見出し画像

【蝦夷丸が行く!】 北海道遺産!松浦武四郎の蝦夷地踏査の足跡 #ショコツ川の大冒険!【2日目】

画像1

タッタッタッタッタッタッタッ…

画像2

どうも!屯田ライターの蝦夷丸です!

いよいよショコツ川の大冒険2日目です!
今回は一体どんなドラマが待っているのでしょうか!
それではさっそくいってみましょう!

今回の「蝦夷丸が行く!」は、滝上町を拠点に活動している「Casochi合同会社」のお姉さんから、「松浦武四郎が旅した渚滑川を地元のおじさま達と一緒に冒険して、レポートにまとめてほしい!」という依頼を受けて、2日間かけて渚滑川を冒険(調査)した旅の記録です!
【プロローグ】はこちら
https://note.com/bari3/n/nc5c1e0525f91
【1日目】はこちら
https://note.com/bari3/n/naadb1f68796c

9:00|上渚滑地区体育館

画像3

上渚滑地区体育館に集合して、まずは1日目の終了地点「エイシリ」を目指して移動。
道中ひろさんの「エイシリ」の言葉にカメラマンせいしゅうのiPhoneが反応したのがめっちゃおもしろかった。

ひろさん「エイシリ…」

Siri「すみません、よくわかりません…」

9:20|エイシリ

画像55

1日目の終了地点エイシリ。離れてみると大きく見えます。
ここから2日目がスタートです!

画像6

エイシリはやっぱり近くで見ると小さいなぁ。

9:32|シイリヤウニ

画像5

まずはエイシリから5、6丁(1丁=109m)のところにあるという「シイリヤウニ」を探します。
武四郎が残した資料によると、「アサダの木が多い」「左側に小高い丘が見える」らしい。

エイシリから川が大きく曲がっていたのではないかというのがおじいちゃん軍団の推理です。
川上に向かって大きく右に曲がっていたとすれば確かに左側に小高い丘らしき物も見えます。

スクリーンショット 2020-11-13 10.24.19

こんな感じ(赤いライン)で川が曲がってたのかな。
ひろさんも「昨日の予習通りだ」と推理に自信が溢れていました。

9:40|ヒラポ

画像8

シイリヤウニからさらに5、6丁川を遡ると今度は「ヒラポ」という崖があります。
ひろさんの「これだよ!ここだよ!」の声でヒラポ確定。
武四郎の資料によると、ここにも一筋の滝が流れる白い崖があったらしいのですが、今はモサモサ木々が生えてました。

画像10

ここは川幅が広くて浅かった。
何かの稚魚がたくさん泳いでました。ニジマスかな?

10:00|オワフンベナイ

スクリーンショット 2020-11-08 23.41.24

「ヲワフンベナイ」は右側から流れ込む小川のことらしい。
道からだと川が全然見えないので、川まで出ようと思ったら、渚滑川の前に「清瀬川」という支流が流れていました。
なのでまずは清瀬川に沿って歩き、渚滑川との合流地点を目指します。

画像11

画像13

合流地点に到着。清瀬川を流木の橋を使って渡ります。

画像13

たけちゃんの軽快なジャンプ!

画像14

合流地点から渚滑川を遡ってヲワフンベナイを探しますがなかなか見つけられない…
そしてみんなウェダー(胴付き長靴)を車に置いてきていたので、これ以上進めない…

すると佐藤先生がおもむろにリュックサックからウェダーを取り出しました。
「私はこのまま川の中を歩いて先に進むので、皆さんは車で先に進んでください」

画像15

そう言って佐藤先生は一人どんどん川を歩いていきました。
大丈夫?本当に行ける?めっちゃ心配…

画像16

が、途中で深くなったらしく、戻ってきました。よかった…
そして2日目は初日よりも気温が高くて、ウェダーを着て歩く佐藤先生も暑そうだった。

それでも佐藤先生がおそらくあそこだろうという場所を見つけてくれたので、ヲワフンベナイも無事確定。佐藤先生の粘り勝ち!

