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文章を書くことについて。

本日のnoteです。

文章を書くことについて。
noteのページ作成にあたり、久々に自分で文章を書いているなぁと思っています。
普段メールやかんたんな日誌は書きますが、業務に必要なものや数字のことばかり。
そういえば大人になってから読む方も自己啓発書ばかりで小説や映画など感情的なものを排除した結果、リアクションが「すごい」と「やばい」しか出てこなくなったなぁと気付いた時期がありました。
インプットが偏った故の、語彙力の低下です。。
中学時代の色々読んでいた時期は多様な表現ができたのに…(中二病の時期なのでやたら表現の幅があるという説もある、邪眼…!)

私が今まで文章を書いていたのは、

1. 19-21歳ごろ、オンラインゲームのプレイ日記をブログに書いていたころ
2. 中学校で読書感想文など定期的に文章を書く習慣があったころ
3. 小学校のころ、ノートに動物のものがたりを書いていたころ

です。

2はみんなある程度は当たり前ですね。
3の小学生時代は、多少人によって全然やってないよ(外で遊ぶのサイコー!とかとことんポケモンやってた!とか)って人も結構いるかもしれません。

んで、1について思い出したので書いてみます。

私はRPGゲームが好きでして、おそらく原因としては、
・幼少期からセーラームーン<<<幽遊白書という少年漫画主義
・生まれて始めてわけがわからずジャケ買いしたゲーム、ファイナルファンタジー7が難しかったけどおもしろかった
・封神演義のラストとか、「全員集合」への憧れ
・ロードオブザリングに始まる「旅」への憧れ
という傾向かなと思うのですが、
どうも現実に「そういう仲間はいなそうだ」と感じたのが高校のころでした。

愉快な仲間はもちろんのこと、何かを目指して戦える物理的な状況やファンタジーな特殊能力もなさそうだし、
かといってまだ若さから「自分だけはいつかひとかどの人物になるのではないか?」という10代故の希望も手放したくない私は、その後「一番なにか起こりそうな東京へ」上京。

そして寮で初めての一人暮らしをして、誰かを気にしなくていい生活になったときに始めたのが、オンラインゲームでした。

プレイタイトルはファイナルファンタジーの後継のFF11。
当時はシリーズ初のオンラインゲームとして話題になりました。

どこまでも広がるかに見えた鉱山地帯にキャラクターを降り立たせ、2年間現実世界と二重生活をした私にもオンライン上の仲間が少ないながらもでき、時間を使えばそれなりにキャラもスキルUPし、旅もすすみ。

やってみたかった「仲間との旅」をゲーム上で実現しながら、
リアルでも(実際にオフ会とかはほぼなかったので顔は知らないままですが)相互にプレイ日記をブログに書いたり、コミュニティサイトをつくったりが楽しかった!

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↑当時の私


専門学生ということもあり、他に趣味もなかったので、気が向けば何時間でもブログを書き、何時間でもとことん見直し、延々細部にこだわっていた気がします笑

更に直接やりとりがないプレイヤーでも、数多のプレイ日記やMADをネット上で閲覧しまくり、表現がおもしろかったりリアルな日記を書いている人はデイリーでチェックしていました。

そして私も社会人になるとき、終わりの日を決め、仲間に挨拶をし、オンラインの旅を辞め、
しばらくはブログで日常を書いていましたがそれも終電までの残業生活のなか、辞めてしまっていました。
いつか感じていた「仲間」も「旅」も「冒険」もない「ふつーの大人」として社会に埋没していく自分に気づくこともなく、仕事に没頭していました。

そんな社会人生活のある日、
ふと昔好きだった別サーバーのブロガーさんを数年ぶりに検索してみたことがありました。

そうすると目に飛び込んできたのが、彼のブログに書かれていた、
・昔FF11のプレイ日記を書いていた◎◎です。
・なんと、◎◎文庫で、自作小説の書籍化しました!!
というニュース!

彼はFF11の世界を豊かに文字で表現し続け、人を楽しませ続けた結果、現実?世界でもオリジナルの文章を書き始め、会社員からプロの物書きになってしまったのです。

すげ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(語彙力の低下)
と1人、驚いたのを覚えています。

※更にその数年後、私も現実世界での「仲間」「旅」「冒険」を、起業という形でまた実現していくことになるのですが、これはまた別で。


私は小学校のときから、「読書をしなさい」と言われ、たくさん本を与えられてきました。
視覚より言語優位なのも、そこが原因かもしれません。
今でも人と関わるとき、嬉しいのは「言葉」です。
(態度で示されるのを察するより「会いたい」と言われる方が嬉しい、具体的に言葉で言われると嬉しいなど)

文章を書くことは、何年も当時の感覚を「言葉」で残しておく一つの手段です。
自分の中にない言葉、文章は出てこない。
当時のブログが未だにネットを漂流していて(!)その気になれば私は読み返すことができるのですが、やっぱり自分が投影されているな〜〜と思います。

表現の稚拙さに自分で辟易することもありつつ、ただこれも練習だと思うので、これからも継続してnoteを書くことで、強化していきます。

そして、私もいつか本を出せたらいいなぁ。

今日もありがとうございます。


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