大阪都構想について考える ②「私、失敗するので。」〜後編

 前編では、行政は時に失敗する、だからそれを織り込んだ制度、失敗に気づいたとき速やかな軌道修正が可能な、一元化された合意形成・意思決定のシステムが必要であり、大阪都構想による広域行政の一元化はそれに寄与することを述べました。

〜前回のおさらい〜
 赤と白 2種類の玉が 1つずつ入った中身の見えない壺がある。① その中から玉を 1つ無作為に取り出す、② 赤玉が出たならもう 1つの赤玉を加えた 2つの玉を壺に戻す (白玉が出たなら白玉を加えた 2つを戻す)、③ 壺の中は赤 2 白 1、あるいは白 2 赤 1 のいずれかの状態になる。

ポリアの壺1

 というお話でした。後編ではこの ② の操作「なぜ出た玉と同じ色の玉が足されるのか」についてご説明します。
 出た玉と同じ色の玉を足す操作は、「自己強化」「ポジティブ・フィードバック」と呼ばれる現象を表しています。簡単にいうとそれは、赤白どちらかの玉を引く「選択」が「後押し」され、たとえ赤を引いた (白を引いた) のが間違いだった・失敗だったと気づいても、後からそれを覆すことは困難であることを意味しています。

 ここからは、その「引くたびに追加される玉」の中身の成分、つまり選択が失敗であってもそれが後押しされてしまう要因を 6つご紹介します。

◆スイッチングコスト

 スイッチングコストとは、ある商品・サービスのユーザーが、他の商品・サービスに乗り換えるときに発生するコストのこと。それには金銭的なコストだけでなく、新しい商品・サービスの操作や慣れに要する時間、環境の変化が引き起こすストレスなども含まれます (1)。
 制度や政策の廃止・変更を行う場合、政治家は住民に対して説明を行うコストが生じます。また、もしも当初選択された制度や政策が選挙公約だったとき、その廃止・変更は公約違反とみなされ、有権者からの支持を失う政治的コストを伴います。これはスイッチングコストの一種と捉えることができ、政治家はこのコストがあることで、制度や政策の失敗が明らかとなっても廃止・変更をためらわせるでしょう。

◆予算増分主義

 自治体が予算を組むとき、膨大にある事務や事業の中身を一から見直すのは大変です。そこで前年度予算をベースにそこへいくら上積みするか (または一律カットするか) で編成するやり方を、予算増分主義 (または予算漸減主義) といいます。
 このようなやり方は、社会経済状況や住民ニーズの変化に対応しにくく、前年度までに獲得した予算が「既得権益」と化すことで、それが失敗に傾いたときの廃止・変更の判断を鈍らせます。(2)
 また個別の制度や政策をチェックしない一律の予算上積み/カットは、本来なら廃止・変更されるべき制度や政策が見過ごされ、延命されてしまう可能性を高めます。

◆行政の無謬性

「行政は間違いを犯さないし、自らの間違いを認めない」(3)
「行政は間違いを犯さないから、間違えたときのことを考えてはならない」(4)
 これは「行政の無謬性」または「無謬性神話」と呼ばれる論理です。信じられないことに、行政官庁の一部には未だにこのような考えが残っているところがあるとされます (5)。この行政の無謬性は言うまでもなく、すでに失敗が明らかとなっている制度や政策の速やかな廃止・変更の妨げとなります。

◆埋没費用効果

 埋没費用 (サンクコスト) とは、ある計画にすでに費やしたお金や時間・労力がある時、その計画を中止しても戻ってこないお金や時間・労力のことを言います。
 例えば、ある自治体が総事業費 100億円の計画で公共施設の建設を始めたとします。しかし 40億円を投じたところで社会情勢が変わり、施設が完成しても当初期待していた収益を得られないことが判明。 この時すでに投じてしまった 40億円が「埋没費用」です。ではその自治体は残る 60億円を投じて施設を完成させるべきか、それとも計画を中止すべきでしょうか。
 経済学的にみれば、すでに投じられて戻ってこないお金や時間・労力 (埋没費用) を考慮する意味はなく、計画を中止して残る 60億円は他に効果が見込まれる事業に充てるのが合理的です。しかし、埋没費用は人の「これまでに投じたお金や時間や労力がもったいない」「元を取らないといけない」という意識を誘起するため、「計画続行」という経済学的に不合理な判断に導くことが知られています。これが「埋没費用効果」と呼ばれるものです。
 特に公共投資の場合、この埋没費用効果の存在が、失敗の明らかになった事業からの撤退・変更を妨げる要因になり得ます。(6)