11:15|シユマムイ

画像50

車に戻ると仕事で遅れていた牧野さんと合流。
黄色いジムニーがかっこいい。

画像18

記念橋へ移動して「シユマムイ」という湾のようになっている場所を探します。
武四郎の資料によると「両岸が平地だが、その間の岩崖のところが少し湾のようになっている」とのこと。
アイヌ語で「シユマ」は岩のこと。「ムイ」は湾のことらしい。
おじいちゃんたちの会話を聞いているとアイヌ語にも詳しくなってくる。

画像19

記念橋の下流側から川に降りた。
今度は全員ウェダーを着てシユマムイを探します。
一番深いところで膝上くらいの深さ。でも見た目以上に流れはキツく、油断すると足元を掬われそうです。

画像20

2日目もやる気満々なひろさん、たけちゃん、佐藤先生のおじいちゃんチームが先陣を切って対岸を目指します。

画像51

初日は控えめだった事務局長の山中さんも、2日目は積極的に川に入っていました。杖にちょうど良い木の棒を見つけて嬉しそうだったなぁ。

画像53

画像21

画像52

やっとの思いで川を渡り切った佐藤先生。
めっちゃ疲れてた…
でもその甲斐あってシユマナイ発見!

画像22

ひろさんも満足そうです。

画像23

このあとはまた車に乗り込み、記念橋を渡って左岸側の道を川上に向かって上っていきます。

12:00|イチヤヌニ

画像56

「イチヤヌニ」はシユマムイから急流を超えて2、3丁行ったところにある「鮭が卵を産み付けるところ」。そしてその右側には昔アイヌが住んでいた集落の跡があったらしいです。

記念橋の上から真下の川底を見ると小石がたくさん見えた。
このような場所は鮭の散乱場所に適しています。
そう、ここがイチヤヌニ。

ここで舟子は皆、墓地に煙草をたむけてから登って行ったそうです。

12:11|シベウツブト

画像24

イチヤヌニから3丁ほどで「シベウツブト」という小川がある。シベウツブトは本当は「シベオツ」という名前らしい。
川口に鮭が多く上るのでこの名前になったそうです。
「シベ」というのが鮭のことで、「オツ」がいるという意味なんだって。

それらしい場所はあるけどなかなか確定できない…
シベオツから5、6丁で「チャシコツ」というアイヌの砦跡もあるらしいけど、どちらも確定できないまま一旦昼休憩を挟むことになりました。

画像26

昼休憩後も資料とにらめっこしながら探した結果、シベオツは今もう無くなっていて、畑になっているのではないかとのこと。

画像30

13:29|チャシコツ

当初、新記念橋の所にあると思っていたチャシコツでしたが、どうしても距離が合わず、シベウツブトからの距離も武四郎の残した資料の5、6丁ではなく10丁以上も離れていることになります。

スクリーンショット 2020-11-13 22.06.11

ひろさんが「武四郎が計測ミスとしたのだろうか。しかしそれでは次のシラルンナイとの距離がまた合わなくなるなぁ…」と悩んでいると佐藤先生が言いました。

「以前この辺りでチャシの跡を見つけたんだよ!」

画像57

そして佐藤先生の記憶を頼りにその場所に向かい、ちょっとした丘の間の谷を上っていきます。

画像56

佐藤先生「ここなんだけど、明らかに人工的に1mぐらいの溝を掘っているんだよ!」

ひろさん「本当だ、先生ここで間違いないですね。」

佐藤先生「うん、ここだと川の上流も下流も見渡せるからチャシを築いてもおかしくないんだよね。」

ひろさん「次のシラルンナイとの距離も合いますね。

というわけでチャシコツを確定しました!

今まで謎だったチャシコツが確定できて大興奮のひろさんでした。

13:32|シラルンナイ

画像28

資料によると「シラルンナイ」からは左側に大きな崖が見えるらしい。
確定したシラルンナイからは確かに左側に崖が見えた。
崖の上には祠があって、麓まで車で行けるそうだ。

13:40|クアマナイ

画像29

シラルンナイからさらに7、8丁進んだところに「クアマナイ」という沢がある。ここは昔から鹿が多く、アイヌが毒矢を仕掛けていた場所らしい。

13:50|イキロロマフ

画像31

クアマナイから10丁ほどにある「イキロロマフ」は、左側に高い山があって、両側が険しくそびえ立った崖になっている。
道沿いからもわかるくらい割とすぐに確定された。
ここまでは淡々とスポットが見つけて確定されていった。

