2021年、春。

いろんなことが、つぎつぎと起こって、予想外にかなしいことが、立て続けに起こって、ライブやイベントの延期でとつぜんのおやすみがたくさん増えたはずなのに、ぜんぜん、こころが休まらない春でした。

生きているって、あたたかいってことなんやって、思い知る。もう会えないっていうのは、こういうことなんやって、思い知る。

ほんとうにかなしいとき、同じ気持ちを共有できる人の存在に救われる。家族がいて、だいすきな親戚がいて、心底よかったなと思う。これからも大事にしなきゃなって思う。

人になにかしてあげることばっかりしか考えてこなかったおばあちゃんは、歩けなくなって、手も足も動かせなくなって、こんなに迷惑ばっかりかけて、もう生きていたくないって言ってた。わたしは何も言えなかった。

おばあちゃんと話せた、最後になった夜、起きたときに誰もいないのがさみしいからここにいてなって言うおばあちゃんにも、わたしは、ずっとはいられないけどまたすぐくるからねって、それしか言えなかった。

その日帰ってからずっと、嘘でも、大丈夫そばにいるよって、言ってあげればよかったかなって、考えてた。

わたしは、わたしの生活のなかで、できる限り、心を尽くした。こんな状況のなかでも、たくさんたくさん会いに行った。いつも、いつかはこんな日がくるって思いながら、だけど、だから、一緒にいられる時間をどう過ごすかばかり考えてたから、まだまだもう少し、一緒にいられると思ってたから、

思っていたより急にやってきたお別れに、愕然とした。

まだ覚えていない沖縄のうたがあった。

いちばん自由がきくわたしは、お通夜の日まで2日間おうちで過ごすことになったおばあちゃんに付き添うことになって、線香の火を絶やさずに、どんどんつめたくなっていくおばあちゃんを見守り続けた。

もう一緒には歌ってくれないおばあちゃんのとなりで、三線を弾いてうたっても、わたしの声はもう、おばあちゃんに届いてないのに、なんなら多分まともに声すらでていないのに、ぜったい届いてるって信じているじぶんがいて、あたまがおかしくなりそうだった。

目をそらしているわけじゃないのに、受け入れてないわけじゃないのに、信じられないほどに、全然、いなくなってなさすぎて、困る。

生きてるって、笑えるって、話せるって、触れるって、

そこに、いてくれるだけでいいって、しっかり伝えたかったな、伝えられるときに、ことばにできたらよかったな、

春がまた、だいすきなひとを連れていきました。

おばあちゃんに会いたいな

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5月中ごろ、寝れなくて、むりやりに綴って下書きにしてたやつ。からっぽのわたしの春の記憶、ここから1ヶ月経ってもぼんやり、あんまりことばにならないけど、忘れたくないから、ここに残しておくことにします。

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