◆損失回避バイアス

 人々は、得をする喜びよりも、損をする悲しみをより強く感じることが知られています。
 例えば、コインを投げて表が出たら 1万円もらえるが、裏が出たら 1万円払わされるというゲームがあったら?…多くの人々は参加を拒否します。なぜなら人々は 1万円もらう喜びよりも、1万円損する悲しみの方をより大きく感じるからです。この「損失回避バイアス」(以下図) を含むプロスペクト理論を提唱した心理学者ダニエル・カーネマンは後にノーベル経済学賞を受賞しました。(7)

損失回避バイアス

 その後の多くの実験結果から、人々は得をする喜びよりも、損をする悲しみを 2倍~2.5倍も強く感じることが明らかにされています。つまり人々をみなゲームに参加させるには、コインが表なら +2万円以上、裏なら -1万円という極端に有利な条件が必要になります。それほどまでに人々は損することを避けたがるのです。

 ではここで、1万人の住民に 1人 100円を負担してもらい、集まった財源 100万円を使って、住民のうち100人に対して 1人 1万円の補助金を給付する政策を導入するとします。このとき 100円を徴税されるだけの 9,900人はそれほど負担感じず、政策にコミットする動機は弱いといえます。
 一方、補助金 1万円を受ける 100人にとって受益と負担の差額 9,900円は大きく、政策にコミットする動機は強いといえます。よってこの政策に対する “声の大きさ” は、受益者 > 負担者 となります。

005のコピー

 次にこのケースで、財源全体は変えずに政策の変容 (政策の廃止と導入) を行い、受益者を変更するとします。
 財源全体の大きさはそのままで、政策廃止による「元の受益者」と、政策導入による「新たな受益者」とが入れ替わるこのケースでは、“声の大きさ” は、元の受益者 > 新たな受益者 > 負担者 となります。同じ数の「元の受益者」と「新たな受益者」の間を同じ金額が移動しただけにも関わらず、損失回避バイアスによって「元の受益者」の声が大きくなるのです。強い動機をもつ彼らがコミットすることで、このような政策変容 (廃止・変更) は非常に困難となるでしょう。(8)

 さて、ここまでに取り上げたのはどれも政治家や官僚、つまり制度や政策を実行する側に存在する、廃止・変更を妨げる「動機」でした。では、住民の側にはどのような動機が考えられるでしょうか。

◆システム正当化理論

 多くの人々は今の立場や暮らしを変えたくないと思っていて、そのため自分が置かれている環境や社会・政治制度は良いものだ、あながち悪くないと自分に言い聞かせるようなところがある (9)。その感情は、社会的に力のある者よりも、力のない者、不利な環境に置かれている者ほど強くもつ。社会に不満を抱いたまま日々を送るのは精神的に辛い。だから彼らは心の安寧を求めて、自らが不遇なのは、「社会や政治が悪いからじゃない。自分の能力が劣っているからだ」と思い込むことでバランスをとる (10)・・・これは社会心理学で「システム正当化」と呼ばれる現象で、米国を中心にこの20年間さまざまな実験が行われています。
 このような現象は、行政の失敗を住民が正そうとせず、失敗した制度や政策の廃止・変更を求めないまま、不合理を受け入れてしまう事態を招きかねません。しかもこの「システム正当化」は、社会的に弱い立場の人々により作用するため、福祉分野において失敗が明らかになった制度や政策が温存されてしまい、結果的に社会的弱者の救済が遅れてしまうかもしれないのです。

最後に

 制度や政策は一度動き出すと、たとえそれが失敗だと気づいても止めるのが難しい。制度や政策を廃止・変更するにも、有権者に説明するコストがかかる。膨大な予算をいちいちチェックしてられない。そもそも行政は間違いを許さないし認めない。これまでに投じたお金や時間や労力がもったいない。廃止で損をする受益者の声に抗えない。そして住民も時として行政の失敗を正そうとしない。
 もちろんこれは一元行政でのお話。もしこれまでの大阪府・大阪市のような二元行政のもとでこの負のスパイラルに嵌まってしまったなら・・・


