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美味しいってなんだ?

こないだはごくごくパーソナルな「美味しさ」について書いたけど、今回は大枠でみんなが捉える「美味しい」についての話をしようと思う。

「美味しい」、これについて飲食業をやっている人間で考えたことがないという人はいないんじゃないだろうか。
たぶん、食べに・飲みに行くのが好きな人でも考えたことがある人は多いと思う。
最もシンプルな答えは「供されるものが美味しい」だろう。
間違えてはいない。
間違えてはいないけど、実際はそんなシンプルなことじゃないとも思うのだ。と、言うより現代において実際にそのシンプルな「美味しい」を作るのはとても難しい。

それでも最適解が”供されるものが美味しい”であるとしよう。
では、自分が好きなお店で最も席を共にしたくない相手と席を共にする事になったら?食べているものは美味しくても目の前の相手で台無しにされるはずだ。
逆もまた然り。
気の置けない友人やパートナーと食べるチェーンの居酒屋はたとえ供されるもののレベルに幾分の問題があったとしても美味しく感じるのではないだろうか(それでも補正の効かない店もそれなりにあるのだが、この話では目をつぶっておこう)。
おそらく、「美味しさ」とは総合力に他ならない。

認知科学という分野をご存知だろうか。
心理学や言語学、神経科学などかなり広範囲に渡る学問を横断している分野だ。
これに携わる科学者が数年前に「ソニック・チップ」というポテトチップスでイグ・ノーベル賞を獲った(たしか)。
その内容はポテトチップスを噛み砕く音の大きさで売れ方が変わるというものだ(ざっくりすぎる説明な上に、うろ覚えだけど)。
心地よい食感というのは後を引くものだという認識はしていても、それが実際どこに繋がるかまで考えていなかったので新鮮な驚きだった。

何よりの驚きは、注力すべきポイントがそれそのものの「美味しさ」ではなくとも売上の向上が図れたことだ。もちろん最低限のものはクリアしていたにしても(といってもたかが−と言ったら失礼かもしれないが−ポテトチップスだ)、骨振動で体内に響く音と噛み応えが売れ方を決めるなんて。
さらに、飲み物は全て同じだが部屋の壁紙の色や照明度、かける音楽などを変えた実験も行っているがこれでもやはり影響があった(この実験は売上ではなく香味の感じ方)。

これらのことから言えるのは(あまりに乱暴かもしれないが)「美味しい」は作れるということだ。
見方によっては供するもののクオリティのみでは作れないと言えるし、逆にそれ以外から作れるとも言える。

こうなってくると作り手側はどこに最も注力すべきかはかなり頭を悩ませるだろう(実際、僕ですらよく悩むところだ)。
供するもののクオリティなのか、盛り付けのデザインや付随する演出なのか。それともバックストーリーをも語ることか。

あの手この手を尽くさねば完成しない「美味しい」とは本当に「美味しい」なんだろうか?
もはや禅問答に近い。

ひょっとしたら自分で作ったものを自ら、ひとりで味わうのが究極なのかもしれない。
そこには小賢しい演出やバックストーリーは必要なく、皿やグラス上の余計なデザインも飾りも要らない。なんのフィルターも通さない、計算もされていない「それそのもの」を味わうことができる。

そういうネイキッドな、「”シンプルに”美味しい」と言えるものを食べられる(或いは飲める)ことがひょっとしたら現代では最高に贅沢なのかもしれないと考えてしまう。


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