見出し画像

祖父が生まれ育った島に行って感じたこと。【北方領土に行ってきた】

サクマンベツの浜辺から見る海は、想像していたよりもずっと美しかった。

日の光に照らされキラキラと輝く海を見ながら
「これでやっとじいちゃんと島の話ができる」と思った。

潮風が気持ちよかった。

——————————————————————

2018年8月。
僕は初めて、祖父の生まれた島に立った。

そこは何もないただの浜辺だった。
鬱蒼とした森と、ゆっくりと陸を侵食している冷たい波。

人が暮らしていた面影はわずかに残る工場跡地のコンクリート片と
砂浜に転がる茶碗のかけらや崩れたレンガだけだった。


でも、そこで確かに感じた。
「ここにじいちゃんがいたんだ」と。

この場所の自然や景色、この場所で起きた悲しい出来事が、祖父の人柄や生き方や考え方を形成してきたんだということが理解できた。
どうしてかはわからない。でも確かにそう感じた。

「この場所で生まれ育ったからじいちゃんはあぁいう人なんだな」と思えた。

——————————————————————

現在日本政府は、ロシア側が発給するビザを取得して北方領土に入域することを自粛するよう国民に求めている。日本人がロシアのビザを取得して北方領土に行くことは、北方領土がロシアの領土だと認めることになるからだそうだ。

そのため、日本国民が北方領土を訪問するためには、日本とロシアの2国間で設定された以下の3つの枠組みのどれかに参加するしかない。

①北方四島交流(ビザなし交流)
四島在住ロシア人と日本国民との相互理解の増進を図り、領土問題の解決に寄与することを目的として実施されている、旅券・査証なしの相互訪問
②北方領土墓参
北方四島の元島民及びその親族による北方四島の墓地への旅券・査証なしによる墓参
③自由訪問
北方四島の元島民及びその家族による元居住地等への旅券・ビザなしによる訪問

僕は今回③の自由訪問で、父が副団長を務める自由訪問団の1員として国後島を訪問した。

以下の記事は、僕が自由訪問のときに書き残していた日記やメモ、写真、録音を元にした記録です。

記事は順次公開していく予定です。
2月7日「北方領土の日」までには全部公開したいな。

【北方領土自由訪問1日目】

【北方領土自由訪問2日目】

【北方領土自由訪問3日目】
Coming soon

——————————————————————

僕の祖父は「北方領土」の国後島・作万別で生まれた。

1945年。
日本が戦争に負けて降伏を宣言したあと、ロシア(旧ソ連)が千島列島の島々を次々に占領した。

当時11歳だった祖父は、親戚や近所の人たちと漁船で本土(根室)へ逃れようとしたけれど失敗し、ロシア人に拿捕された。

それから日本へ引き上げてくるまでの約2年間、ロシア人に抑留され厳しい生活を強いられたそうだ。

「ロスケ」

祖父は未だにロシア人のことをそう呼ぶ。
手先が器用で絵が上手な祖父は、当時の島での暮らしや「ロスケ」に抑留されていたときの様子を絵に描いていた。

(絵の写真撮ったはずなのになくした)

「返せ!北方領土!」

北海道の東側、海沿いの地域でよく目にする言葉だ。
特に根室に行くと至る所で目にする。

祖父はよくロシア人の悪口を言っていた。
でも悪口だけじゃなく、ロシア人からいろんなことを学んだとも言っていた。

祖父の書斎には北方領土問題に関するたくさんの資料や本が並んでいた。
パソコンを使いこなしていた祖父は自分でブログやSNSを立ち上げ、趣味の陶芸の情報と一緒に北方領土問題についての意見を発信していたのを僕は知っている。

祖父が「返せ北方領土」というタイトルで書いたいくつかのブログ記事は、なぜか今は白紙になっている。

祖父がどこかの組織に属して返還運動をしていたかどうか僕は知らない。
祖父は祖父なりのやり方で、自分が生まれ育った島のことを思い、発信し続けていた。

僕はそんな祖父の姿を誇らしく思っていた。

あ、ちなみに祖父は健在です!(2019年1月現在)

元島民3世の僕には当事者意識がない

学校で習う前から父や祖父、親戚の人たちの会話からなんとなく知っていた北方領土のこと。

・祖父が生まれ育った島
・日本なのに住めない(行けない)島
・戦争で奪われた島
・先祖代々の土地がある
・日本に返されるべき島

10才になる頃にはこれくらいのことは教わらずともで知っていたと思う。

学校で必ず勉強する北方領土問題。
みんなはどんな風に感じていたんだろう。

僕はきっと周りのみんなとは少し違ったことを感じていたと思う。
僕自身が元島民の3世だから。でも別にそれは当事者意識を持っていたということではない。ただ「みんなより先に知っていた」という優越感だった。

大人になった今でもそうだ。
当事者意識なんてものはほとんどない。

だって住んだことも行ったこともない島だから。

「返せ!」といい続ける人たちに感じる違和感

取られたものをいつまでも返せ返せと言っているのはまったく生産性のないことだなと思っていた。(いや、今でもちょっと思ってる)
その時間と労力を他のことに費やしたほうがよっぽど豊かじゃないかと。

