毎日どこかに通うことについて

※土曜日は読む人が激減することが判明したので個人的な話を。

以前、ある人が幼稚園に上がる前の子供を見て、「良いなあ。朝から夜まで好きなことだけやってて。これからは一生、学校とか職場とかにずっと通い続けなきゃいけないけど、でも今はまだそのことを知らない、束縛されていない本当に自由な瞬間だよね」という意味のことを言ったことがありました。

確かにその日が休日じゃない限りは、朝起きて、どこかに通うのが義務という日々が「幼稚園以降定年退職まで」ずっとずっと延々と続きます。

そして、その日が休日でも「明日はまた学校に(あるいは職場に)行かなきゃ」という「呪いのような重石」がずっと心のどこかにひっかかってます。

定年退職するまで「ああ、自分はもう一切なんにもやらなくていい。学校のテストも、職場の営業成績も、なんにも気にしなくて良い」って状況にはなれません。

ところで僕は乳児保育所というものに通ったんですね。

うちの両親はすごく忙しかったので、もう0歳児の頃から「どこかに通ってそこで1日の大半を過ごす」っていうのを経験しているんです。

だから、物心ついた頃から「朝起きて、ご飯を食べて、歯を磨いたら、どこかに通わなきゃいけない」っていうのは「当然」と思っているようなんです。

赤ちゃんの頃の、朝から夜まで全てを許してくれる両親や祖父母たちとのやりたい放題の日々っていうのが僕にはないんです。

赤ちゃんの頃から、血縁関係のない他人ばかりが集まっている公共の場に行って、他人から叱られたり食事を与えられたり学んだりするっていう日々を僕はすごしているんです。

これ、たぶん、大きく人生観が変わるような気がします。

僕は朝起きてご飯を食べて歯を磨いたら「どこか自分が束縛されている状況の場所に行くのが当然」と思っているようなんです。

例えば転職の時にちょっとでも「働かない日々」っていうのが続くときがありますよね。僕の場合、次の職場が決まっていても、なんか落ち着かなくて、休日をおもいっきり楽しめないんです。

今は「自分のお店」だから当然ではあるのですが、「お店を長く休めない」んです。お金の問題じゃなくて、「お店を休ませている状況」っていうのがどうも落ち着かないんです。

あるいは僕は個人事業主だから当然ですが、「定年退職」っていうものを想定していません。ずっと死ぬまで働こうと思っています。

なんなら死ぬまでバーテンダーをやっても良いかなって思っているくらいです(これに関しては妻が「ええ?! おじいさんになっても『いらっしゃいませ』って言ってるの?」って言ってました)。

毎日はちょっときついかもしれないのですが、バーテンダーに関しては「年をとった方がイメージが良くなる」という他にはあまりない職種なので、年をとってから趣味みたいな感覚で「いらっしゃいませ」って言って、自分の孫くらいの人たちに「え?! そういうの流行ってるんですか?」とか「好きな人いるんですか?」みたいなことを言うのもありかなと思っています。

どういうわけか自分がもう一切どこかに通わないで、朝から自宅でぼんやりしているっていうのを想像できません。

あと僕は趣味が本屋とレコード屋と飲食店をまわるのくらいしかないので、やっぱりどこか職場に通いたいです。

ってことをなんとなく思っている47歳の冬の始まりです。

#コラム

飲食店って本当に面白いなあって感じの本を出しました。『バーのマスターは「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由』 https://goo.gl/oACxGp

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「来週は必ず病院に」です。

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