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2003年のバット&ホール (The Bat&Hole at 2003)

あらすじ

時は2003年、9月。吹奏楽部の顧問を務めた、ある一人の女性教師がこの世を去った。余命わずかと宣告されながらも、夏の吹奏楽の大会へ向けて、生徒たちと共に大会へ挑むことを選んだ彼女。この物語は、人生の残り数カ月を必死に生き抜いた彼女と、そんな彼女に恋をした、とある高校生男子の物語である。


プロローグ

【二〇一〇年九月】

 頭の中を、沢山の言葉たちが泳いでいる。
 私は小説を書こうとしている。書きたいと思っている。あの夏の前に起きた出来事を、書かねばならないと感じている。
 けれど、容易にはいかない。書こうとしている言葉を、頭の中の無秩序な言葉達を、掴んでは白い原稿の上へ並べようとするのだけれど、掴んだそばから言葉は、うなぎのごとくにゅるりと逃れ、また混沌とした脳内の溜め池の中へと戻ってしまう。
 はぁ。溜め息が出る。私に物語は書けない。これまで沢山の本を読んできた。参考にすべきものはいくらでもある。けれど私が今書こうとしている話は、書きたいと思う物語は、そして書かねばならない記憶は、それらのどの言葉を代用しようとしても、うまくいかない。
 つまり私は、私自身の言葉で書くより――脳内の溜め池に無秩序に投げ込まれた他人の言葉ではなく、自分の精神という煮えたぎるマグマの中から、あるいはそれよりもっと深い所にある核の中から取りだした、純粋で、完全なオリジナルである表現を使うより、自身の小説を綴る術は無いのだと知る。

 そこまで書いて――突然湧き起こった感情の赴くまま滅茶苦茶に、先ほどのくだらない冒頭文を、ノートパソコンの画面に向けてタイピングした後で、私はかつて兄が使っていた部屋に足を踏み入れる。
 兄が家を出てからもう五年も経つというのに、机の上の透明シートに挟まれた書類や写真、本棚に並べられた漫画や参考書、積み上げられたゲームソフト、壁に貼られたスポーツ選手やアニメのポスター、自作の絵画に至るまで、彼が家にいた当時のままで残っている。
 下手に弄ったからといって怒られるわけでは無い。ただ、家族の誰も手を付けようとしないだけだ。特に意味があるわけではないけれど、なんとなく、私はそれに意味を感じずにはいられない。
 兄はきっと、ここに自分の抜け殻を残していったのではないか。高校当時の姿を、そっくりそのまま。
 抜け殻。どうしてそんな言葉が出てくるのか。勿論自分自身がかつて、二〇〇八年から今年の半ば、つまり中学三年から、つい二ヶ月ほど前のあの日の出来事までの間、抜け殻みたいに過ごしていたという経験からでもある。家を出る前までの彼は、そう、この間までの私と同じようだった。抜け殻だった。
 二〇〇三年から二〇〇五年の春まで、どうして彼が抜け殻のようになってしまったのか。当時まだ小学生だった私にはわからなかった。明るく、朗らかな兄が――いつも暖かな色遣いで、胸躍るような楽しげな絵を描いては、私に見せてくれた兄が、急に塞ぎ込み、全く何の絵もかかなくなってしまった理由を、何も。
 けれど、今ではわかる。兄の机の引き出しを開け、兄が当時書き綴っていた日記帳を見つけて。そこにある、哀しい物語を読んで。
そう、それはただの日記ではなかった。物語だった。ノンフィクションの出来事でありながら、私がこれまで読んできたどんな小説よりも、小説然としたものだった。
 つまり兄も当時、物語を綴らねばならなかったのだ。そういう状態にあったのだ。誰に読ませようというつもりはなくても、やはりそうせざるを得なかったのだろう。
 勿論、そんな彼の物語を、私は私自身の物語の参考にしようなどとは思っていない。いくら自分と血の繋がった、最も身近な存在である兄が書いたものだとはいえ、この文章は飽くまで兄以外の誰のものでもなく、私が扱えるような代物ではない。
 それでも、私は彼の物語を読み、語らずにはいられない。兄が伝えなければならなかった文章を、今こうして、兄の代わりとなって伝えずにはいられない。
 それは、ひょっとすると兄の望むことではないかもしれない。いくら温厚な兄でも、そんなことをすれば、妹である私を叱るかもしれない。蔑むかもしれない。
 けれど少なくとも、この物語に描かれた、兄ともう一人の、別の人物は喜んでくれるような気がする。なぜならこの小説は、彼女が生きた証だから。この世に存在していたことの、すべてだから。
 私も覚えている。今でも思い出せる。彼女の笑顔を。優しく、愛らしかった、コモリカホコという一人の女性の存在を。
 二〇〇三年。これは今からもう、七年も過去に遡る出来事である。

#1

【二〇〇三年九月】

 何もない空を見ていた。雲ひとつなく、カラリと晴れた、九月の始まりの空を眺めていた。
 蝉の鳴き声はまだ聞こえていたけれど、夏はもう立ち去る支度を終え、よっこいしょと、まるで年老いた旅人のように、重い腰を持ち上げていた。そして、ここではないどこか遠い世界へと続く道に、一歩、また一歩と足を進め始めていたのだ。
 やがて彼が去った道の上に、蝉の骸がぽとり、ぽとりと落ちてゆくだろう。それは一見、悲劇の幕開けのような印象だが、実際は木の葉が落ちるのとなんら変わることのない、素朴で儚き自然の営みである。
「なにしてんですか、そんなとこで」
 地上から声が聞こえた。ぼくが仰向けに寝転んでいる滑り台のてっぺんから、首を動かして下を見ると、ナツキが立っていた。右手にクラリネットのバッグを持ち、左の腋に譜面を貼った大きなスケッチブックを抱えて。
「よぉ」
 ぼくは、頭の下に組んでいた手の片方を挙げて、彼女に挨拶した。
「ブカツ、もう終わったのか」
「はい、今日は個人練習だけだったから」
 そう言って、ナツキは笑う。旅立つ夏が唯一置き忘れてしまったもの、遅咲きの向日葵のような笑顔だった。
「ねぇ、なにしてるんですか、そこで」
 ナツキは、最初の質問を繰り返した。あぁ、再び両手を頭の後ろに手を組みながら、ぼくは少し考え、こう答えた。
「夏に、お別れしてた」
 ぷっ、なんですかそれ。ナツキは笑う。釣られてぼくも、笑うところだった。いや、笑ったらよかったのだ。もしも今のぼくに、何もかもを忘れ、素直に笑える力が残っていたのなら。
 ふと、そのときぼくの視界を、黒くて小さい何かが横切った。
「あ、蝙蝠」
 直感的に、ぼくはそれと気づいた。それを聞いたナツキは、急に驚いたような声をあげた。
「えっ、うそ。コウモリ!?」
 蝙蝠は、パタパタとぼくの周りを飛んでいた。別に、慌てるほどのことではない。街中でもごく普通に飛来しているイエコウモリというやつだ。若干、起きる時間が早い気はするけど。
「センパイ、逃げてっ! 血ぃ吸われますよっ」
 何も知らないナツキが言う。西洋文化から勝手に刷り込まれた、偏見というやつだ。
「この蝙蝠は血なんか吸わないよ。虫を食べるだけさ」
 蝙蝠はパタパタと何度かぼくの上を旋廻したあと、公園の外を流れる川を渉った。そして夕暮れが始まろうとする空へと、遠く、遠く飛び立っていった。蝙蝠は飛んでゆく。ぼくの元から離れ、蝙蝠は飛んでゆく。
 その小さな影を目で追いながら、ぼくはふと、先日図書館で読んだ与謝野晶子の歌集『佐保姫』にある句の一つを思い出した。

夕風や 煤(すす)のやうなる 生きものの かはほり飛べる 東大寺かな

「かはほり」とは蝙蝠を指すが、与謝野晶子がこの句を詠んだのと同じように、今ぼくの目にも、この黒く小さい生き物はススのように見えていた。何かが燃えたあとの、残りかすのようなものに……それは、空へと溶けて無くなってしまったのだ。
 と、そう思うと、また激しい波がぼくの心に打ち寄せてくるような気がした。夏の終わりの海が、ひどく時化るときと同じように。そして急にこぼれそうになる涙を、ぼくはぎゅっと目を閉じることで、なんとか堪えようとした。
 もう、忘れるべきなのだ。何もかも忘れてしまえば、心は乱されることもないというのに。しかし、ぽっかりと晴れ渡った空を見るだけで、思い出されるこの哀しみよ。おまえはいつまでぼくを苦しめ続けるんだ。
 あいた穴を塞ぐ力は、もうぼくの心には残されていなかった。蝙蝠が飛び去ってしまった何も無い空と同じように、深く穿たれたぼくの心の空洞(ホール)には、ただただ隙間風が通り抜けるほか、何もなかった。そして風が通るたびに、かさぶたもできない心の傷口が、未だにびりびりと激しい痛みを起こすのだった。
「センパイ、どうしたんですか。センパイ?」
 下の方からナツキが、また声をかけてきた。ぼくはそれに「なんでもねぇよ」と答えて、彼女がいるのとは逆のほうに寝返りを打った。それは、おれに構うな、という意思表示でもあった。
 今は、そっとしておいてほしかった。失ってしまったものの残像と共に、誰にも構われること無く、ぼくだけひとりにしておいてほしかったのだ。
 現実にも、冷たい風が目を閉じたぼくの頬を打った。それは、これから後に控える季節が、これまでより一層厳しくなることを伝えているように、ぼくには思えてならなかった。

 これは、ぼくが失ったものについての話である。物語は二〇〇三年六月から始まり、同じ年の九月で終わる。
 否、正確には、物語はぼくが生まれたときから始まり、まだ終わっていないのかもしれない。なぜならその失ったものは、ぼくが生まれたころから当たり前に存在していたもので、この物語を書いている二〇〇五年、そろそろ実家を離れようとする前の現時点で、その失ったものの代わりとなるものを、見つけ出せていないから。
 そもそも、代わりとなるものなんて、もうこの世には存在していないとすら思えるけれど。それなら、物語はずっと終わらない。ぼくが死ぬまで終わらない。
 どちらにしても、ぼくはこの物語をそれ以上長く語るつもりはない。少なくとも、今のところはまだ。

