子供の嘘への接し方

僕が小学校低学年の頃、父と母がNHKの受信料について話をしていたことがありました。

で、僕が子供のくせして、二人の話に入っていったところ、父と母が「本来マンガでも本でも誰かが作ったものは値段がついていて、それにお金を払うことになっている。でもテレビの民放局の番組が無料な理由は、番組の途中のCMというのを僕たち視聴者に見せることによって…でもNHKの場合は…」というのを細かく説明してくれました。

そしたらどういうわけだか、当時10才にもならない僕が「NHKで車のCMをやっているのを見たことがある」って父と母に言ってしまったんです。

すると父と母が「それは勘違いでしょ。たまたまチャンネルをその瞬間だけ民放の方にしてたとか、ただ車が走っている映像を見て、CMなんだなあと思っただけとかそういうのでしょ」って言いました。

ま、普通はそう言いますよね。

でも僕としてはもう頭の中に「確かにNHKでこんな車のCMをやっていた」っていう映像がはっきりあって、父と母に「思い違いじゃない!」って頑固に主張したんです。

すると父と母は僕の頑固さに負けたのかどうか、「ま、そういうこともあったのかもね」という風にして話を終わらせました。

これ当然のことながら、おもいっきり僕の勘違いか思い違いか何かでして、どう考えてもNHKで車のCMを放送したわけがありません。

どういうわけだかこのエピソードを僕は大人になるまでの間ずっと何度も何度も頭の中で反復していまして、中学生になると、さらに高校生になると、明らかに「僕の間違い」という事実がわかってきます。

そして小さいときであればあるほど、「いや、本当に見たんだよな」っていう気持ちが強くて、大人になればなるほど「本当は見てもいないのに父と母に何かを主張したくて無理矢理に見たと思いこんだだけ」という気持ちが強くなってくるんです。

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そして完全に大人になって、誰かの子供や自分の子供と接していると、「子供ってこういう嘘を言うことがある」ということがわかってきます。

でもそれって本人にとっては嘘じゃなくて、「絶対に見たんだもん」っていう強い経験として頭に刷り込まれています。

大人の僕らが「勘違いだよ」と言えば言うほど、こどもの頭の中では「本当の経験」になっていきます。

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僕の父と母はいつも忙しくてあまり会話をすることがなかったのですが、こういう「世の中のシステム」なんかについて話すときはかなり「厳格」で「子供にあわせて適当に話す」なんてことはなかったので、この時に「NHKでなぜ車のCMが放送されなかったか」というのを僕に強く言わなかったのかが不思議でした。

でもこれは父と母が僕の心の中に残した「時限爆弾のメッセージ」だったんだと大人になって気がつきました。

「大人になったとき、おまえの子供もそういうような嘘を言うことがあるかもしれない。でもそれは嘘ではなくて、親に対して何かを認めてもらおうと主張しているだけだから。そこを頭ごなしに否定してはいけないよ。自分の子供にもそういうように接しなさい」というメッセージだったんです。 

#エッセイ


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