見出し画像

小さな世界

◆ちょっとだけ、宮沢章夫さんのこと
私は宮沢さんに直接お目にかかったことはない。接点といえば、脚本を書いた人と戯曲賞の審査員というだけでしかない。
そして唯一あったご対面のチャンスをかつて私は一度、逃している。

約20年前、一度だけ戯曲賞に応募した。
かながわ戯曲賞という名前だったと思うが、昔のことで失念してしまった。
「青春ポーズ」という、脚本を書くようになって二作目の作品が最終審査に残ったのだった。

公開審査会があったのに、私は行かなかった。
自分も審査する側になった今思えば、二作目の戯曲が最終に残るなんて大変光栄なことで、なのに大変失礼なことをしたと思う。しかし当時は「せっかく書けたから送ってみよ」くらいのもので、本当に戯曲賞というもの自体、よくわかってなかった。結果さえ知れればいいし、落ちたなら意味なかったと(あの頃のあたしをげんこつしたい)、ほとんど周りにも話してこなかった。もう記録にも残っていないし、かさねがさね失礼なことに他の審査員の方が誰だったかも憶えていない(げんこつ×2)。

ただ、審査員だった宮沢さんの選評(当時はコメント抜粋だったかもしれない)が、こんなようなことを言ってくださったのを憶えている。

「(面白く読んだ的な話の後)笑いのセンスも良い。ただ少し世界が小さすぎるのではないか。もっと社会とつながるような部分が欲しい」

記録がないので誤読してる可能性も大いにあるが、憶えているのは、笑いを褒められて嬉しかったことと、「世界が小さい」と言われてひっかかり、小さく憤慨したことだった。

取り壊し寸前のアパートの廊下を舞台にした芝居だった。
上演したのは小さな劇場で、だから、セットはいくつもドアのついたアパートの外壁と廊下のみ。取り壊しで引っ越さざるを得ない若い学生たちの、一日の話だった。

これは「青春ポーズ」再演と
スピンオフ「あおはるぽぉず72」の宣伝写真
(2005年)

「小さい場所のちっぽけな一日の話なんだから、世界が小さいのは当たり前じゃん。わざとなんだから」
その時は、そんな風に思ったのだった。

けれど。
「社会とつながるってなんだろう?」という問いかけは、その後も脚本を書くたびに、ずっと心に残り続けた。
何年も、ずっと、心の片隅にその言葉があった。
あの時の引っかかりがなければ、「ひとよ」や「痕跡(あとあと)」といった作品もなかったかもしれない。
その後、岸田国士戯曲賞の審査員としても選評を何度か書いて頂いたけれど、私にとって宮沢さんは「笑いのセンスも良い」と「世界を広げ社会と繋がれ」という言葉をくれた方だった。
あの時、もし公開審査会に行っていたら、お知り合いになることもできたのだろうか。
直接お伝えできなかったですが、あの時はありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

本日の扉絵
クールベ「画家のアトリエ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?