誤りとオテナとたわごとの私
※あらかじめおことわりしますが、以下に繰り広げる2023年ふりかえりはごく個人的&完全なる自己満足備忘録ゆえ超超超超超超絶長いです。
全部読み切るこたございません。お好きなところを、お好きなように。
2023年の年明け。予定的には忙しくなることを承知ながらも、やったるぞ!とか、オラ、ワクワクすっぞ!といった勢いを抱けぬまま、ほんとにわたしできるのかなあ……と不安の方が大きく、まあ、そんなに冴えない一年だったとしても気にせんでいこう、などとボンヤリ幕を開けたのを思い出した。
まったく、見当違いでした。
嬉しい誤算だらけの一年でした。
「誤餐」
赤信号劇団、記念すべき復活公演に呼んでもらえた光栄な舞台であると同時に、通路まで埋まるほどの満席の客席で溢れるお客さんの、大きな笑い声を聞けたことで、嗚呼、まだ演劇頑張っていけると思えた公演。
過去の誤り、隠してきた間違い、自分で自分を許せずにいたこと。
大人になってもそれはずっとついて回るよ、という厳しい気持ちと、でも、今になって許せることだってあるかもよ、という気持ちとを、赤信号のお三方をはじめ、心強い7人のキャストに託して。
人生、滑稽で不格好で惨めなときがある。
自分で引き起こしたことなら尚更、誰にも見つからないようにしまっておきたい。けれど隠して逃げ切るよりも、ダメさを引き受ける方が前に進めると気づけたら…。
それを笑って許せたら最高。
ほんの少し、空の色が違って見えてくる。
そう簡単なことじゃないとわかってはいるけれど、赤信号の揃った舞台は嬉しいし、最高のキャストだし、何度だって再演したい作品。
舞台って、初演の時は、もう二度とやってもらえないだろうなといつも思うのだけど、時々、奇跡のようにチャンスをもらえるときがある。今年もそんな舞台がありました。
「コインランドリーマンズ」
初演が2005年、再演が2017年、再々演が今年。
20代の頃のわたしよ。この作品を未だにやってもらえると、君は想像できたかい?(今その場で、堤さんにひれ伏せ)
毎回キャストが変わることで作品の空気感も変わる。賑やかだったり、ユーモラスだったり、切なかったり。3回とも違った。
でも、全部が正解。
基本が当て書きのわたしにとっては本当に不思議で面白いことだ。
やってみなきゃわからないことで、その機会をくれた堤さんは、やはり私の演劇界のパパなのです(当然ながらパパ活的なパパではなく)。
脚本を提供する立場というのは、稽古場に行くこともほぼないので、キャストさんたちとふれあう機会が少ない。けれど、私にとっては彼らとの出逢いも凄く貴重なこと。彼らが芝居を続けていく限り、私が芝居を続けていく限り、また線が交わればいいとおもうし、この作品が、もし、演劇を続けていく力のひとつになっていれば嬉しいな。
「サラリーマン」を「リーマン」と訳すこと自体厳しいことは自覚しつつ、コインランドリーに集う人たちの風景というのは執筆時と大して変わっていない。(洗濯料金もほぼそのままだったというので驚き)
勝ち組とか負け組って言葉が出てきたのは2000年代からだったんだなと思ったけれど、その格差はむしろ今の方が切実なのかもしれない。
今年、若い人たちと話す機会が多く、今の悩みは?と聞くと、1も2もなくお金の話がでることが多かった。
だからといって、やりたいことを諦めてるわけじゃ全然ないとも知れた。
そんな2023年初夏、
若者たちが自分たちの手で願いをつかみ取る作品に出逢った。
「宇宙よりも遠い場所」
MONOの土田英生さんが初めて2.5次元に挑戦するということで、声をかけてもらい、出演した私にとっても初めての体験。
今まで、私自身もアニメ原作の舞台を描いたこと、演じたこともある。けれど、アニメのキャラクターと自分を同一化させることを試みたことはなかったかもしれない。
自分の台詞回し、これでいいのかな・・・とアニメを確認するということを初めてした。そんで、アニメのキャラクターが綺麗で、おののく、繰り返し。
青春のきらめき、夢や願いを自分たちで求めて掴むこと。
一緒に走る友だちがいる、素晴らしさ。
若者にとってだけじゃなく、大人にとってもそれは同じ。
私も夢中で夢にひた走る一員に混ぜてもらった。
土田さんも稽古場で、必要か?ってくらい、飛んだり走ったりしていた。(それで捻挫したりしていた)
2.5次元というのは、私にとってまだまだ未知なる地だけれど、その一端でも知ることができて勉強になった。
ただ、かなりさまざまなことが制限されたなかでの土田さんの作劇や演出は、ほんとうに大変だったろうなと勝手ながらに思う。
2.5次元だからじゃなく、2.5次元が人気だからと大小様々なカンパニーが公演を打つ中で、勉強不足ゆえ(?)に必要最低限の予算さえ整わぬまま公演を行う運営サイドに疑問も残った。結果的にスタッフワークを軽んじてることにならないかしら。衣裳さんが場当たりの途中で帰り、サイズ違いの衣裳をあてがったまま、稽古も本番も全然観てないとかありなの?っていう、不思議なことが起きていた。
キャストに罪はなく、土田さんはじめ一部のスタッフさんがもろもろを必死でカバーしていただけに、モヤモヤしたな。
久々に、千穐楽の最後の最後までめちゃくちゃ緊張した!!
