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四十二年ぶんの指輪〜さいご


2019.2.16
父の指輪物語、最終章。
ゴローズのみとさんはとても親身に探してくださったけれど、やっぱり作りかけの指輪は見つからなかった。しばらくして父は「やっぱり由美子に指輪を買いたい」と言った。サプライズで贈りたかった父のために私はこっそり母の薬指のサイズを測り、父と夫と三人で原宿に向かった。夏だった。

 

四十年以上前の、父の古巣。

原宿に来るのは父にとって一体何年ぶりだったろう。

一歩一歩、ゆっくりと階段を上がり、扉を開けると幼い頃の記憶にあるゴローズが変わらずそこにあった。


小さい頃、両親に連れられてゴローさんのバーベキューに行ったことがあった。初めて食べたレディボーデンのアイスクリームにひどく感動したことを覚えている。

あの時子ども同士だったゴローさんの娘さんも、私と同じように大人になって、そこに居た。

皆さんに歓待して頂き、指輪のサイズを測った。

私と夫も測った。

私たちもまた、結婚指輪を持っていなかった。


それから数ヶ月後の冬。

今度は両親と私の三人で、出来上がった指輪を取りにゴローズを訪れた。


昔、父がゴローズに紹介したスタッフの男の子が立派になってそこにいた。

父はお気に入りのペンドルトンのジャケットを着ていた。

ゴローさんの娘さんの着ていたジャケットが、父のと同じ色と模様のペンドルトンで、訊けばゴローさんの形見なのだそうだ。小さな偶然。

そんなひとつひとつに、父も母もとても嬉しそうだった。

指輪はみんなの指にぴったりだった。


みとさんが、今ラフォーレには昔の原宿の写真が飾られていて、ゴローさんの写真もあるのだと教えてくれた。

ゴローズの帰り、三人でラフォーレに行きゴローさんの写真を見て回った。


一番大きな写真の前で、父は長いことゴローさんと向かい合っていた。

父の選んだ指輪は、イーグルのゴールドポイント付きのフェザーリング。


一本のフェザーを丸めた、シンプルだけれど特徴的なデザインで爆発的にヒットし、ロングセラーを続けているゴローさんの代表作。

フェザーを丸めた指輪はその後様々なブランドが販売を始めたけれど、元祖はゴローさんでありゴローズ。


だから父は、STUDIO T&Yはフェザーのみを丸めた指輪は作らない。

「ゴローさんが考えて大ヒットした指輪だよ。俺は作れないよ。」

それは父なりの、大師匠ゴローさんへの矜恃なのだと思う。


そんなゴローさんのフェザーリングが父と母の、そして私と夫の結婚指輪になった。

父と母にとっては四十五年越しの結婚指輪。

父がゴローさんにオーダーした指輪はこのフェザーリングではなかったけれど、ゴローさんの作りかけの指輪は父の元には届かなかったけれど、あの時指輪を頼んだお陰で父は、ゴローさんが亡くなる前に最後の会話を交わすことが出来た。

父・村田高詩が憧れてやまない、偉大なる大師匠。

肉体を離れ、大空に羽ばたいて行ったイエローイーグル。

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