私小説8

帰りの道はいつも遠回りをした。田中角栄邸の横を通るときもあれば、椿山荘の横を通るときもあった。東京という街は意外と緑がたくさんあるのを知ったのはこの時期だった。そして、東京は、色んな考え事をしながらぼんやりと歩くのにとても適している街だということもこの時期に覚えた。 

自分の部屋に帰るとレコードと本を置いて、銭湯に向かった。銭湯はその頃、確か280円だったと思う。今、考えてみると、あの大きな浴室を毎日清潔に維持し、流しっぱなしの大量の湯を用意するのには相当の手間や金額がかかるのは理解できるのだが、当時は毎回280円が高いと感じた。 

銭湯は早い時間であればあるほど気持ちが良かった。よくエッセイや小説で、銭湯で知り合いになった人たちと仲良くなったという話が出てくるが、自分に関してはそんな経験は全くなかった。 

毎日、顔を合わせる人もいたし、番台に座っている人とも毎日顔を合わせたけど、誰も僕に声はかけなかった。 

下町や中央線の方の銭湯なら、もしかしてそういうふれあいみたいなものがあったのかもしれない。しかし僕が住んでいた目白台ではそんな雰囲気は皆無だった。みんなタオルを片手にふらっと来て、身体を洗い、湯に浸かり、何も言わず帰った。 

1989年当時、世の中にはもうコンビニはあったはずなのだが、僕が住んでいたその地域にコンビニは一件もなかった。コンビニがない街に住むと、無駄な買い物をしなくてすむ。全く料理が出来ない僕は、備蓄してあるパスタを茹でて、缶のミートソースかレトルトカレーをかけて、それを夕食にした。 

夕食を食べ終わるとコーヒーをいれて、本格的な僕のためだけの夜が始まった。テレビはなく、もちろんインターネットもなく、友達もいない僕の長い夜は本とレコードだけにどっぷりととけ込めた。 

#小説

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「台風とJアラート」です。

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