#2

 コウモリ先生は音楽担当の女の先生だった。
 コウモリ先生というアダ名の由来には、単に苗字が「コモリ」だったからという以外に諸説あって、家で蝙蝠を飼っているからとか、吸血鬼映画が好きで、授業中もよくその話題を持ち出すからだと言われていた。
 前者についてはどこから出たのか定かではない根も葉もない噂なのだが、後者については、そう捉えられてもおかしくなかった。
 事実、ぼくも授業で幾度か聞かされた。中でも『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』という映画の話は、少なくとも三回は聞いた気がする。「この映画に携わった作曲家のエリオット・ゴールデンサールは素晴らしい現代音楽家です」とか、確かそんな風な話題だった。勿論、主演のブラッド・ピットやトム・クルーズのこともよく話に出てきた。
 他にも変な噂はあった。それは、先生自体が実は蝙蝠で、休み時間の音楽室で、よく天井の蛍光灯に足でぶら下がって昼寝をしているのだとか、たまに男子生徒を音楽準備室に連れ込んで、その首筋に歯を当て、血を吸っているのだとか言う類のものだ。
 そんな噂も、誰が広めたのかわからない。そもそも、実際に生徒が血を吸われるようなことがあったのなら、学校内外でも相当な問題沙汰にされているはずだ。
 ただそれというのも、四〇歳近い年齢だというのに関わらず、先生がまるで二〇代のような張り艶のある白い肌と、日本人形のようにサラサラとした黒髪の持ち主であったからだった。
 それに対しては、整形してるんじゃないかというくだらない噂よりも、やはり、吸血鬼だから齢を取らないのだとか、我々高校生の血を吸うことで、若さを保っているのだとかの方が多かった。
 ぼくの学校の生徒の多くは、先生の美貌に、人の手によって作られた美しさよりも、何だかこの世のものとは思えないような不気味さの漂う美しさを見出していたのだろう。
 そして事実、先生は怖かった。授業中私語をしたり、リコーダー等の楽器を雑に扱ったり、居眠りや他の授業の内職をしていたりする生徒には、容赦なかった。
「教室の後ろに立ってなさい!」
 普段はとてもおっとりとした声で、歌うように授業をするのに、コウモリ先生が突然ピシャリとそう言い放つと、どんなにひねくれた生徒でも大人しくそれに従うのだった。
 ただ、そんなコウモリ先生とぼくとは、ちょっとした親しい間柄にあった。ぼくらは、親戚同士だったのだ。
 コウモリ先生、いや、カホちゃんは、ぼくが小さい頃から、よくぼくの面倒を見てくれた。ぼくがカホちゃんによくなついていたせいか、それともカホちゃんがぼくのことを特別に好いていてくれたからなのかはよくわからなかったが、家も近かったぼくらは、度々お互いの家に行き来し、遊んでもらったものだった。
 特に、幼稚園生ぐらいから小学校低学年ぐらいにかけては、週末になるとほぼ必ずと言っていいほど、会っていたような気がする。
「ほんとうに姉弟みたいだねぇ、ふたりは」
 ぼくの両親や、カホちゃんの両親(つまり、ぼくの伯父さん、伯母さん)、または、その他の親戚の人々も口々にそう言った。
 しかしよくよく考えてみれば、普通の姉弟でもなかなかそういう関係は築けなかったのではないだろうか。なにせ、ぼくとカホちゃんは二〇歳も年が離れていたのだ。ちょっとした若い親と、その子どもぐらいの年の差だった。
(そして実際、ぼくには七つ歳が離れた妹、キヨミがいるけれど、キヨミとはそれほど親密な仲は築けていない。時々ぼくが美術部で描いた絵を見せてあげても、「ふうん、お兄ちゃんが描いたんだ」と言うだけで、巧いとも綺麗だとも言ってくれない。まぁ、下手だとか汚いとか言われるよりはマシかもしれないけれど)
 でもぼくは、物心がついたときからカホちゃんのことを、おばさん、とも、お姉さん、という風にも見てはいなかった。身長も体型も大人の女性であったカホちゃんを、ぼくはまるで、同い年の友達のような感覚で見ることができた。
 理由は、その幼さの残る顔立ちにあったのかもしれない。さっきは、この世のものとは思えない不気味さ、という風に形容してしまったけれど、ぼくにとってそれは、少女のような顔立ちに見えた。
 本当に、「まるで人形のよう」だという言い方が相応しいだろう。見る者によってそれは、とてもあどけなくて可愛らしくも見えるし、また少し不気味にも見て取れるのだ。
 そしてぼくにとっては、前者の方だった。また、そのおっとりとした声も、女の子のように愛らしかった。最近ではよくアニメ声とかいう言い方をされるのを聞くが、まさにそれだった。
 また、カホちゃんの性格そのものも、とても子どもっぽかった。幼いぼくがひとりで寝そべってお絵かきしていると、
「あたしもいっしょにお絵かきさせて」
 そう言って、カホちゃんもぼくの隣に寝そべり、お絵かきを始めるのだ。でも、その絵がとても下手っぴで、「ねこさんだよ」とか言いながら、ぶたさんのような丸々した、鼻の大きな動物の顔を描くのだった。それでぼくが、
「カホちゃん、違うよ、ねこさんはこうだよ」
 そう言って、小さい鼻と、その左右に三本ずつ伸びるひげと、それから特徴的な大きな目と、その中の針のように細い瞳を描いてみせると、
「すごい、コーちゃんじょうず! その絵、あたしにちょうだい、お願い!」
 と、目をきらきら輝かせながら言うのだ。
 それから、こんなこともあった。ぼくがカホちゃんの誕生日に、アルミホイルとビー玉で作った指輪をプレゼントしたときのことだ。お世辞にも綺麗と言えるようなものではない、ただのガラクタだったのに、カホちゃんは、
「わぁ、すごくきれいね、ありがとう!」
 そう言って、自分の左手の薬指にはめ、愛おしそうに眺めてくれた。しかもそれだけではなく、次の日から仕事に行く時も、その指輪をずっとはめていてくれたのだという。
「先生、なんですか、そのオモチャみたいなの」
 学校で生徒に聞かれるたび、
「これはね、コーちゃんっていう優しい子が、あたしのためにプレゼントしてくれたものなのよ」
 そう答えたのだそうだ。
 しかし、そう毎日カホちゃんがはめてくれることを想定せずに作っていたガラクタの指輪は、一週間と経たないうちにくにゃくにゃになり、セロハンテープでくっついていたビー玉も外れ、どこかに転がって無くなってしまった。
 それをわざわざぼくに知らせに来たとき、カホちゃんは泣きながら、
「ごめんね、コーちゃん、ごめんね」
 そう何度もぼくの前で謝ってくれたことを覚えている。
 と、そんな思い出を挙げてみたところで、今、ぼくも思うところがある。ひょっとしたらカホちゃんは、本当に歳を取らない吸血鬼だったんじゃなかったろうか。ぼくより凄く年上なのに、全然大人に見えないカホちゃんは、考えてみると『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で幼いまま吸血鬼となり、一生大人の体になれない運命を背負わされた少女クローディアを連想させる。
 しかし実際には、そんなことは全然なかった。カホちゃんは、体の面では間違いなく大人の女性だった。割と胸も大きくて、ぎゅっと抱きしめられるたび、幼いながらぼくも、少しどきどきしてしまったものだ。
 そして、カホちゃんは本当に不死なんかじゃなかった。八月のある日、吹奏楽部の顧問、そして指揮者としてコンクールの舞台に上がったカホちゃんは、素晴らしく感動的な指揮をした直後、舞台上に倒れ、病院に運ばれた。そしてそのまま、帰らぬ人となってしまったのだ。