ともあれ、未知なる世界に飛び込ませてもらった、貴重な体験。
「少女都市からの呼び声」
き、きたああ~~~っ
私にとって、2023年未知なる冒険・最高峰と言っていいのではないですかね。初の唐十郎作品、金守珍さんの演出!
「安田章大主演!」が、私にとって4回目ということにも驚きですが、今回は、舞台で御一緒したことある方がヤスだけ、ということで。
稽古初日、大人たちを見てはびびり、若者たち(なんかみんなバキバキにかっこよく決まって見えた)を見てはびびり、金さん声でかいし・・・こ、こわい・・・アングラも未体験のアウェーな奴(私)が、何も知らずにノコノコ来やがって・・・って思われるんだろうなと。
「転校初日に友だちの顔を見つけてホッとする」っていう感情を、まさかの座長に抱くことになるとは。
「もう、きっと、誰一人仲良くなれる人はいないであろう」くらいにビビって臨んだわけですが。
それこそ誤算でした。
みんな、大好きだあああ!!
毎日、生まれ変わるみたいに新しい挑戦に満ちていて。
やったことないことを色々やらせてもらって、それこそ久々に夢に見るくらい家で練習したりもして、体の芯から震えが来るような緊張も味わって、でも、他の全員が、いつだって私以上に頑張ってると思わされるから、全身全霊で臨まねばと、自然に力が湧いてきた。
そんな風に演劇をやれていることが心底幸せに思った。
いいエネルギーを持ってる人には、いいエネルギーが集まってくるもの。
だけれど、その力を本当は誰もが潜在的にもっていたとしても、いつでも自在に発揮できるわけじゃない。
何かを、強烈に愛することが動力なのだとしたら、やはり演劇の場では、演劇を愛することでしかその力が生まれない。
座長を見て、金さんを見て、六平さんを見て、ゆうみちゃんをみて、みんなを見て、そして素晴らしいスタッフさんたちを見て、ああそうか、そういうことなんだ……と、改めて理解したのでした。
座長は今回も、あらゆる人へ、のべつまくなしに愛を贈っておりました。
演劇愛を旗印に「フォローミー!」とね。
稽古を見てアドバイスしたり、みんなで集まれる愉しい企画を立てたり、本番中、冒頭でヤスはずっと横たわってる設定なのですが、冒頭のシーンの私たちの声を全部きっちり聞いてるので、「今日はここ変えてみたの?ええやん」とか「ビン子と有沢、こんな風に変えてみるのは?」とか、しょっちゅう皆に声をかけていました。
なので、若衆たちが「こういう規模の公演に参加するのが初めてだから、どの場所でもこのくらい愉しいものなのかなと思ってました」というのも無理はないのだけど、決してそんなことない。座長がそういう空気を作ってないとこんな場所にはならない。
私もおかげさまで愉しくてラッキーポッキーです(なんだこのいい加減な感想)。でも、ほんとにそうです。
おもひでのアルバム状態になってきたのでこの辺にしなくちゃ。
またこの面々で舞台がやりたいなあ、とか、そういうことを口からこぼすと、「夢見るだけじゃなく、やろうや」という人がいる。
その言葉は私たちがこれからも走って行く機動力になっていく。
なので、やりたいなあ、じゃなくて、やる、で締めたいと思います。
たわごとにはしない。
「たわごと」
いい加減クソ長くなってるの自覚してますけど予告通りなので続けます。
とよはしPLATの公演は、2019年「荒れ野」ぶりで、コロナで動けなかったとは言え、それが言い訳にできないくらい、この舞台に挑むことは、プレッシャーと怖さでいっぱいだった。
自分にとってこの舞台が大事なものになると自覚していたからで、それは、私が思う超個人的な目線での「今」を正直に描かねばならないからで、勝負相手は自分自身だったからで。とにかく、私は私をがっかりさせちゃいけない、というプレッシャーに震えていたんだと思う。
描いているときはとにかく苦しかった。
『誤餐』や昨年の『サンセットメン』を、苦しみつつも楽しみながら描いたとすれば、今回はほとんどずっと、苦しかった。