画像54

お昼ご飯を食べた後、車での移動、大きな山場もなく、段々とまぶたが重たくなってきました…(メモ取りながらウトウトしてた)

14:10|タツシ

画像32

気が付くと車は牧場に着いていました。
武四郎のショコツ川探検の最終野営地「タツシ」
そこへ行くには農家さんの敷地内を通らせてもらう必要があります。
ひろさんが農家さんに連絡して敷地内を通る許可をもらってくれました。

画像50

牧場内を通らせてもらい、たどり着いたところが「タツウシ川」と渚滑川の合流地点であり、武四郎の最終野営地の「タツシ」です。

画像34

斜面が急だったので下までは降りられなかったけど、武四郎はここで流木とクキ(?)の葉で簡易的な小屋を立てて泊まったらしい。
武四郎マジですごい。当時はゴアテックスもないしアルファ米もないし、ダウンシュラフだってなかったろうに。こんな河原に小屋を建てて一夜を過ごすなんて…かっこいい…

車に戻り、次のスポットに向かった。

14:45|鎮橋

画像35

この緑の橋が「鎮橋」

画像54

鎮橋から急斜面を降りて渚滑川に出た。

画像55

橋から下流へ200mくらいのところに「オシラネップ川」と渚滑川の合流地点がある。
ここが武四郎の渚滑川探検の最終到達地点

スクリーンショット 2020-11-09 2.09.32

資料によると武四郎がここに来たときは鹿の足跡がたくさん残されていたようです。
この日は鹿だけでなく熊の足跡も残されていた。

画像58

画像59

このオシラネップ川を300m〜400mくらい遡ったところに「孵化場」があって、そこは川底が大きな岩盤になっていて、その上を薄く川の水が流れているそうだ。

画像36


たけちゃんが言うには昔はそこで、女の人(芸妓さん?)を連れてきたりして「宴会」が行われていたらしい。大正時代の本に記録が残っているのだとか。たけちゃんは本当に滝上の歴史に詳しい。

画像39

たけちゃんの案内で少しだけ歩いてみた。
「孵化場」までは行けなかったけど、確かに川床が大きな一枚の岩盤になっていて、その上を滑るように川水が流れていた。

画像40

長い年月をかけて少しずつ削られたその岩盤はまさに自然が作り出した彫刻のようだった。

画像41

画像42

武四郎の最終到達点まで無事に辿り着き、今回の冒険もこれにて終了!
かと思いきや、ここから「伝説の場所」に連れて行ってくれると言うので案内してもらいました。

16:10|カムイポチ

画像44

渚滑川にはある伝説が残されています。
「サムイクルカムイ」という学問の神様が、海から船で渚滑川を登ってきたのですが、川が狭く浅くなってきたため、途中で船を降りて歩いて滝上に向かったそうです。(「だから滝上の人は頭がいいんだよ!」とひろさんが言ってました)
そう、その船を降りたとされる場所こそが「カムイポチ」なのです!
そして残された船は石となり川に残っているそうなのですが…


画像45

デデーン!!!
これがその船!
確かに…言われてみれば船っぽい形をしている…?

画像46

神が降りた船に登ってポーズを決めるひろさん。

冒険終了

画像47

こうして2日間に渡るパワフルおじいちゃん集団とのショコツ川の大冒険は無事に終了しました。

画像48

「いや〜濃かった!最高に濃い2日間だった!」とやり切った表情のひろさん。

画像49

帰り道、車内では佐藤さんが
「あぁもう景色が懐かしいなぁ。あの川の中を歩いたんだなぁ」と2日間の思い出に浸っていました。

画像49

普段何気なく眺めている身近な自然にも、調べてみると面白い歴史や思わぬ発見があります。
それを仲間たちと一緒に協力しあって、地域の魅力へと昇華しようというおじいちゃん軍団の心意気と行動力に圧倒されまくる2日間でした。

画像50

何より、みんなが本当に楽しそうに生き生きとしている姿に心打たれました。

次回はこの冒険のエピローグ。
たけちゃんとひろさんの思いや、おじいちゃん軍団の活動を支える滝上町のCasochi合同会社について書きますのでお楽しみに!

しょこつがわ連携研究会のみなさん!本当にお疲れ様でした!

コーヒー1杯分くらいのサポートを頂ければ 夜寝る前と朝起きたときに感謝の祈りを捧げます。