#3

【二〇〇三年六月】

 カホちゃんが初めての失神を起こしたのは、六月のある木曜日のことだった。
 吹奏楽コンクールの県大会直前で、練習も凄く忙しい時期。合奏中、指揮棒を振っている最中に、カホちゃんは倒れたのだ。
 そのときぼくは、美術部室で油絵を描いている途中だった。上の階での合奏が突然鳴り止み、騒がしくなったので、パレットをその場に置き、手も油まみれのまま慌てて音楽室まで駆け付けたのを覚えている。
 今思えば、どうしてそれでカホちゃんの身に何かあったんだと悟ることができたのか、不思議でならない。きっと第六感的な何かが働いていたのだろう。
「コウモリ先生、しっかりしてください!」
 教室に入るや否や、そう誰かが叫ぶのが聞こえ、一番前の席のフルートパートや、クラリネットパートの子たちが、必死になってカホちゃんを起こそうとしているのが見えた。
「すぐに救急車を呼んで」
 そのときぼくは、先に予感があったお陰か、凄く冷静に振舞うことができた。合奏の席の後ろの方で何をしていいかわからずにおろおろしているトロンボーン奏者の男子生徒にそう指示し、部員の群れをかきわけて、カホちゃんのもとへ辿り着いた。
「先生、大丈夫ですからね。直ぐに救急車が来ますからね」
 周りの生徒たちを意識しながら、そんな丁寧口調でカホちゃんに声をかけることもできた。しかしカホちゃんの方は、全然余裕なんか無くて、僅かに残っている意識で、生徒たちの前なのに恥ずかしがらず、
「コーちゃん」
 ぼくのことをそう呼んだ。
 カホちゃんと一緒に救急車へ乗り、病院まで向かった。診察室にカホちゃんが運ばれていくのを見送った後、廊下の長い椅子に座って、随分長いこと待ったような気がする。
 一体何が起こったのか、そのときには全くわからなかったのだけれど、また何かの予感がしていたのか、そのときぼくは、アーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』の終盤シーンを思い浮かべていた。ぼくもフレデリック・ヘンリーのように、カホちゃんが回復するのを待っている間、どこかへ食事でも出かけるべきか、そう思った。
 ただ、お金なんか持っていなくて、未成年であるぼくには、二皿のハム・エッグはコンビニの100円おにぎり二つに変わり、半リットル入り白ビールは200ミリリットル紙パック入りのお茶に変わってしまったのだけれど。
 その場には、ぼくひとりがいたわけではない。コウモリ先生を心配した吹奏楽部員の女子生徒の何名かも、自転車で病院まで駆けつけ、ぼくと同じ長椅子に座り、黙って待っていたのだった。
 そのとき、ぼくと彼女たちは一切会話をしなかった。そういう雰囲気ではなかった。彼女らは、カホちゃんの安否だけでなく、目の前に迫ったコンクールのことも考えなければならなかった。一方ぼくは、カホちゃんのことだけを考えればよかった。
 でも待ってる横で、おにぎりなんかをはぐはぐ食べながら、不謹慎だという風な目で見られていたのは、ぼくの方だった。そんな不謹慎なぼくが、
「カホコさんの身内の方ですか」
お医者さんからそういう風に一人だけで呼ばれ、慌てて口の中のおにぎりをお茶で流し込みながら「はい」と答えて立ち上がったとき。吹奏楽部の彼女たちは、きっとぼくのことを、敵意ある目で見ただろう。
 勿論こちらにはそんな筋合いはないけれど、そういうのは人間にとって、不可解だけれど、よくある心理の一つである。
 私たちはこうして先生が心配で駆けつけたのに、何で親戚のあんたがそんなに冷静なの。許せない。別にそういう風に思ってくれても、ぼくは構わなかった。ぼくという存在を敵と見なすことで、彼女たちの気が紛れるなら。
「取り敢えず今、お姉さまはある程度まで落ち着かれました」
 安らかな表情で眠っているカホちゃんの前でお医者さんからそう言われ、ぼくは一度ほっとした。カホちゃんは姉ではありません、ぼくの従姉です、そんな訂正をすることも忘れるくらいに。しかし、「取り敢えず今」や、「ある程度まで」という言葉に含まれる微妙なニュアンスが、多少気になりもした。
 そしてその不信感は、あとから医者が、「今晩は絶対安静です」とか、「まだ検査してみないことには」などといった説明をする度に、段々と膨らんでいった。
 お医者さんはそのとき、明らかに何かを隠していた。それが何なのか、無知なぼくには想像できなかったし、また、したいとも思わなかった。「取り敢えず」、今は無事だと言うお医者さんの言葉を信じるしかなかった。
 時刻は夜中の九時ぐらいを回っていた。ぼくは吹奏楽部の生徒たちを、先に帰らせることにした。
「きみたち、今晩は大丈夫だって」
 その言葉は少なくとも嘘ではなかった。ぼくが感じた不安も、診察室から出た直後、一度洗面所へ行って顔からサッパリ洗い流してきたはずだった。
けれど、彼女たちは皆、戸惑ったような表情のまま帰っていった。ぼくに対する不信感もあったのかもしれないけれど、何よりも、やはり明日以降の練習がどうなるかが不安だったのだろう。
 また或いは、カホちゃんの顔が見れないまま帰らされることについての不満もあったのかもしれない。一応ぼくだけはカホちゃんの穏やかな顔を確認したけれど、意識はまだ戻っていないようだったし、それで本当に無事だと言えるのか。ひょっとしたらもう既に、カホちゃんは虫の息なのかもしれない。
 22時ごろ、温泉旅行の途中に知らせを受けて、慌てて帰ってきた伯父さんと伯母さんが病院に着いた。
「コウヘイ君、ありがとう。ほら、もう帰りなさい、明日も学校でしょう」
 ぼくは、カホちゃんと共に病院に一泊し、翌日は学校を休むつもりだったけれど、その直後にぼくの両親もやって来たので、半ばムリヤリ連れて帰らされた。
 帰り際、ナースステーション付近にある談話室のソファに腰掛け、ひとり新聞を読んでいる老患者を見かけた。一度立ち止まって覗き見ると、ページは国際欄で、バグダッドでまた何か事件があったらしいことが書かれていた。
 その日バグダッド国際空港近くで米軍の車両に爆弾攻撃があり、米兵一人が重傷を負っていたらしい。また、郊外でもCPA(イラク暫定統治機構)の車両が攻撃を受け、イラク人一人が死亡していた。三月に始まり、五月の初頭に終結宣言が出されたはずのイラク戦争は、現実にはまだ続いていたのだ。
 しかし、それらを憂いている余裕はぼくにはなかった。日本から遠く離れた世界で起きている戦争なんて、ぼくの気を紛らわすための敵にはなってくれなかった。
 父親が「コウヘイ」とぼく呼んだとき、老患者もぼくに気付いたようだった。彼はぼくと一度目を合わせてから新聞を畳むと、立ち上がって軽く会釈し、病室へと帰っていった。
 いつ出られるかわからない、あちら側の世界へ消えていったのだ。直にぼくも、それとは反対側の、外の世界に帰らねばならなかった。大切な人を、あちら側に残したままで。

