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バリアフリーガイロク事バリロクは2022年の4月から本格的に活動を始めた
ドキュメンタリーを中心に社会問題の解決や心のバリアフリーの輪を広げるための番組です。

このチャンネルでは16歳で交通事故により脊髄損傷になった当事者の
高尾を中心に始まった。

高尾のバリロクへの思い

僕は子供の頃はサッカーに明け暮れていました。
毎日練習をして人の何倍も努力しました(笑)
そして小学校6年生の時には海外選抜にも選ばれました。
非常に良い経験をさせて頂いたことを今でもしっかりと覚えております。

そして中学生に上がるころにはいわゆるクラブチームからのオファーもありましたが、母子家庭という事もありなかなか言い出せずに中学校の部活の
サッカー部に入りました。

中学2年生の頃です。
過度の運動により腰椎を分離骨折してしまい、1年間のサッカー禁止命令が
お医者さんから下されました。
当時の僕は自分がサッカーが出来ない、試合に出れないのが嫌になり、
いわゆるヤンチャしている友達と遊ぶようになります。

遊びに明け暮れるようになり、サッカーもしなくなりました。
そして高校は、当時公立高校が無償かだったこともあり
入学して通っていました。

そのころには腰のケガも治っていたので、サッカー部に所属して
いました。

そんな日常を過ごす中で、事件は起きました。

高校1年生の12月19日の事です

僕はサッカーの試合がその日にあったことまでは覚えています。
試合が終わり、バイクで帰宅中の帰り道の時の事です。

その時の事は全く記憶にないので、現場検証や周りにいた友達から聞いた
話ですが、山の中の急カーブで僕がバイクで滑ってコケて、対向車線に
はみ出したらしいのですが、その先にたまたまトラックが来ていて正面衝突
してしまいました。

気が付いた時にはしゅづつも終わり、何やらよく分からない管がたくさん体につながっている状況、、
そして襲い掛かる激痛です。

お医者さんから聞いた話ですぐ理解しました。

一生歩けない

その宣告を受けた時は強がっていたしその後友達も来てくれたので、
落ち込まないふりをしていましたが、一人になった時少し落ち込んだのを覚えています。

その当時の彼女も最初はお見舞いに来てくれてたのですが、
もう歩けない事を話してから、徐々に来てくれなくなり、
音信不通になりました。

リハビリを終え専門学校に行きその後就職しますが、
あまり長続きせずすぐやめてしまい、ホームレス生活を少しだけしていました。

そんな時に福祉制度と言うものをよく理解して、様々な制度を使いつつ、
いろんな事業支所と関わりながら現在に至ります。

僕は色々な障害をお持ちの方と接していく中で、もっと世の中の人たちにも
知ってほしい、同じ境遇の方、何かしらで社会に生きづらさを抱えている方の前に向くきっかけを作りたいと始めたのがyoutubeチャンネルバリロク
の原点です。

今後は今まで沢山の方に助けられ手生きてきましたが、
このチャンネルをきっかけに、誰かを助ける、誰かの役に立つことを
していきたいと考えております。

是非チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
皆様のご声援が力になります。

バリロクチャンネル 高尾

https://www.youtube.com/channel/UCNZ_H5ptxm352d7MMSk55tQ

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