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3年前の日記

「歩き出せない暗い夜に 前触れなく ぶつかった
きっと運命とか超えるほど ありえない確率で 見つけ合えたよ」

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つぐみ 2014年03月11日17:30

きのうのよる、寒すぎてこたつで寝てしまって
目が覚めたらあさだった。あさの6じ。

いつもならきっと、ベッドにはいってもう一度寝ようとするけど、

窓のそとが、すごくいいお天気だったから
そのまま寝てごめんなさいって ゆっくり化粧をおとして、お風呂にはいりたかったから
きのう作れなかったお弁当を用意しようとおもったから

そんな なんとなく がかさなって
きょうは、あさのじかんをゆっくりすごすことができました。

じかんをかけて珈琲を淹れて、一息ついて

いつもより20分はやく家をでて、自転車じゃなくて歩いて出勤。
手袋をしないとまだまだ寒い空気だけど、きもちいい朝の空のなか、軽快に歩きました。
スピッツをききながら、じぶんはやっぱり、歌詞にぴんとくるタイプなんだなと
おきにいりのフレーズをみつけて
おなじ曲をくりかえして、にやにやしながら歩きました。

職場について、新聞をとりにいく。
各社一面、「あれから3年」というキーワードと写真。

東日本大震災が起きた 2011年3月11日。

昨年のこの日は?一昨年は?
じぶんがどんなきもちであさをむかえて、1日をすごして、なにを想って眠ったのか
覚えていない。記憶にのこっていない。

なんか、あまりにも無責任すぎてくやしいけど、
だからわすれないように
きょうの日のじぶんのことを、日記に記録しておくことにした。

3年経った今。わすれているわけではなかった。
気づいてた、口にもだしてた、だけどやっぱり 正面から向き合うほどの体力がなかった。

おなじ日本の国でおこった現実は、わたしにとってまだ 信じられないことのまま。
3年前に日記をかいた、あのときのまま。

なくなった人の数、まだみつかっていない人の数。
数字があまりにも無機質なのは、うけとめるじぶんに覚悟がないせいだって わかってる。

いろんな情報から学んでも、ほんとうのことはきっと 実際行ってみないと感じられない。
目の当たりにした現実をがんばってうけとめて、なにかを感じて、なにかを発したいきもちもある。

それでもわたしは、東北へ行って、からだいっぱい深呼吸をするのがこわいです。

ひとつの記事をみつけました。

被災地の夜空の映像に、当時の被災者の思いを重ねたプラネタリウム番組「星空とともに」が3月8、9日、県立科学館(甲府市愛宕町)で上映される。仙台市天文台が12年に制作したもので、被災者の心情がちりばめられた内容が称賛を集め、各地で上映されることになった。

 約40分の番組は、地震が発生した午後2時46分の仙台市の昼の空から始まる。午後5時39分に太陽が西の空に沈むと、前日までネオンがあふれていた仙台の街は大停電で真っ暗となった。見上げると満天の星。その夜空の映像に重ねて、家族や大切なものを失った人々の思いを天文台スタッフが朗読し、テロップが流れる。地元紙や全国紙の投稿欄に載った言葉などから拾ったものだ。

 小学校の女性教員は、家族の迎えがないまま、真っ暗な学校に残った子どもたちと夜空を見上げた。流れ星が驚くほど飛んだ。流れ星は天国へ向かう魂だというエピソードが頭をよぎり、その多さに耐えられなくなり目を伏せてしまった。「あれほどつらい夜空はこれまでも、これからも決して見ることができない」

東北地方の被災地の上空には、満天の星が瞬いていた。
大切なものを失った人々は、つらい思いで星空を見上げた。

この日の星空にたいする受け止め方は、人それぞれだとおもう
だけど、そもそも、あの日の東北の空が、そんなにかなしいまでの満点の星空だったなんて知らなかった。

あのこわいこわい海の色も。色彩を失った、にごった茶色の海を、わたしはテレビでしかみていないから。
ほんとのことを、ほとんどしらない。

3年経った今、もうすこしきちんと向かい合っていくのはほんとうはこれからなのかもしれない。

まだまだ復興がたりてないこと、なんとなく知っていて。
まだまだ仮設住宅に住む方々のその人数の多さも。現実に向き合いだすと、こわくなるばっかりで逃げてる。

このほぼ日のページも、見つけたけど、ぜんぶを読むのはちょっと苦しいので。
すこしずつ、よめるときによみます。

http://www.1101.com/touhoku_chief/

あらためて知る、あの日のこと。http://www.1101.com/20140311/311_suji/

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