#4

「あらコーちゃん。学校お疲れ様!」
 翌日、授業が終わって病院へ直行したぼくに、カホちゃんはいつも通りの元気そうな笑顔を見せてくれた。来るまでに、いったいカホちゃんはどんな様子なんだろう、もしも酷くやつれて、太陽の光を浴びせられたヴァンパイアみたいにミイラのような顔になっていたらどうしようか、と心配していたのが馬鹿みたいに思えるほどに。
 そのときベッドの手前側には、伯父さんが折りたたみ椅子に座っていた。ぼくが来ると、「やぁコウヘイ君」と言って、自分の隣にぼくが座る用の折りたたみ椅子を出してくれた。カホちゃんの顔に近い位置だ。
 またベッドの向こう側に座っていた伯母さんは、その時ちょうど林檎を剥いていて、ぼくにも三欠片ほど「どうぞ食べて」と言って出してくれた。蜜入りの、甘く新鮮でシャキシャキした林檎だった。
「カホちゃん、体大丈夫なの?」
 椅子に腰掛け、林檎を一欠片だけ食べて尋ねると、枕を二段重ねにして上体を少し起こすような姿勢になっていたカホちゃんは、笑って、
「うん、明後日、日曜日には退院できるって」
 と元気良く答えた。それに対してぼくは、嬉しいというよりも、可笑しい、という気持ちを強く感じてしまった。やっぱりカホちゃんは、病気なんかしない、たとえ一度倒れても直ぐに回復する、ヴァンパイアなのかもしれないと思った。そしてやはり、ぼくが昨晩感じた心配は、杞憂だったのだと。
 しかしその日の帰り、伯父さんが「送っていくよ」と言って、車を出してくれたとき。助手席に座って見た伯父さんの表情は、カホちゃんが元気になったにしては、硬く、険しいものだった。いつもは陽気でお喋り好きの伯父さんが、どうしたんだろう。車の中、長い沈黙が続いていた。
 天気はどんよりとした曇り空だった。遠くの方の空では、ゴロゴロという雷鳴が響いていた。そんな空の下では、国道を行く車の列も、何やら冷たい表情を投げかけながら走っているように見えるから不思議だった。
「コウヘイ君、ちょっとよく聞いて欲しいんだけれど」
 信号が待ちで止まった交差点で、伯父さんはようやく決心が着いたように、ぼくにこう告げた。
「……カホコのやつ、今日あんなに元気そうに振舞っていたけど……実はその、今あいつ、癌に侵されているようなんだ」
 耳を疑う、とはこのことだった。「癌……ですか」一度確認してみて、伯父さんが頷くのを見たが、それは改めてぼく自身をただ愕然とさせるだけの、余計な行為でしかなかった。
 テレビのドキュメンタリー番組の再現映像や、医療系のドラマなんかで今まで飽きるほど見せられてきたお決まりのシチュエーション。そこに実際立たされてみて、表面上ぼくは、ほんとにそれらと同じような反応しかできなかったわけだけれど、内面では、とてつもない衝撃を受けていた。
 それは鉛の玉が上からストンと落ちてきて、下にあったぼくの心臓を押しつぶしてしまったように、初めはガツンと響き、そしてその後は、じわじわと広がっていったのだった。
「そのこと……カホちゃんは?」
 訊くと、伯父さんは苦い顔をしながら、
「カホコ本人から聞いたんだよ。ほら……最近じゃ癌の告知は、家族よりも先に、本人にするもんなんだって」
 じゃあ、明後日退院できるって話は……?ぼくが疑問を口にする前に、伯父さんは答えてくれた。カホちゃんは、癌の、それも末期症状に侵されているということだった。残念ながら回復する見込みは無く、余命あと僅か二ヶ月しかないのだという。
 そこで、延命治療か、それとも放置か、という話に進んだのだが、カホちゃんは迷いなく、後者を選んでしまったというのだった。
「だって、延命治療やったって、どうせ治るわけじゃないんでしょ?だったらあたし、何もせず、いつも通りの自然なままで命を全うしたいわ」
 あんたねぇ、何を言ってるのよ。そうだ、最後まで頑張ってみないと、わからないじゃないか。今日の昼頃、伯父さんと伯母さんはカホちゃんの台詞に対してそう反対したが、カホちゃんは全くもって、聞く耳を持たなかったらしい。
 ぼくも延命治療の辛さというのは、テレビのドキュメンタリー等で色々見たことがある。カホちゃんだったら、それを嫌がるに違いないとはぼくも思ったけれど、やはり伯父さんとしては、まだ何とかカホちゃんを説得して欲しいようであった。
「コウヘイ君からも、何とか言ってやってくれよ」
 そう言われて、しかしぼくはただ戸惑うような表情しかできなかった。いったい、ぼくに何が言えるというのだろうか。カホちゃんが癌であるという事実を聞いただけでも、何も考えられなくなっているようなこのぼくが。
 翌日の土曜日は、朝からお見舞いに行った。昨日伯父さんから告白されたことを、一晩悩んでみたけれど、結局何も思いつかないまま。兎に角、カホちゃんの顔が見たかった。余命あと二ヶ月というなら尚更、少しでも長くカホちゃんの傍に付いていてあげたかった。
「おぉ、来た来た。コウヘイ君、暫くカホコと二人でいてくれないか。伯父さんたち、ちょっと用事があるから」
 病室に入ったとき、伯父さんと伯母さんは、ぼくが来るのを待ちわびていたようだった。ぼくがカホちゃんのベッドまで寄ると、伯父さんたちは立ち上がって、「じゃあ宜しく」と言ってそそくさと病室から出て行ってしまった。
「ごめんね、コーちゃん。お父さんたち慌しくって」
 カホちゃんはそう言ったが、伯父さんたちが出て行ったのは、明らかにぼくを気遣ってのことだとわかった。そういうのを、世間一般には「大きなお世話」と言うのだけれど。
 ぼくはカホちゃんと二人きりになって、余計何も言えなくなった。ただカホちゃんの傍に腰掛けて、じっと下を見ているしかなかった。
「どうしたの? コーちゃん」
 カホちゃんが尋ねる。どうしよう、不自然な態度を取ってしまっている。そう思って無理矢理顔を上げると、不安そうなカホちゃんの表情が目に入った。
「コーちゃん、ひょっとして……今日一緒に映画観に行けなくなったこと、怒ってる?」
「へっ?映画?」
 多分そのとき、ぼくは変な表情になってしまったのだと思う。
「なんだ、違うの? ほら……マトリックス観に行こうっていってたじゃない。マトリックス……なんだっけ、リローデット?」
 思い出した。ほんの数週間前、確かにカホちゃん、一度チラリと言っていたのだった。「キアヌ・リーヴス主演なんでしょ! 見たい!」と。
 でもそのときぼくは、「マトリックスは続きものの映画だから、多分、前作見ないとわからないよ。それに、まだその後も続編あるって聞くし」と言って、断ったのではなかったか。しかしながらカホちゃんの中では、勝手に約束は締結されていたようだ。ハリウッド・スターに目が無い、カホちゃんのことである。
「あぁ……見たかったな。ほんと、大会前、今日しか休み取れなかったのに」
 そう言って溜め息を吐く様子を見て、それが本当に癌に侵されている患者の姿なのか、ぼくにはあまり信じられなかった。ぼくにとってそれは、患者衣を着ている以外は、普段どおりのカホちゃんの姿に見えた。
「練習……大変なんだ?」
 と、ようやくぼくは、口を開くことができた。苦笑しながらカホちゃんは、「まぁ、楽な練習だったら、練習にならないもんね」と言った。
「でもね、ほんと今年は、みんな頑張ってるのよ。勿論、去年も、一昨年の生徒も一生懸命だったけど……今年はまた、一段とみんな燃えてくれているような、そんな気がするのね。今度こそ、支部大会の出場権が取れるんじゃないかって、そんな気がするの」
 去年の演奏では、ウチの高校は県大会で金賞を取ったものの、残念ながら支部大会への出場権は獲得出来なかった。三年前までは、連続して出場している強豪校として名が通っていたのだが、一昨年と去年の間僅か二年のうちに、名はすっかり廃れてしまったように言われていたのだ。
 吹奏楽は、そうした意味ではサッカーや野球などの体育系の部活よりも厳しいところがある。県内ベストエイトよりも、ベストツー内の「支部大会出場」という権利が獲得できないと、名声は維持できないのだ。三度目の正直という意味でも、今年の大会では負けるわけにはいかなかったのだ。
「けど、カホちゃん……そんな体で、指揮なんてできるの?」
 カホちゃんは、不思議そうにぼくを見る。
「何言ってるの? あたしはもう元気よ、コーちゃん。明日には、退院できるし」
 しかしそれでも良い表情が返せないぼくに対して、カホちゃんは気付いてしまったようだった。
「コーちゃん……知ってるのね、あたしが癌だってこと」
 しまった、と思って自分を責めるしかなかったが、先に気付いてもらえなければ、結局ぼくは最後まで言い出せなかったに違いない。
「ごめん……カホちゃん。昨日、伯父さんに言われて……」
 カホちゃんは、フウ、と溜め息を吐いて一瞬渋い顔になったけれど、すぐに笑みを作って、ぼくにキッパリと言った。「延命治療なら、受けるつもりないから」と。
「治療なんかしてたら、部活の練習、出来ないじゃない。折角一生懸命になってる生徒たちを裏切るようなこと、あたし、したくないの」
「そ、そんなこと言ったって……あと、二ヶ月なんでしょ?あと、たった二ヶ月の命なんだよ、カホちゃん!?」
「……あと二カ月なら、支部大会までは出れるじゃない」
 いや、そういうことじゃなくて……そう言いかけたけれど、カホちゃんはまた一瞬ぼくに笑いかけて、こう続けた。
「それにね、コーちゃん。あと二ヶ月だからこそ、あたしは指揮することを選ぶの。あと二ヶ月だからこそ、あたしは自分の残りの人生を、あたしの大切な生徒たちのために捧げたいのよ」
 そのときのカホちゃんの目は今まで見たこと無いくらい真剣で、本当に大人の目をしていた。そんな真剣なカホちゃんに対して、ぼくがかけられる言葉は何もあるはずが無かった。
 ぼくは高校に上がる前からも、何度もカホちゃんの指揮を見てきた。小学生、中学生のころの夏休みから、ホールを借りての練習があるときは、一日中カホちゃんと、その楽団とともに過ごした。
 だからぼくは、カホちゃんがいつもどんな風に指揮をするのか、またそこにどんな思いが込められているのか、実際に演奏している吹奏楽部員よりも、強く理解できている自信があった。
 カホちゃんは、演奏者一人一人のことを理解し、愛した。時には勿論、厳しい言葉を投げかけることもあったが、決して見放すことはなかった。付いてこれない生徒が一人でもいれば、その生徒が付いてこれるようになるまで、何度も指導してあげる優しさを示した。
 カホちゃんは、音楽とはそういうものであることを知っていたのだ。一人も欠けてはならない。最初に集まった全ての生徒で作り上げ、一人一人が喜びや、楽しみ、そして感動を分かち合えるものこそが音楽であると。
 いつもカホちゃんのことを外から見ていたから、ぼくは知っていたのだ。「コーちゃんも吹奏楽部に入らない?」カホちゃんから一度そう誘われたこともあったけれど、ぼくはお客さんとして、見守る側に居続けた。
 だって、先生としてカホちゃんを見るよりも、指揮者として見る方が、ぼくは好きだったから。指揮をしているカホちゃんが一番楽しそうで、それを見ていると、ぼくも沢山の元気を貰えたのだった。
 カホちゃんの気持ちや、今までのぼくの思い出からは、やはりぼくは延命治療を勧めることはできなかった。勿論、伯父さんと伯母さんの思いも、考えられないわけではない。ひとり娘を、孫の姿や花嫁姿も見ぬまま失ってしまうことになるのだ。そこには哀しさも、悔しさも、様々な思いが入り乱れているだろう。
 カホちゃんは手を伸ばすと、「心配しないで」と言い、ぼくの膝を軽くポンポンと叩く。
 ぼくはただ、うつむきながら、「うん」と答える。
 心配しないでなんて言われても、正直、無理な話だったけれど。その無理な話を、ぼくは押さえつけるように、胸の奥に仕舞い込んだのだった。ぼくもカホちゃんのことを、これからも応援したかった。治療を受けず、最後まで指揮者をやり通すというカホちゃんのことを。
 しかしその晩も、家に帰ってぼくは、前の晩と同じく、体から何かが抜けたような状態で過ごすことになるのだ。
 夕食を、普段の倍以上の時間をかけてダラダラ食べ終える。自室にこもり、何を観るというつもりもなく、14インチのブラウン管テレビを点ける。リモコンを持ち、ベッドの上でゴロゴロと寝っころがりながら、ザッピングを始める。
 ほとんどのチャンネルはCMを流し、残る僅かなチャンネルでは、天気予報やニュースを流していた。ニュースは相変わらずイラクの荒んだ光景を写していて、とても見る気にはなれない。もう少し待てば九時からの番組が始まるというところだったが、いったい土曜の夜九時にどんな番組があったのか、思い出せはしなかった。
 諦めてテレビを消し、リモコンも投げ捨て、仰向けになる。天井が、いつもよりなんとなく高く感じた。結局、親から風呂に呼ばれるまで、ぼくは目的ある行動を一切何もしないまま過ごしたのだった。
 風呂に向かう直前、ふと時計の針が22時5分ほどを指しているのを見てようやく、毎週楽しみに見ていたコメディドラマを見逃していることに気付いた。だが、それに気付いても悔しいという思いはあまり湧かなかった。
 テレビなんて、所詮は刹那的な娯楽でしかない。それは、ぼくの心を何も癒してはくれない。番組が終われば、また最初のような絶望に逆戻りするだけだ。
 カホちゃんの思いを理解しつつも、ぼくの心の中では、まだカホちゃんの選択を否定しているような部分が残っていた。それはまるで、ぼく自身が二つに分離されてしまったような、奇妙な心境だった。片方ではカホちゃんに賛成し、もう片方ではカホちゃんに反対していた。
 しかしその、反対する部分がある理由というのが、ぼくにはいまひとつ理解できなかったのだ。それはただの、ワガママとも言うべきものだったろうか。いったい、何に対する?理屈で考えても、さっぱり答えは出なかった。