だから不思議でしょうがなかった。
なんでみんながそんなに

「返せ!北方領土!」

と声高に叫び続けるのか。

もちろん、自分のふるさとが奪われたのだから当然だし
声を上げ続けないとまた日本はまた領土を奪われるかもしれないし
問題を風化させないために必要なのもわかってる。

でもずっと、何か違和感を感じていた。
その違和感は世の中の仕組みやそこに関わる大人たちを知るにつれて強くなっていった。

「本気で島の返還を望んでいる人ってどれくらいいるのだろう?」

社会人になって初めて、父に誘われて北方領土返還の署名運動を手伝いに行った。

2月7日は「北方領土の日」。毎年この日に合わせて札幌雪まつりの会場で署名運動を行っていて、その前後で勉強会や懇親会も開催されている。

もう何年も前のことだから詳しいことは忘れたけれど、そこには元島民の人はほとんどいなかったと思う。多くがその2世や3世。(4世もいたかな?)あとはたしか議員さんとか内閣府の人とかがいた気がする。

各地から返還運動の関係者が集まり、泊りがけで署名運動や勉強会を行う。
費用は返還運動に関わるどこかの団体から出てるらしく、懇親会費はかからなかった。
確か滞在費や交通費も支給されていた気がする。

勉強会では偉い人の挨拶や、元島民の方のお話を聞いた。
そのあとは島を返還してもらうためにはどうしたらよいのか、返還運動をもっと多くの人たちに知ってもらい広めていくにはどうしたら良いのか、後継者の問題をどうするのか、話し合いが行われた。
中学生とか高校生もいたかな。みんな真面目そうな良い子たちだった。

でも、何のためにやってるのか全然かわからなかった。

形式だけの集まりで、テーマを決めてみんなでそれについて話し合い、答えの出ない問題に対して自分の意見を言い合う。それが終われば美味しい料理とお酒を囲み、楽しく歓談する。

各地から集まる元島民や2世3世やその他関係者が、限られた時間の中で情報交換をしたり一緒に問題について考える貴重な機会だし、懇親会があるのも別に悪いと思わない。

でもこれを続けていても絶対島は返ってこないだろうなと思った。

基本的には元島民、その2世や3世や配偶者などが返還運動の中心となって活動している。
もし島が返ってきたら、その人たちになんらかのメリットがある。
たとえば土地だ。

絹張家にも法的に所有権を主張できる土地が国後島にあるそうだ。
土地の所有権を示す資料も残っているらしい。
元島民やその子孫が授受できる具体的なメリットいえばそれくらいじゃないだろうか。
あとはいつでもビザなし、パスポートなしで行き来できて、墓参もできるってことくらいか。

僕は3世だけど、自分の時間や労力をそれらのためにつぎ込む気にはなれない。
だってどれも「なくても困らないもの」だからだ。

もちろん、国としてのメリットがあるのも分かってる。
領土が広がれば領海も広がるし、何より資源が豊富で豊かな自然環境の残る島が帰って来れば新しい経済活動の場となる。

「ていうかそもそも日本の領土なんだから返して当然なんだよ!」

っていう意見もまぁわかる。
でもそれは元島民に限らず、全国民の問題のはずだ。
なのに、元島民やその子孫たちは、自分たちに与えられた権利を守るためなのか、この問題を自分たちの問題として抱え込もうとしているように感じる。

島に関係ない人たちが返還運動に積極的に関わるようになれば、それまで自分たちだけに与えられてきた予算や権利がその他大勢にも平等に与えられることになる。

だから「国民全員の問題」と言いつつ、返還運動をするのは自分たちだけにしておきたいと思っているのかもしれない。(知らんけど)

つまり、島が返って来ようが来まいが、この運動を続けて自分たちだけに与えられた権利を主張し続けられれば良いって考えの人たちが多いように見えてしょうがないのだ。

北方領土返還運動を一生懸命やっている人がいるのは知ってる。
僕の祖父や父が一生懸命取り組んでいるのも見てきた。
心から島の返還を望んで、必死に声を上げている人たちがいるのも知っている。

そして「僕たち」だけに与えられた権利の恩恵を僕も受けてここまで生きていたというのも事実だ。
それらを全部分かった上で、それでもどうしても気になる。

活動を続けることが目的になってない?
組織を維持することが目的になってない?
国からの「何か」を授受することが目的になってない?
政治家の票集めのための集団になってない?

これが僕が感じていた違和感の正体だった。

別に誰かを否定したり、領土問題について分かってるフリがしたいわけでもない。
領土問題の歴史にも興味がないし、特別勉強してきたわけでもない。
たまに返還運動のお手伝いをしたことはあったけど、正直言って島が返還されるかどうかもあまり興味がない。(もちろん返ってきたらうれしいけどね)

そして、どんなことにも政治の問題は絡んでくるし、きれいごとだけでは済まされない問題だということも分かってる。

返還運動に参加している人たちの動機やモチベーションもバラバラだ。でも別にそれでもいいと思う。

本当に正直どうでもいいのである。

ただ僕は、祖父がどういう思いで島のことを考えてきたのか、どんな思いで世の中に自分の考えを発信してきたのかを知りたいと思った。
純粋にただそれだけなのだ。

そのために、祖父が生まれ育った場所を1度でいいから見てみたかった。
当時祖父が生きていた場所に、自分も立ってみたかった。

どんな景色を見て育ったのか。
どんな音や匂いがする場所だったのか。

それを自分の五感で感じることで、少しは祖父の思いに近づけるような気がしたからだ。
それからじゃないと、祖父と島の話はできないような気がしていたのだ。

コーヒー1杯分くらいのサポートを頂ければ 夜寝る前と朝起きたときに感謝の祈りを捧げます。