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バースデイ

私事なんで読んでくれている人にはどうでもいいことだけど先日、誕生日を迎えた。
43になった。

いや、自分が43なんてちょっと信じがたい。
10代当時、20代の人たちはとてもオトナに見えたし、30代ならもう家庭持ちのお父さんやお母さん。40代なんて見事に中年で年寄り手前みたいなイメージだった。

しかし歳というのは富める者にもそうでない者にも平等にやってくる、抗えないものである。自分が43…繰り返すが本当に信じがたい。
多くの人が節目を迎えると言うこと・感じることだと思うけど、諸先輩方の風貌や言動から、そういう年代になれば自ずと「練れた、年相応の人物」になっている−と言うよりもなれている−自分を想像(妄想かもしれない)している。と思う。

ところがどうだ。

40代って、43歳ってこんな軽く、自覚のない、まるで成長の跡が見られないものなのかと愕然とする。

30を迎えた時も40を迎えた時も、なってみると想像したより遥かに幼い自分がいて、「これでいいのか、自分?」とは思ったけど43でもその気持ちは続いている。

正直なところ、感覚的にはまだ30手前くらいだ。そう思ってるのはもちろん自分だけで、周囲の人間からは世迷い言もいい加減にしろ、と言われるだろうけど。
これには子どもはおろか、結婚すらしていない−と言うより独り気儘に暮らしている=他人との共同生活をしていない−のに加えて仕事まで独りでやっている事と相関関係がある気はしている。−ここら辺の話は長くなりそうだからまた別に書こう。

ただ、多様性だ何だ言われてライフスタイルが変わり、「世代ごとのあるべき論」や「型」が無くなってきているいま現在、わりかし思考自体はどの世代も若いんじゃないかと感じる事は多い(幼いと言った方がいい人間もそれなりの数いるが)。

…そう自己弁護をしてみても、Rockの厄年と言われる27を越え(才能ないのだからのうのうと生きていけ)、Punksから”don’t trust over 30”と叫ばれたその世代も越え(オトナぶった奴らの言うことなんか信じられるか!)、今や誰の歯牙にもかけられない−おそらく「引っ込んでろ!」とすらも言われないであろう−世代だ。もう、書くまでもなく叫ぶ方から叫ばれる方−どころか黙殺される場所−へ強制的に移動させられてしまった。

でも、叫ばれる声はどこ吹く風、変な角も取れて外面的には(心身ともに)円く見えるようになり、誰からも相手にされず、粛々と進化 / 深化するために己が刃を研いで思考していけると思えばこれも悪くない。

“人、四十にして惑わず”とはこういう境地を言うのかもしれないなあ。

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