#5

 珍しく夢を見た。
 否、この表現は正しくない。人は寝ているとき、必ず深い眠りと浅い眠りを繰り返す。深い眠りの中で脳を休め、浅い眠りの中で記憶を整理する。そしてこの浅い眠りの最中に飛び交っている断片的な記憶と記憶とが、折り重なり、不可思議な映像として脳内に現れる現象が、夢の正体だと言われている。
 つまり人は誰しも夢を見るし、毎日睡眠をとる限り、夢を見ない日は無いと言っていい。夢を見なかったと思うのは、単に夢を見たという記憶を無くしているだけに過ぎない。
 だから、珍しく夢を見たという表現は誤りだ。正確には、見た夢を珍しく覚えていた、である。
 ただ、覚えていたからと言って、それが重要なこととは思わない。単に覚えているから覚えているのであって、それが何かを示唆しているとか、自分の心理が占えるとか、そういった類のことは、ぼくは信じていない。
 しかし目覚めた直後に感じた、心が、毛糸の玉になって少しずつほどけていくような感覚を――ほろほろと崩れていく感覚を、忘れるわけにはいかないと思う。
 その夢は、母方の祖母が亡くなる夢だった。
「おばあちゃん、どうしちゃったの?」
 そう尋ねた少女は、妹のキヨミだ。四、五才ぐらいまで幼くなっている。まだ人の死というものが何なのか、よくわかっていない様子だった。
「おばあちゃんは、死んだんだ。命が消えて、ただの肉と骨の塊になった。だからこれは、もうおばあちゃんじゃない」
 冷たい声で答えたのは、ぼくだった。ぼくとキヨミは、横に並んで、足下にある筋張った死体を眺めていた。白い患者衣に身を包み、胸の前で手を合わせた老婆の死体を。髪は真っ白で、顔の肉は酷く痩せて、骸骨の形をくっきりと浮き上がらせている。とても醜い死体だ。
 実際、ぼくがそんなものを見た記憶は無い。確かに祖母は、ぼくが小六のころ亡くなった。が、丁度そのとき修学旅行に行っていたため、ぼくが祖母の死の瞬間に立ち会うことはなかった。旅行から帰ってきたときには、既に火葬も終え、墓に入れられていた。
 それについて、別段、哀しいとも、残念だとも思わなかった。人は年をとれば、やがて死ぬのは当たり前だと思っていたし。
 また、祖母ともそれほど親しくしていたわけではない。会うといつも、「お絵かきばっかりしないで、ちゃんと勉強しなさい」と説教されていた。特にキヨミが生まれてからは、「キヨミちゃんキヨミちゃん」と妹だけを可愛がり、ぼくは完全にないがしろにされてしまった。
 だから、ぼく自身もなんとなく、祖母のことをあまり好きではなかったのだと思う。実際に対立するようなことは一度もなかったけれど、祖母が死ぬ夢の中で、ぼくは自分でも驚いてしまうくらい冷血になっていた。「消えた命は、どうなっちゃうの?」というキヨミの台詞に対し、こんな言葉を返したのだ。
「どうにもならない。ただ消えるだけ。永遠に、失われるだけさ。あとはただこうして、死体という汚物が残るだけだ」
 輪廻転生なんて言葉を、ぼくは信じていない。人は死んだら、そこで終わり。虫が死ぬのと一緒だ。
 けれど、そのぼくの理論を人に伝えると、みんな哀しい顔をする。夢の中のキヨミもそうだった。大きな声で、わあああんと泣き始める。この場に親がいれば、ぼくは叱られてしまうに違いない。ただこの夢の中には、ぼくと、幼いキヨミと、死体しかいない。誰もぼくを叱りはしない。
「女の子を泣かすんじゃない」
 ぎょっとする。叱られてしまった。誰に――祖母の死体に?そう思って足下を見ると、死体の様子が、さっきとまるで変わってしまっていることに気づく。
 それは、真っ黒なシルエットになり変わっていた。もはや、人の形もしていなかった。それが、ぬっと立ち上がる。
 いや、この表現はおかしい。人の形をしていないのだから、二本の足も無いし、立っているのかどうかすらわからない。ただ、横に長かったものが、縦に伸びた。それは、まるで立ち上がったような印象をぼくに与えた。
 そしてそれは、ぼくの額に攻撃を喰らわせた。シルエットの一部がにゅっと伸び、強い衝撃を与えた。
「イテッ!」
 夢の中では痛みを感じない、なんて大嘘だ。それが夢だと気づいていないうちは、痛みだってもろに受ける。例えるなら、柱の角でぶつけたような、鋭い痛みを。
「人は死んだらそこで終わりだなんて、どうして言える?もしかしたら、何か他のものに生まれ変われるかもしれない」
 シルエットは言う。口もないのに、どこから声を発しているのかわからないけれど。ぼくはおでこの痛みに泣きそうになりながらも、こう反論した。
「そんなの、確かめようがないだろ」
「確かめる必要なんて、無い」けれどすぐに、シルエットはそう返した。「だってあたし、自覚してるもの。あたしが、おばあちゃんの生まれ変わりだって」
 キョトンとしてしまう。今、「あたし」と言った?
 ふと、シルエットが徐々に人間の形を取り戻し始める。それも、ミイラのような祖母の死体ではない。美しい黒髪、張りのある白肌。幼い顔立ちながらも、ふっくらとした大人の女性の体付き。
「……カホちゃん!?」
 カホちゃんが、祖母の生まれ変わり?……いや、確かに、さっきまで祖母の死体だったものが、今こうしてカホちゃんに変わってはいるけれど……。
「おかしいよ」そう、おかしい。夢の中の出来事にいちいち突っ込んでいても仕方が無いのだが、そうせずにはいられない。「だって、カホちゃんが生まれてたのって、婆ちゃんが死ぬ何年前だよ?生まれ変わりなら、死んだ後に生まれてなきゃおかしいじゃないか」
「別に、死んだ直後に新しく誕生することだけが、生まれ変わりとは限らないよ」直ぐにそう返すカホちゃん。「あたしだって、お婆ちゃんにすごく可愛がって貰ったから。お婆ちゃんのこと、よく覚えてるの。つまり、ね――」と、カホちゃんの手が伸び、ぼくの頭を撫でる。教え子に諭す、優しい教師の表情で、こう続ける。
「お婆ちゃんは、あたしの心の中で、今も生き続けているの。そういうのも、生まれ変わりなんだよ」
 その台詞に、キヨミが嬉嬉として叫ぶ。「じゃあじゃあ、キヨミも、おばあちゃんの生まれ変わりー!」カホちゃんも答える。「そうね、キヨミちゃんもお婆ちゃんの生まれ変わりね。……ということは、コーちゃんだけ仲間外れだ」「なかまはずれー」二人して、言いたい放題だ。
「なんだよ、それ……」ぼくはムッとし、不満の言葉を口にする。勿論、仲間外れにされたからという理由では――いや、少しはそれもあるかもしれないけれど、ともかく。「やっぱり、おかしいよ。ただのヘリクツじゃないか。そんなの、生まれ変わりでもなんでも……」
 ぼくの言葉は、途切れた。カホちゃんが人差し指を立て、ぼくの唇に押さえつけたから。
「否定しないで。コーちゃんも、その方が嬉しいはずよ」カホちゃんの顔が、近づく。ぼくの顔から、5センチ先くらいまで。「だって、今生きている人に生まれ変われるってことは、あたしが死んだら、コーちゃんになれるってことだよ。あたしとコーちゃんが、一つになれるってことだよ」
 次の瞬間、頭が真っ白になる。カホちゃんの顔が、さらにぼくに近づいて。その唇が、ぼくの唇と重なって。
 いや、唇だけじゃない。全部重なっていく。カホちゃんの体が透明になって、ぼくの体の中に吸い込まれていく。やめて、カホちゃん。声にならない声で、僕は叫ぶ。それでも、カホちゃんは止まらない。どんどん、どんどん、ぼくの中に吸い込まれていく。
 やがて、カホちゃんが消える。完全にいなくなってしまう。
「カホちゃん、おにいちゃんになったんだね」
 無邪気な笑みを浮かべ、キヨミが言う。なぜ、笑っていられるのか。ぼくにはわからない。カホちゃんがいなくなったのに、どうして。
「哀しまないで、コーちゃん。あたしは、ここにいるのよ。コーちゃんの心の中で、ずっと生き続けるのよ」
 カホちゃんの声が聞こえる。ぼくの中から、ぼく自身の胸の奥から。でも、カホちゃんの姿は、もう見えない。いやだ。こんなの、ぼくは嬉しくなんかない。こんな結末、ぼくは望んでなんかない。
 そこで、目が覚める。
 目の前には、ベッドの足が見える。ぼくは、床に転がっている。寝ている間に落ちたのか。そして、未だに痛む額。触ると、少しコブになっていた。恐らく、ベッドの足でぶつけたのだろう。それでも目を覚まさなかったのは不思議だ。そこで目覚めていれば、まだ良かったのかもしれないのに。
「いやな夢だな……」
 ぼくは呟く。ただただ、呟く。わけがわからない夢だったけれど、いやな夢であることは確かだ。消えてしまったあとの命がどうなるのか、その結末も最悪だったけれど。それにも増して問題だったのは、夢の中でぼく自身が、カホちゃんの死を受け入れてしまっていたということだ。
 カホちゃんは、まだ死んでないのに。それに、今日は日曜日。カホちゃんが退院する日だ。余命僅かでも、ちゃんと生きている。そんな人に対し、失礼極まりない。
「サイテーだ……」
 本当に、最低だ。額に手を当てながら、苦しみを振り払うように、首を振りながら。心が、ほろほろと崩れていくのを感じている。カホちゃんの命を、まだ諦めたくないのに。そのつもりだったのに。
 けれど、ぼくには何もできない。諦めるより致し方ない。そのことを、心の奥底で認めてしまっている自分自身に、腹が立って。どうしようもなく、許せなくて。
 ぼくはもう一度、ベッドの足の角に額を打ち付ける。今度は、自分の意志で。

#6

「体、大丈夫なの?」
退院のとき、付き添っていたぼくがそう尋ねると、
「コーちゃんこそ……おでこ、大丈夫?怪我したの?」
逆に、カホちゃんから心配されてしまった。
「あ、いや……これは、ちょっと今朝ベッドから落ちちゃって、角っこにぶつけちゃってさ……」
誤魔化すように笑いながら返す。少なくとも、嘘は言っていない。「えぇ~、もう、コーちゃんってば、ドジっ子なんだから」カホちゃんも、笑って言う。
「あたしは、もうすっかり元気だよ。県大会までもう時間無いんだし、一日も無駄にしちゃダメだから。ちゃんと頑張んなきゃね」
続けて、そう答えるカホちゃん。当然だけど、もう患者衣ではない。普段通りの、教師の服装だ。それだけで、健康体に思えてしまう。
病院から出て、伯父さんが運転する車で学校まで向かう。校門の前で停めてもらい、車から降りるときも、
「心配しないで、コーちゃん。あたし、いつものカホちゃんよ」
カホちゃんはそう言い、まるで不二家のペコちゃんみたいに舌を出す表情をしてみせた。つい可笑しくなって、ぼくは笑ってしまった。
けれど、ぼくの心はやっぱり、未だほろほろとほどけ続けているような気がした。カホちゃんが、死ぬだなんて。今朝の夢を思い出す。あんな風なことが、現実になってしまうのが怖かった。
いつも、ぼくと遊んでくれたカホちゃん。小さいころから、一緒に絵を描いたり、ピアノを弾いて歌ったり。そして、あったかい胸で、ぎゅっと抱きしめてくれたり。そんなカホちゃんが、死ぬだなんて。
「じゃあコウヘイ君は、家まで送ろうか」
カホちゃんが行ってしまったあと、伯父さんはそう言ったが、「すいません、部活なんで」と返し、ぼくも車から降ろしてもらった。
カホちゃんが倒れてから、ぼくも自分の部活に出ていなかったのだ。その日も、出るか出ないか悩んで、結局朝は制服だけ着て家から出てきたのだけれど、さっきのカホちゃんの姿を見たら、自分もサボっているわけにはいかないと思い直したのだった。
美術室へ向かうと、もじゃもじゃの灰色の髪の毛をたくわえた美術部の先生が、待ちかねていたように一人教室に立っていた。
「コウヘイ、やっときたか」
先生の顔には、厳しい表情が浮かべられていた。
「三日前、画材も片付けずに飛び出して以来だな。唯一の部員が、そんなことじゃ困るぞ」
そう言って先生は、ぼくの描きかけのキャンバスと、恐らくは先生がやってくれたのであろう、綺麗に手入れされたぼくの画材を出してくれた。
「先生、すみません」
深々とそう謝ったあとで、ぼくは三日振りの作品制作へとりかかった。ぼくの油絵のキャンバスには、蝙蝠の絵が描かれていた。大きく、翼を広げた蝙蝠。それは、先生がぼくに出した課題の絵だった。
課題を言い渡されたとき、「何で蝙蝠なんですか?」と訊くと、先生はこう答えた。
「蝙蝠、よく見たことないだろう」
確かにぼくは、蝙蝠について無知だった。知っていることと言えば、哺乳類なのに翼を持っていて空が飛べるとか、人の血を吸うと言われているなど、一般的な知識(または偏見)だけだった。だからぼくは、図書館などから色んな資料を集めて、蝙蝠のことを研究した。
生態とか、名前の由来とか、絵を描く上ではあまり関係の無いことまで、色々と細かく調べてみた。血を吸うと言われるのも極限られた種類だけで、多くは虫や花の蜜を主食としていることも、そのときに知った。
けれど実際に絵を描き始めて、どのように仕上げればいいのか、全くよくわからなかった。不気味な感じで、黒を濃く塗り重ねるのは、ただの既成概念をそのまま取り入れているだけで、ぼくが描くべきものとは何となく違うような気がしたのである。
それは、気持ちの問題でもあるかと思う。実際にどう描いたらいいのか、答えのようなものは無い。しかしぼくの心の中には明確な答えが存在していて、それを導き出さない限り、作品を完成させられないのである。
だから、それが導き出せないうちはどんなに頑張ろうとしても、途中何度も筆が止まった。描けない、どうして。描けない。
「もう止めにしなさい。続きは、明日の放課後でいい」
今日もまた、ほんの二時間程度の作業で、先生にそう言われてしまった。ぼくも素直にそれに従って、画材の片付けに入った。キャンバスの蝙蝠は、どことなく不安げな表情をしていた。
上の階では、まだ合奏が続いていた。カホちゃん、大丈夫だろうか。そんな気持ちも湧いたが、何だか心配しているのはぼくだけのような気もして、その日は先に一人で帰ることにしたのだった。