【 注 釈 】

(1) Porter, Michael E. (1980) 「Competitive strategy: techniques for analyzing industries and competitors」New York Press. 土岐坤・中辻萬治・服部照夫 訳 (1995)『競争の戦略』ダイヤモンド社.
(2) Lindblom (1959) ※1 を嚆矢とする予算増分主義は、Wildavsky (1964) ※2、Crecine (1969) ※3 らによって拡張された。わが国では野口 他 (1977, 1978, 1979) による一連の研究 ※4-7 、および西山 (1995) ※8-10 において実証されている。また、近年増分主義的な予算編成の傾向は弱まっている一方で、枠配分的傾向が強まっているとの分析もある (宮崎 2015) ※11 。
※1 Lindblom, Charles E. (1959) 「The Science of "Muddling Through”」Public Administration Review, 1959, Vol. 19, No. 2, pp. 79-88.
※2 Wildavsky, Aaron B. (1964) 「The politics of the budgetary process」Brown and Company. 小島昭 訳 (1972)『予算編成の政治学』勁草書房.
※3 Crecine, John P. (1969) 「Governmental Problem-Solving: A Computer Simulation of Municipal Budgeting」Rand MaNally & Company.
※4 野口悠紀雄・新村保子・内村広志・巾村和敏 (1977) 「予算における意思決定の分析」経済企画庁経済研究所編『経済分析』第66号.
※5 野口悠紀雄・新村保子・竹下正俊・金森俊樹・高橋俊之 (1978) 「地方財政における意思決定の分析」経済企画庁経済研究所編『経済分析』第71号.
※6 野口悠紀雄・新村保子・竹下正俊・金森俊樹・高橋俊之 (1978) 「予算編成のシミュレーション・モデル」経済企画庁経済研究所編『経済分析』第73号.
※7 野口悠紀雄 (1979) 「政府の意思決定に関する実証研究 - 批判的展望」一橋大学研究年報『経済学研究』第22巻 225-300頁.
※8 西山一郎 (1995) 「わが国の市町村における予算編成過程(1) - 1994年の調査」香川大学経済研究所『香川大学経済論叢』第68巻 2-3号 3-40頁.
※9 西山一郎 (1996) 「わが国の市町村における予算編成過程(2) - 1994年の調査」香川大学経済研究所『香川大学経済論叢』第69巻 1号 1-60頁.
※10 西山一郎 (1996) 「わが国の市町村における予算編成過程(3・完) - 1994年の調査」香川大学経済研究所『香川大学経済論叢』第69巻 2-3号 3-143頁.
※11 宮﨑雅人 (2015) 「都道府県における予算編成過程に関する分析」『自治総研』通巻443号 52-78頁.
(3) 「行政組織の意思決定においては未だに『行政の無謬性』の幻想のもとに、一度行った意思決定について、それが『正しい』ものとして固執する傾向がある」
足立忠夫 (1992) 『新訂 行政学』日本評論社.
(4) 「(無謬性に囚われた官庁の) 典型的な論理は、『組織の目的は危機を起こさないことだから、危機が起きた時のことをその組織が考えてはならない』というものである。これは一種の自己言及的論理の罠に陥っているといえる。なぜ『組織の目的が達成できない時の善後策を、その組織が考えてはいけない』という暗黙の前提が、思考上の拘束力を持つのだろうか」
小林慶一郎 (2016) 「財政の危機管理と政官ガバナンスの問題点」齊藤誠・野田博 編『非常時対応の社会科学』有斐閣.
(5) 1996年に橋本内閣によって設置された行政改革会議はその最終報告書の「行政改革の理念と目標」において、「行政が公正な政策判断を保つためには、その意思決定を透明かつ明確な責任の所在の下に行うことが必要不可欠である。また、時代環境がめまぐるしく変化するなかで、行政のみに無謬性を求めることは、その政策判断の萎縮と遅延、先送りを助長することになりかねない。この際、発想を転換し、行政の失敗の可能性を前提に、絶えず政策の評価や転換、さらには官民を問わない政策の自由競争を促す環境を整備するとの視点も必要ではなかろうか」と建言している ※1 。
 また、2013年に第2次安倍内閣が設置した「国・行政のあり方に関する懇談会」においても、行政の無謬性、前例主義をどのようにして打破すべきかが議論されている ※2 。
※1 「行政改革会議最終報告書」1997年12月3日
http://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/report-final/ (2020年9月22日最終閲覧)
※2 内閣官房「国・行政のあり方に関する懇談会」2013年10月29日~2014年6月12日 「全体の議論の構造」
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kataro_miraiJPN/sum/pdf/macro.pdf (2020年9月22日最終閲覧)
(6) 埋没費用効果は他に埋没費用の誤謬、サンクコスト・バイアスともいい、行動経済学の心理会計 (Mental Accounting) の一種である ※1-5 。
