あの時、この道を選ばなかったらどうなってただろう

僕は「あの時、この道を選ばなかったらどうなってただろう?」ということをよく考えます。

例えば、江戸時代末期、政権は明治新政府には移らず、あのまま徳川家が将軍を続けていたらどうなっていただろう。やっぱり欧米列強は日本を侵略して、香港のような場所が日本中にたくさん出来たんだろうか。

ちょんまげをしたまま、ゆっくりとゆっくりと、近代化したのだろうか。そうなるとロシアとは戦争はしなかったんだろうか。北海道はやっぱりロシア領になったんだろうか。とか延々と考えてしまいます。

その前に徳川家が将軍につかずに、あのまま豊臣家の時代が続いてたら、もちろん都は関西のまま続いたはずで、そんなとき、日本文化はどうなったんだろうか。東日本の風景はどうなってたんだろうか。とかどんどん遡って考えてしまいます。

もちろん自分のこともそういう目で考えてしまいます。例えば、ボッサレコードはネット上のお店ではなく、下北沢で店舗を借りて、そこでは可愛い雑貨もおいて、カフェ営業もやるような店舗を考えていて、実は物件もある場所に決まってたのですが、やめてしまったんです。

あのとき、やってたらどうなってたんだろうって考えます。

数年前も東京の色々がイヤになって、田舎に行こうかなとか、日本語教師になってとりあえず日本を出ようかなとか色々と考えて、どちらもやる一歩手前まで計画は進んでいたのですが、実行に移りませんでした。

あのとき、やってたらどうなってたんだろうかって考えます。

そういう「あのときあの道を選んだらどうなんてたんだろう」という考え方ってやっぱり「ドラえもん体験」が原因のような気がします。

ついついこの世界にはたくさんのパラレルワールドがあって、「あのとき、違う道を選んだ自分がいる世界」が他にもたくさんたくさん存在しているような思考パターンが身に付いているんです。

そしてその思考パターンを採用してしまうと、僕の場所は本当にここであっているんだろうか。どこか違う場所で幸せにしている違う僕がより現実なんじゃないだろうか。と気になりだして、僕が信じているこの現実や、目の前の風景が「ぐにゃり」と歪み始めます。

僕は日曜日の夜に妻とワインを飲みながらついついそういう話をしてしまい、「もうひとつの世界はどうなんだろう」と言ってしまうのですが、妻はいつもこう返答します。

「あのね。『あの時もし、ああしてたら』っていうのは存在しないの。私たちにはこの今の世界しか存在しないの。この世界だけが現実で、私たちはこの世界で生きていくしかないし、そしていずれはあなたも私もこの世界で死んでいなくなるの」

その言葉を日曜日の夜にワインで酔った頭で聞くたびに、「女性って本当に現実にしっかりと足がついているなあ。全くゆるがないんだなあ」と感心して、「この現実世界でなんとかやっていこう」と心に誓うことになります。

#コラム

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「妻が松陰神社の前に3か月だけ住んだことがあって」です。

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