伏線があって、ずっと引っ張って、それで主人公が困難にぶつかって、そしてこの落ちだから感動するのかな」とかって考えて見てるんです。

どうしても分析しちゃうんです。

だからなのかなあ、だから「大傑作」のはずの映画もそんなに感動しないのかな、どうしてなんだろう、と今、結構悩んでいるんです。

「泣けること」とか「切ないこと」とかって、何度も同じ個所で泣けちゃうとか何度もキューンとなるとかってあると思います。「笑い」みたいに、そんなには慣れてこないと思うんです。

そして「感動」もそんなに擦り切れないんじゃないかなあ、どうなんだろうと悩んでいる47才の春です。

#コラム

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「この連休は」です。

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