※1 Thaler, Richard H. (1980) 「Toward a positive theory of consumer choice」Journal of Economic Behavior & Organization, 1980, Vol. 1, Issue 1, pp. 39-60.
※2 Tversky, Amos and Kahneman, Daniel (1981) 「The framing of decisions and the psychology of choice」Science, 1981, Vol. 211, Issue 4481, pp. 453-458.
※3 Tversky, Amos and Kahneman, Daniel (1984) 『Choices, Values, and Frames』American Psychologist, 1984, Vol. 39, No. 4, pp. 341-350.
※4 Arkes, Hal R. and Blumer, Catherine (1985) 「The psychology of sunk cost」Organizational Behavior and Human Decision Processes, 1985, Vol. 35, Issue 1, pp. 124-140.
※5 Arkes, Hal R. (1996) 「The Psychology of Waste」Journal of Behavioral Decision Making, 1996, Vol. 9, Issue 3, pp. 213 - 224.
(7) プロスペクト理論からは、損失回避バイアス (損失回避性) の他に、参照点依存性、感応度逓減、確率ウェイト関数などが主に広く用いられている。
Kahneman, Daniel and Tversky, Amos (1979) 「Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk」Econometrica, 1979, Vol. 47, No. 2, pp. 263-292.
Tversky, Amos and Kahneman, Daniel (1992) 「Advances in prospect theory: Cumulative representation of uncertainty」Journal of Risk and Uncertainty, 1992, Vol. 5, No. 4, pp. 297-323.
(8) 塚原 (2018) ※1 は、「何らかの政策が採用され,ひとたび支出がなされると,行動経済学の観点から,そこが参照点になり,そこからの支出減は,受益者にとって損失とみなされるので,強い抵抗があると予想される」とする。また、Kahneman (2011) ※2 は、改革で不利益を被る集団が政治的な影響力を持っている場合、利益を受ける集団よりも積極的かつ強い決意をもってその影響力を行使すると述べている。
※1 塚原康博 (2018) 「公共政策と行動経済学 - 事実解明的な分析の観点から」情報コミュニケーション学研究所『情報コミュニケーション学研究』第18号 53-66頁.
※2 Kahneman, Daniel (2011) 『Thinking, Fast and Slow』Farrar, Straus and Giroux. 村井章子 訳 (2014) 『ファスト&スロー』(上・下) 早川書房.
(9) 池上知子 (2012) 「格差と序列の心理学 - 平等主義のパラドクス」ミネルヴァ書房.
Jost, John T. and Banaji, Mahzarin (1994) 「The Role of Stereotyping in System-Justification and the Production of False Consciousness」British Journal of Social Psychology, 1994, Vol. 33, No. 1, pp. 1-27.
(10) Jost, John T. (2011) 「System Justification Theory as Compliment, Complement, and Corrective to Theories of Social Identification and Social Dominance」 In D. Dunning (Ed.), Frontiers of social psychology. Social motivation, pp. 223–263. Psychology Press.
van der Toorn, Jojanneke., Feinberg, Matthew., Jost, John T., Kay, Aaron C., Tyler, Tom R., Willer, Robb., Wilmuth, Caroline (2014) 「A Sense of Powerlessness Fosters System Justification: Implications for the Legitimation of Authority, Hierarchy, and Government」Political Psychology, 2014, Vol. 36, Issue 1, pp. 93-110.



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