#7

帰り道にいつも通り抜ける公園で、ぼくは、同じ学校の制服を着たとある女子生徒に出会った。彼女は膝の上に、黒い小さなバッグと、スケッチブックを置いて、ブランコの上に座っていた。
吹奏楽部員だと、すぐにわかった。バッグは、クラリネットの奏者がいつも持ち歩いているものに似ていたから。またスケッチブックは、譜面を貼り付けるために用いられているものだ。
吹奏楽部員はクリアファイルなんて使わない。教室やホールの照明で光が反射し、見えなくなってしまうと困るからである。
彼女を見て、ぼくは最初なんだかムッとしてしまった。吹奏楽部は、まだ合奏を続けていたはずだった。ということは、サボリだろうか。カホちゃんが命を削って頑張っているのに、フザけた生徒もいたもんだ、ぼくは勝手にそう思った。
「あなたは、吹奏楽部じゃないんですか。合奏、まだ続いてますけど」
そう声をかけると、彼女はびっくりした顔でぼくのことを見て、慌ててこう言った。
「……え、私、まだ一年生なんで……コンクールのメンバーじゃないんです。それで、先輩たちより早く、部活終わったんですよ」
早合点してしまった自分が、何だか恥ずかしかった。「あ……そうなの。失礼」右の頬を指でかきながら、ぼくはそう言った。年下だとわかったので、敬語も外して。
「あの……ひょっとして、イチノセ先輩じゃないですか? コウモリ先生の、従弟さんの……」
と、次に声を発したのは、彼女の方だった。コウモリ先生の従弟、そう言われて少しだけ照れた。なんだ、一年生にも広まっちゃってたのか。そういうのって、少し恥ずかしい。
「あぁ。そうだけど……何?」
言うと、彼女は目から涙をいっぱい溢れさせながら、ぼくのことを見てきた。悪い予感がした。そしてそんな予感は、大概当たるものだ。
「先生……死んじゃうんですよねぇ!? もうすぐ、死んじゃうんですよねぇ!?」
癌であることは、生徒たちには知らせないでおこうというのが、カホちゃんの意向だった。「生徒たちには、コンクールのことに集中してもらわなきゃ。あたしは全然元気だからって、そう言って安心させてあげなきゃ、支部大会にも進めないから」カホちゃんはそう言っていた。けれど、勘の鋭い生徒もいたものである。
「……馬鹿なこと言うなよ。先生が死ぬわけないだろ」
取り乱しながらぼくは、嘘をついた。自分でも、出来れば本当であってほしいと思う嘘だった。心が、少しだけきりきり傷んだ。けれど一年生の吹奏楽部員はというと、まだ悲しい表情のままだった。完全に、ぼくの話なんて聞いていない様子だ。
わぁぁん、えぐっ、えぐっ。何だか幼い子のように泣きじゃくる彼女を見て、ぼくはうろたえるばかりだった。女の子って、どうしてこんな簡単に、感情を表に出せるのだろう。
暫く経って、ようやく少し落ち着いたころ。しゃっくりをしながら彼女は、楽器の入ったバックから、黒くて薄っぺらなものを取り出した。何かと思ったら、折り紙だった。その折り紙は、横に大きく翼を広げ、真ん中に小さな頭をちょこんと持つ、蝙蝠のような形をしていた。なかなか、巧いものだ。
「私……千羽コウモリ作ろうと思ってるんですっ……先生が、少しでも長く、元気にいられるようにって……千羽コウモリっ」
なるほど……コウモリ先生だから、千羽鶴ならぬ千羽蝙蝠というわけか。しかし、ぼくはこの折り紙が千羽も連なっている様子を思い浮かべて、何とも気味が悪くなった。
「いや……わざわざ蝙蝠にしなくてもいいよ。鶴にしなよ、鶴に」
「えっ」と、一瞬彼女は、困惑した表情になった。マズい、また余計なことで泣かせるんじゃないか、そう思ったが、彼女は再びぱっと顔を輝かせると、またこう言った。
「じゃ、じゃあっ、千枚の黒い折り紙で、鶴作りますね!色が黒かったら、コウモリとも近くなるし……」
僕は、ひたすら黒い鶴だけが連なった千羽鶴を想像してみた。何だか、喪中みたいだ。
「いや、別に、蝙蝠に拘らなくても……普通の鶴でいいよ、普通の鶴で」
「じゃあ、金とか銀とかラメ入りとか、色んな折り紙使って、とっても綺麗な千羽鶴作ってみせますね!」
ぼくは、金とか銀とかラメ入りとか、色んな色の鶴が連なった千羽鶴を想像した。まぁ、普通にありそうな千羽鶴だ。
「それだったらいいよ。先生も、きっと喜ぶと思うし」
「本当ですかぁ!?」と、先ほどまでの涙はどこへやら、彼女は、満開の向日葵みたいな笑顔になった。
と、蝙蝠の折り紙をポイっと捨て、楽器のバックと譜面のスケッチブックをそれぞれの手に持って立ち上がった彼女は、いきなりぼくに抱きついてきた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。まるでカホちゃんみたいに、ぎゅっとぼくに抱きついてきたのだ。もちろん、カホちゃんに比べて胸は全然大きくなかったけれど。
そしてすぐにパッと離れると、ぼくの両の手を握って、彼女は言った。
「私、もう泣きません! 泣いたりなんかしません! だから、センパイも元気出してください。元気で、先生のこと、しっかり支えてあげてください! 私も、頑張って千羽鶴作りますから!」
手を離すと彼女は、「じゃあね、イチノセセンパイ!」と言い、駆けていってしまった。ぼくはそのとき、ぽかんとして、その場に暫く立ち尽くしていたような気がする。

「ナツキちゃんね、それは」
夜、カホちゃんの家に寄って、ぼくはその日の公園でのことを話した。少し特徴を説明するだけで、大勢いる部員の中から直ぐに名前が出てくるなんて、流石だ。
「あの子、本当にやさしい子よ。太陽みたいに明るいの。この折り紙も、とっても上手ね」
蝙蝠の折り紙を触りながら、カホちゃんは感心して言う。それは、その太陽みたいな子が、公園に捨てていったものだという情報は伏せておこう。他人のマナーの悪さを一々チクるようなことはしなくていい
他にできる話があるとすれば……まぁ、精々これぐらいだろうか。
「でもあの子、それで千羽蝙蝠なんか作ろうとしてたんだよ。ちょっと、変わってるよね」
言うと、カホちゃんはクスクスと笑った。「千羽コウモリ、ちょっと見てみたい気もするわね」そんなことを言って。
「……それにしても、カホちゃん。コウモリ先生だなんて呼ばれて、少し嫌じゃない?」
今更だけど、ぼくは尋ねてみた。するとカホちゃんは、ぶんぶんと首を横に振って、それを否定した。
「あたし、コウモリ好きよ。ネズミみたいで、可愛いじゃない」
「……鼠みたいだから、嫌いって人もいるけどね」
やっぱりカホちゃんも、少し変わっているのかなぁ。そう思った。
「でも、コウモリって、不思議じゃない。哺乳類の中で飛べるのは、コウモリとムササビぐらいのものだけど、特に翼を持って羽ばたけるのは、コウモリだけなのよ。私たちと同じ哺乳類なのに羽ばたく翼をもってるなんて、ちょっと羨ましいとは思わない?」
「そうだね」
ぼくは相槌を打ったが、何で人は空を飛ぶ動物を羨ましがるのだろう、ふと、そんなことを思ったりもした。「あたしね、コーちゃん」と、カホちゃんは続けた。
「あたし本当は、学校の音楽の先生じゃなくて、プロの指揮者になりたかったの。それも、オーケストラの。小澤征爾や西本智実みたいに、世界の楽団を指揮できたら、どんなに素晴らしいだろうって。とってもとっても、憧れたものよ」
そのときカホちゃんの目は、どこか遠くを見つめていた。天井、いや、それより上かもしれない。
「でも、現実は甘くはなかったし、何とか高い学費を出してもらって、音楽大学も卒業できたけれど、プロを目指して海外留学だとか、とてもそんな機会には恵まれなかったわ。なんだか、あたしずっと、手の届かない高いところばっかり眺めてたような気がする。あたしに翼が生えたら、どんなにいいだろうって。もっと高い所に羽ばたけるような、そんな翼があったら、そんなに素敵だろうって……」
どきっとした。カホちゃんの口からそんな未練の言葉が飛び出してきたのは、それが初めてだった気がする。いつも子どもみたいに元気なカホちゃんが、初めて弱い部分を見せたのだと、そう感じた。その表情もなんだか、ぐっと老けてみえたような気がした。
「カホちゃん」ぼくは思わず、カホちゃんの肩を抱いた。カホちゃんは泣いていた。ぼくの前で、初めて泣いていた。そんな弱いカホちゃんを、ぼくは見たくはなかった。いつまでも明るい、そんなカホちゃんが見ていたかった。
「ふふっ、ごめんね、コーちゃん。なんだか、らしくないね」
けれど直ぐに、カホちゃんは涙を拭いた。そして見せてくれた笑顔は、いつものカホちゃんだった。よかった、いつものカホちゃんだ。
「別にいいんだよね、今はそんなことどうだって。だってあたしには今、もっと身近で大切な夢があるんだから。今教えているコたちを、支部大会に出場させてやるんだって、そしてその舞台でも、金賞を取らせてあげるんだっていう、大切な夢が」
まったく、この間倒れたことが嘘のような、元気な表情だった。もうぼくは半分、カホちゃんが癌だっていうことを、忘れていたぐらいだ。
「カホちゃん、頑張ってね。県大会、おれ応援しに行くからね」
ぼくはそう言って、またカホちゃんを励ました。

