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シニア枕草子⑩硬い手の人が羨ましい

福山雅治さんの「道標」という曲をご存知でしょうか?
生まれた事、人の命の繋がりや人生が歌われているように思っています。

10年以上前に、23時頃に始まるニュース番組のエンディング曲でした。その頃から、自分は福山さんの最高傑作だと思っております。

大泉洋さんは、福山さんご本人のギターの弾き語りで、聴いた時に感動して泣いたそうです。

「私はその手が好きです。」という「道標」の主人公は、福山さんのお婆様だそうです。

「ただ毎日を真っ直ぐ生きて、私たちを育て、旅立たせてくれた、あなたのその手が好き」というフレーズがあります。
最終盤に少しだけ歌詞が違っている辺りも、素晴らしいと思います。

他にも「雨に打たれても土に触って、1つ1つ種を蒔く姿」
や、
「勝つ事ただそれだけを正義と、壊れてもまだ走り続ける私にも、あなたは優しく」
などなど、福山雅治さんが、お婆様を思って作られている歌詞は、大泉洋さんには、ご自身のお祖父様を思い出し、泣いてしまったという事だそうです。

自分には、若い頃の父の手が連想されます。

若い頃の父の手はゴツゴツと硬くて、ある日脳梗塞で入院した時に、手の皮がポロポロとめくれ、何事かと驚きました。
当時存命していた母によると、長年仕事で手を酷使し続けた人が入院治療で安静にすると、皮膚が剥離する場合があるそうで、病気ではありませんでした。短期間に硬い皮が剥がれ、薄くて柔らかい皮膚の手になりました。

幸いにも脳梗塞で身体に目立った麻痺がなく、退院後は、仕事に趣味にと忙しくしていると、元の硬い手に戻りました。

最近の5年ほどは、家庭菜園も盆栽の世話もできなくなりました。
デイサービス利用と、家ではテレビ見たり、ラジオ聞いたり、ベッドで寝ている事が多くて、また手はフワッと柔らかくなりました。

硬い手だった時が幸せだったのかもと思ってしまう事もあります。

退院後に、父に代わり自分が家庭菜園の苗を植えたら、苗の並び方が曲がってしまいました。
適当な間隔さえ空いていれば、機械化してない家庭菜園レベルに、多少の畝の曲がりは関係ないと思っておりました。

気が付いたら、雨の中、カッパ姿の父が植え直しをしていました。

真っ直ぐになっていないと、畑が美しくなくて、ご近所さんに笑われるから、ダメなんだそうでした。

2〜3年して、母亡き後、色々と見解の相違で、水掛け論的、不毛な口論が多くなりました。

それでも不毛な口論が、できていた時は、まだ幸せだったのではないかと思ったりします。

現在父は、姉一家と車椅子で生活してます。食事は自分で食べる事は、まだできていますが、糖尿病のため1日の摂取カロリーは決められています。
排泄は紙パンツに尿パット付き状態。トイレに行っても足が弱り、車椅子から立ちる事がギリギリなので、家族や介護職の介助なしでは、できません。たまに使用済み紙パンツを脱いで、ズボンだけでデイサービスに行っているようです😞。

服の着替えを手伝うと、袖を通す時に、迎え手で握手する事になります。
生活のほとんどを人に任せると、あの硬い手が、こんなに柔らかくなるんだなあと思って、切ない気持ちになります。

硬くて強かった父の手が、今は、怠け者の自分と同じような皮が薄い、柔らかな手になりました。

「道標」の最後は、

「私は、この手が好きです。ほらあなたによく似ている。私たちを育て旅立っていった、あなたのその手が好きです」

一応念のため、父は旅立ってないです。

遺伝的には、自分の手は、「旅立っていった」母に似ていて、皮が薄くて血管バキバキなのですが、頑丈な硬い手の父が、薄い皮で柔らかくなってしまうとは😞。

デイサービスで、お手本を見ながら塗り絵や水彩画などの作品を作っている位しか手を使わないので、仕方ないのでしょうか。
父から見れば、デイサービスでは、我が子より若い女性が優しく接してくれているので、それはそれで幸せなんでしょうか😅。

オチてないですが、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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