徳川義直公菩提寺「建中寺」
1651年(慶安4年) に第2代尾張藩主徳川光友が、父である第1代藩主徳川義直の菩提を弔うために建立した。創建当時は周囲は石垣と堀で囲まれ、四万八千坪(158,400m2)の境内に多数の堂が立ち並ぶ規模を誇った。境内の東側には大きな松林があり、鬼門の方角は京都御所の「猿が辻」のように凹ませてあった。1785年(天明5年)の大火災で総門・三門などを除く多数の建物が焼失したが、翌1786年(天明6年)から1787年(天明7年)にかけて再建された。現在では境内の規模は創建当時よりも小さくなっている。
総門。
三門。
鐘楼。
徳川光友公墓所。
第二次大戦後の区画整理などにより、現在では境内の規模は建造当時よりも縮小しており、かつての寺域は東区役所や東海高校、あずま中学校、筒井小学校などとなっている。また、三門前にある建中寺公園は、かつて7つの塔頭(宗心院・甲龍院・誓安院・全順院・正信院・光寿院・養寿院)があった場所である。歴代藩主の墓所も光友のものを除いては平和公園に徳川宗春、小牧山に徳川宗睦のものが移され、他のものは御霊を抜き、定光寺にまとめてから廃棄された。また、廟や門などの建物の中には、名古屋市内、もしくは近辺の寺院に、明治や昭和頃に移築されたものも多い。
本堂。
本堂の屋根。
総門の屋根。
三門と総門の間の公園にある井戸発見。
新しいのか古いのかよく解らないが、この形に見覚えがある。
そう、これに似た井戸が守山区の御膳洞にあった。
御膳洞は、義直公が瀬戸水野方面に鷹狩りの際に昼食を取ったとされる場所。お尉の方(光友の生母)と義直公が出逢った場所とも考えられるとの説あり。
下は御膳洞の井戸。似てる。井形の井戸ってどこでもあるのかな?
歴史の舞台に想いを馳せてぶらりと散策するひととき。
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