#8

【二〇〇三年七月】

吹奏楽コンクール県大会。ぼくらN高校の楽団は、少しのミスも無い、完璧な演奏をやってのけた。皆、カホちゃん、いや、コウモリ先生のために、一丸となって練習を続けてきた成果だった。
結果発表のとき、先に金賞の受賞が発表され、何人かの生徒は、ホッとした溜め息を吐いていた。
けれど大半の生徒が、まだそのあとの支部大会出場校の発表に向けて、緊張感を高めていた。一方で、演奏に出ていない低学年の生徒の中には、ナツキのように既に泣いているものもいたけれど。
そして、全ての出場校の賞の発表が終わり、支部大会出場校の発表へ移る。そのときぼくとカホちゃんは、ホールの、部員たちの後ろの方の席に、二人並んで座っていた。隣の方でカホちゃんは、緊張のため、ぎゅっと拳を膝の上で握り締めていた。
顔を見ると、口も真一文字に結ばれていて何だか可笑しな表情だった。けれど、ぼくの方こそ同じように緊張し、恐らくそれと大差ない表情を作ってしまっていたことだろう。
発表は、一瞬の出来事だった。
「N高校!」
ぼくらにとってそれは、東京ドーム大のくす玉が割れたみたいな衝撃だった。カホちゃんたちが、県の代表入りを果たしたことが知らされたのだ。そのときはもう、吹奏楽部の生徒皆、わぁわぁ、と涙を出して喜んでいた。
何名かの女子部員が、カホちゃんを振り返って、嬉しそうに拳を作った両手を挙げた。それに対し、カホちゃんもようやく安心したような顔を作り、そして優しく微笑んで、両手でVサインを送っていた。
「カホちゃん、おめでとう」
ぼくも横でそう、小さく耳打ちしてやると、
「ありがとう、コーちゃん」
カホちゃんもそう言って、ぼくの手を握ってくれた。
そのときのカホちゃんは、肩の露出した真っ黒いドレスを着ていた。大きな胸も強調され、普段の可愛らしい様子とは異なる、大人の女性の雰囲気を醸し出している。とても三七歳には見えない、いや、癌だということも信じられないような美しさだ。
今が、カホちゃんにとっての人生の絶頂期であると言ってもいいくらい、とても輝いて見えた。
と、その直後のこと。カホちゃんは握っていた手を解くと、ぼくに向って、上体を倒してきた。ぼくの膝の上に、カホちゃんの頭がある。膝枕をするような体勢だ。
「ちょ……カホちゃん、何やってんの。安心して、眠くなっちゃったの? だめだよ、起きて。ここ、家じゃないんだから……」
緊張の糸が切れたのだろうか。全く、だらしないなぁ。
呆れながら上体を揺すり、起こそうとしたが、全然反応が無い。直後、自分の膝の上に何か温かいものがこぼれるのを感じる。
「え、カホちゃん……?」
つん、と酸っぱい臭いが漂う。気づくのが、遅かった。それが審査発表の前に、「ああ、緊張して喉乾いちゃった」と言ってガブ飲みしていたポカリスエットを、カホちゃんが嘔吐したものだと。これが、カホちゃんの二度目の失神だったと。
「カホちゃん!? カホちゃん、しっかり!!」
僕の叫びに、直に何名かの生徒が振り返った。そしてことの重大さに気づき、悲鳴を上げた。それに反応して、他の部員たちも次々にこちらを振り返り、わぁぁあ! と慌てふためき始めた。彼らの喜びが、一転して恐怖に変わった瞬間だった。
ステージの上では、丁度彼らの部長が、金賞の賞状と、支部大会出場への推薦状をもらおうとしていた。部長は、審査員の前に両手を差し出したまま、こっちを見てポカンとしていた。
ホール中が大きな騒ぎになりかけていたが、直にぼくは、何名か周りの男子生徒達の手も借りながら、なんとかカホちゃんをホールの外に運び出そうとしていた。女子生徒たちも集まってきて、タオルやティッシュで、カホちゃんが嘔吐したものを拭いていた。
「救急車呼んでっ、救急車!」
どうでもいいことかもしれないけれど、そのときぼくが指示を出したその相手は、初めてカホちゃんが倒れた六月の合奏のとき、トロンボーンを構えたままおろおろしていた男子学生だった。人には、それぞれ役割というものがあるのだろうか。何となく、そんなことを考えた気がする。
ひょっとすれば、カホちゃんが倒れたのだって、運命なのかもしれない。最初から、神様がカホちゃんの命の期限を決めていて、それに従って、カホちゃんは今死のうとしているのかもしれない。そう思った。
けれどぼくは、すぐにその考えを打ち消した。だったら、カホちゃんの運命って一体何なんだ。何もこんな幸せの絶頂のときに、倒れなくてもいいじゃないか。
もしもこの世界に神様というものが実在するとしたら、きっと彼は、とんでもなくヒネクレている、どうしようもないろくでなしに間違いないのだ。そんな神様なんて、ぼくは絶対、信仰したりするもんか。そう、心に誓ったのだった。

#8.5 モノローグ

再び夢の話をする。じつに暗示的な夢の話を。妹のキヨミは、今度は中学生にまで成長している。
キヨミはベッドの中で横たわっている。眠っているのではない。目は薄く開かれている。服は学校のブラウス。以前ぼくが通っていた中学校のものだ。
ぼく自身は、恐らく高校生のままなのだろう、やはり学校の制服を着ている。学ランは無く、カッターシャツにスラックスという格好だ。ベッドのそばに立って、キヨミを見下ろしている。何の感情も抱かずに、ただじっと見下ろしている。
「おにいちゃん」
キヨミの口が開く。ただ呼ばれただけだ。それだけなのに、ぼくの体は自然に動く。ベッドに足を踏み入れ、キヨミと同じように横になる。キヨミと向かい合い、片方の手でその頬に触れ、もう片方の手で体に触れる。見た目以上に華奢で折れそうな体に。
体を撫でた後、頭に手を置く。まっすぐで綺麗な黒髪は、肩を覆うまで長く伸びている。そのやわらかな感触を味わうように、ゆっくり撫でてやる。
そうやって妹の体に触れながら、やはり何の感情も抱かない。その顔が醜いからというわけではない。むしろ美人に入る部類の顔だと思う。しかも、どこか大人びている。小学四年生である現実の顔を見ても、時々大人びているように見えることもあるが、そういうのとは全く違う。なにかしかるべき儀式を経て、確かな大人になった者の表情だ。
けれども感情が湧かないのは、キヨミ自身も感情を有していないように思えるからだろうか。妹というより、人形に接しているような気がする。あるいは、抜け殻と言うべきか。確かにそこにあったはずのものが、今は完全に無くなっている。
「おにいちゃん」
再び口を開く。ひどく薄い声だ。その声を固めてガラスを作ったら、指で摘んだだけで簡単に割れてしまうだろう。
ぼくは、相変わらず黙ったままで何も答えない。ただ彼女が言う台詞を、静かに聴いている。
「何かを失ったかなしみを乗り越えるには、どうしたらいいのかな」
中学生になったキヨミが失うものを想像してみる。友達、あるいは恋人という可能性もあるかもしれない。家族――確かに以前、祖母を亡くした。けれどそのかなしみは、とっくに乗り越えられたはずだ。
ならば、ぼく自身? 夢の中のぼくはキヨミの目の前にいるが、現実ではどうなるかわからない。ぼくはとっくに成人しているはずだ。ひょっとしたら家を出てしまっているかもしれない。この夢は、そうやってぼくがいなくなってしまった後のキヨミの様子を描いているのかもしれない。
ぼくは幻想として彼女の前にいるだけで、実際には存在しない。それゆえ、体を触れながら、顔と顔の間隔も10センチに満たない至近距離でいながら、無感情でいられるのかもしれない。
ただそう仮定したところで、やはりこれはぼく自身が見ている夢であることには変わりない。二〇〇三年現在、高校生二年生であるぼくが、現実には小学四年生のはずのキヨミを勝手に中学生へと成長させて見ている夢だとして。
そう考えれば、「失った」のはキヨミではなく、ぼくの方だ。答えはハッキリしている。これから失おうとしているもの、やはりカホちゃんのことに間違いない。
「私、どうしようもなくなっちゃったの。いずれ失うとわかっていたクセに、その覚悟なんてできていなかった。いや、覚悟なんてしたところで、結果は同じだったのかもしれない。ただ今は、何もしたくない。生きているのか、死んでいるのかもわからない」
そう言うキヨミの体に、再び触れる。食事もまともに取れていないのかもしれない。ガリガリに痩せ細っている。心の奥底がチクリと痛む。それが、そのとき初めて生まれた感情なのかもしれない。痩せ細った妹を見たから痛むのか、それが将来のぼく自身の姿を暗示しているとわかるから痛むのか、あるいはそのどちらもなのか。
「でも、ひょっとしたら乗り越える必要もないのかもしれないね」
キヨミは、そう言って笑う。彼女も、そのとき初めて感情を見せる。ただ、それはあまりにいびつな感情だ。喜びではなく、かなしみと、苦しみの笑み。ひどくねじ曲がった気持ちの表れた。
「世界は、失われる一方だって思わない? 失われたものを、新たなべつのもので埋めることなんてできないもの。だって、べつのもので埋められたとしたら、それまでそこにあったものの存在が否定されることになっちゃう。今まで、それしかないって思ってたもののはずなのに。その気持ちが嘘になっちゃう」
人間は過去を捨てることができない。「過去へ未練を持つな」なんてよく言われることだけれど、現在の自分を形づくっているものが過去である以上は、完全に忘れ去ることなんてできない。無理に忘れようとしても、また何かの拍子に簡単によみがえってしまう。
嘘はすぐに露見する。否定は簡単に肯定へとくつがえる。ならば、今キヨミが言った台詞には、どこにも間違いが無い。うがたれた穴を埋めるものは、もともとそこに存在していたものでしかあり得ない。それが失われた以上は、穴は穴として永遠に残していくしかない。そうやって人間は、何かを失うたび、穴だらけになっていく。
それに気づいたとき、キヨミの胸に大きな穴が空いていることに気づく。形而上的な穴ではない。目に見える大きな穴だ。そこに手を伸ばすと、感触は何も無い。穴の中にすっぽり入る。向こう側まで突き抜け、その先のシーツをつかむこともできる。
手を引っ込めると、今度はキヨミの方がぼくの胸に手を伸ばす。そこにも、やはり穴が空いている。キヨミの穴より大きい。が、手を入れられると、強い痛みがある。心臓を貫かれているような痛みだ。あまりの激しさに悲鳴を上げる。いや悲鳴どころか、とても人間の声とは思えない、わけのわからない音が出る。「グギュリュアリュアグリュッ……!」と、太い金属の棒が思いっきりねじ曲げられたかのような不快な音である。
キヨミが手を引っ込める。ぼくは、肩で息をするほどに消耗している。だが妹に対して、なんてことをするんだという怒りの感情は無い。ただ、自分自身が穴によってひどくもろい存在になっていることに気づかされる。
やがて、一度冷静になって自分の体を見つめ直す。穴は、他にも無数に空いている。指の一、ニ本が通るような穴から、針が通るような細かい穴まで。どれも、過去によって自分に空けられた穴だ。それを塞ぐことはできない。穴は穴としてそこにあるだけだ。そこに、永遠に残り続けるだけだ。
そして一つ一つの穴がじわじわと広がっていき、ぼくの体は崩れていく。恐怖は無い。慌てたところでどうしようも無い。崩れるぼくを、キヨミが見つめている。かなしむようでも、あざ笑うようでもなく、ただ見つめている。それをぼくも見つめていたが、やがて出来なくなる。目玉がぽろりとこぼれ落ちたから。
目はただの空洞になり、その空洞もやはり広がって、顔面の大半を失う。頭蓋骨が露出し、ぼろぼろとひび割れ、脳味噌が露わとなる。脳味噌も湯にかけたわたあめのように溶けだし、何も考えられなくなる。
あとには、ただただ深い闇が広がっている。どこにもたどりつけない、永遠の闇が。
ぼくそのものが、ただの穴となり、世界にうがたれている。