なんで「たわごと」なんつうタイトルにしたんだろとたびたび後悔した。
言葉を疑いながらも依存してる自分を見ることが辛かったのかもしれないし、その答えがわからぬまま書き進めることが怖かった。
「お前は、言葉のことなんか知らないくせに」と、誰かに言われる気がして、自分に言われる気がして。
だから、書き終わってもずっと自信が持てずにいた。
だけど、稽古に入ったら6人のキャストが6倍の力で私の不安を覆してくれた。PLATの劇場メンバーが信頼するスタッフが寄り添って伴走してくれた。信じてくれた。
おかげで私は、目が覚めました。
戯曲の出来に頭を捕らわれていた自分に、カンパニーの皆が、演劇は総合芸術であることを思い出させてくれた。
稽古場で、いっけいさんとKEE(渋川)さんの兄弟喧嘩のシーンを初めて見たとき、ああ、戯曲を乗り越えていくってこういうことかと思わされた。
弟に迫るいっけいさんに鳥肌が立ち、これが見たかった・・・どころか、こんな凄い瞬間が見れると思わなかった・・・と驚いた。
谷演じるテオ医師といっけいさんのシーンで、泣き崩れるいっけいさんを毎度不器用に、不格好に抱く谷の、限りなくやさしい瞬間、
美里ちゃんの悲痛な咆哮とその後の笑顔の苦しさ、
いずちゃんの胸に抱かれるときに伝わる、暖かさと隠れた悲しさ、
ヨネちゃまのダンスが見せる甘やかな悦びと去りし思い出、
そしてKEEさんが父を思う時の、情けなくて不安で、やるせない後ろ姿。
どこにも台本に書いていない。
台本に描けないことを描きたいと思っていた。
だからそれは狙い通りであり、狙いをはるか遠く越えてもいた。
俳優の肉体があって、初めて成立するものが、演劇なんだな。
いや当たり前だよ。当たり前だけど、しみじみ思ったんだよ。
だから、6人に敬愛が止まらないんだよ。
この稽古と本番を通して、私はこのコロナ禍の3年、心底、人に触れたかったんだと自覚した。めんどくさい感情と向き合い、言葉で掴めないものをみつめて、愛する人に直接触れて。
言葉じゃない、血肉の温度に触れたかった。
それが翻って「たわごと」というタイトルになったのだと、やっとわかったきがする。
誰かの評価の目に触れて、良いだの悪いだの言われることはあるだろう。
桑原作品とは、とか、いつもに比べてどうであるとか、そんな評価はいつも怖い。だけどもう、平気。
この人たちと作れた時間がすべて。
扉を開けて大海原に飛び込む勇気をもらいました。
今年、みっちりと舞台で動き続けた1年。
ハア・・・ついにやりきったぞ、という安堵の息を漏らす間もなく、おまけにこんなことがありました。
「中島淳彦を大いに歌う」
たわごと大千穐楽の3日後に、ライブに出演しました。
2019年にご逝去された中島淳彦さん。彼が遺した素晴らしい歌の数々を、彼を愛する人たちみんなで歌うライブ。素敵だったな。
田中敏恵ちゃんと石川俊一さんは中島作品で多くの美術と衣裳を手がけた二人であり、私も中島作品に数回出していただいたご縁。
この二人には私の舞台もいつもお世話になっている仲良しさんなので、まさかのユニット結成です。
みなさん、2023年もお世話になりました。
もしもここまでの長文を全部読んでくださった方がいたら、本当にお疲れ様でございました。
本当に盛りだくさんな1年でしたが、大好きな人たちがたくさん増えた1年でした。
大事な仲間の結婚式もあったりと、書き足りないことはたくさんですが、いい加減にします。
ちょうど、Twitterとお別れか、というつぶやきを書いてたのです。
その分こちらに書いていこうかな、来年こそ。
……と、毎度続かぬ日記帳を買うときみたいに思っています。
時々覗きに来てください。
来年は、今年よりも少しゆっくりと種をまく1年になりそう。
って、それも誤算になるかしら。
嬉しい誤算ならいつでも来い!!
健康に、自分らしく生き生きと、元気にやってゆきましょう。
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