それから何臆、何兆年過ぎ去ったかわからないような、途方もない時間が経過する。
どこからか声が聞こえる。ぼくを呼ぶ声が。コウヘイ、コウヘイ。その声が、美術部の先生の声であることに気づく。
そこで、ぼくは再び人間の形をまとって、その場に生成される。カッターシャツに、スラックスという格好。場所は、美術室。目の前には、描き掛けの絵がある。課題として出された、コウモリの絵が。
ぼくはその絵に手を伸ばそうとする。描かなければ、続きを。しかし、どうやって? わからない。夢の中の僕には何をどう描けばいいのかわからない。手を動かし、必死で描こうとしたところで、それがぼくの望む完成系へと近づくことはないことがわかっているから。
それならばいっそ、描かなければいい。
「うわああああああああああ」
急に喚き散らしながら、キャンバスを引き裂く。なにもかも無にしてしまおうと思う。しかし、目の前のボロボロに引き裂かれたキャンバスを見て驚愕する。よく見るとそれは、バラバラになったキャンバスではなく、バラバラになった人体に変わっているのだ。そしてゴロリと首が転がり、こっちを向くと、それがぼく自身であることに気づくのだ――
やがて目を覚ます。哀しくもないし、疲れてすらいない。時計を見ると午前三時。むしろ目覚めはいいくらいでスッキリしている。
部屋を出て台所に行き、蛇口をひねってコップに水を出す。それを、ごぎゅっ、ごきゅっ、と喉を鳴らしながら飲む。
……ぼくはもう、限界じゃないのか。そんな風に思いながら部屋へ戻り、二度寝を試みるも、結局その朝は夜明けまで一睡も出来なかった。ただただ部屋の中の暗闇を見つめながら、やがて朝日が彼らを殺しにくるのを待つしかなかった。

#9

「どう?体の具合は」
カホちゃんが運ばれてから、また三日ほどが経過しようとしていた。
「ダメだね、あたし。折角、支部大会への出場が決まったのに。また、生徒たちに迷惑かけちゃって」
患者衣姿のカホちゃんは、ちょっと困ったような表情でそう溜め息をついた。倒れた直後よりは、また少し回復してそうで、ぼくは安心した。
「何言ってるんだよ。もう、ここまできたら充分だって。あとはゆっくり休んだらいいさ」
「ダメよ、コーちゃん。甘やかさないで。もう代表には選ばれちゃったんだもの。支部大会でもちゃんと、金賞取ってこなきゃ」
学校では、既に臨時の先生が採用されていた。勿論、臨時というのは名目で、カホちゃんがいなくなったあとの後任としても、その先生が務めるということが決まっていた。昨日チラリと音楽室に寄って見たところ、眼鏡をかけた、優しそうな男性教師だった。
けれど、カホちゃんはどうやら、支部大会までは自分が指揮棒を振っていたいようだ。
「まだ、もう一つの夢は掴めてないもの。最後の最後まで、絶対に諦めるつもりはないんだから」
ベッドの上でそう言い張るカホちゃんが、ぼくには頼もしくも見え、また同時に、痛ましくも思えた。
「ねぇ、ところでコーちゃん。美術部の方は順調?」
突然そう言われて、ぼくはハッとした。結局あれから三週間近く経つけど、あの蝙蝠の絵は一向に進んでいなかった。
部活自体をサボっているわけではない。一度先生に怒られたこともあり、部室には一応通って、絵の制作を進めようとしてはいる。けれど、キャンバスを前にした瞬間、どうしても自信が湧かなくなるのだ。
だから、いっそこの作品は保留にしようと思って、新しく静物のクロッキー画や水彩画等を描いているのだけれど、どれもあまり大した仕上がりにならなかった。
それは、何だか長く暗いトンネルの中に閉じ込められたような気分だった。蝙蝠が飛び交う、古く使われなくなったトンネルだ。ぼくはその中でいくつもの懐中電灯を使い、何とか暗がりを取り除こうとするのだけれど、あまりに闇が深すぎて、光は途中で遮断されてしまう。
どんなに新しい絵を描こうとしてもうまくいかないのは、それと同じ状況だった。最初に捕らわれている闇が巨大すぎて、それを振りほどかない限りは一向に前へと進めないのだ。
「今、蝙蝠の絵を描いてるんだ。美術部の先生から、課題として出されてさ……でも、どんな風に仕上げれば良いのかわからなくて、途中で筆が止まってるんだよね」
カホちゃんは、夏の海岸に沈む夕日のような優しい顔で微笑み、「まぁ、コウモリ。あたしの好きな、コウモリ」そう言って、ぼくの手を握った。
「完成したらその絵、あたしにプレゼントしてくれる?コーちゃんの元気いっぱいの絵、あたし、楽しみにしてるから」
言われてぼくは、不安な顔を慌てて消し去った。「も、もちろんだよ。カホちゃん、楽しみにしてて」無理矢理作った笑顔で、そう言った。
「じゃあ、おれ、学校に戻って絵の続きをやるね。カホちゃんも、退院許可出るまで、あまり無理しないで」
カホちゃんの手を離すと、ぼくはそう言って、病室から出ていこうとした。くるりと後ろを向いた、その時だった。待って、カホちゃんのその声が、ぼくの足を止めた。
「待って。あとちょっとだけ、傍にいて」
その声は、先ほどの元気な声とはうって変って、何だか少し、震えているような気がした。そして振り向くと、案の定、カホちゃんは泣いていた。
「カホちゃん……大丈夫? カホちゃん……」
もう一度、カホちゃんの傍に寄った。するとカホちゃんは、突然ぼくの体の後ろに手を回し、ぎゅっと抱きついた。驚いて、一瞬言葉に詰まった。
小さいとき、カホちゃんはよくぼくのことを抱きしめてくれたが、小学校の高学年に上がったぐらいから、ぼくは何だか恥ずかしくなって、カホちゃんから抱きしめられることを拒むようになった。だからそれは、もう七、八年ぶりくらいのことだった。
「ちょっと……カホちゃん、恥ずかしいよ。よしてよ」
しかし何とか搾り出すようにしてそう言うと、カホちゃんは逆に、もっと強く抱いてくるのだ。そして、ぼくの耳元で、
「お願い、コーちゃん、ちょっとの間だけ、このままでいさせて」
涙声で、そう言った。それにぼくは、何も返すことができなかった。
暫くぼくが黙っていると、カホちゃんは涙声のままで、喋り始めた。
「コーちゃん、こうやって、いつもいっしょにいてくれて、ありがとう」
それにぼくは、ただ、うんと答えた。
「コーちゃんがまだちっちゃいころから、あたしたち、たくさんたくさん、遊んだり、お話したりしたよね」うん。
「そして、こうやって抱きしめあったよね」うん。
「でも、あたしに抱きしめられて、コーちゃん、いつも嫌そうにしてたよね」
「そ、そんなことないよ」
慌てて、否定に切り替えた。抱きしめられることを拒み始めたのは、それが恥ずかしくなったからだ。
「じゃあ、コーちゃん。あたしに抱きしめられて、どんな気分だった?」
「ど、どんなって……」ぼくは、返答に困った。普通なら、安らぐ、とか、落ち着く、といった答えが妥当なところだったかもしれない。しかしそのときのぼくの気分と言ったら、そんなものからは著しくかけ離れていた。
そしてカホちゃんは、そんなぼくの気持ちなんか、直ぐに悟ってしまうのだ。ふと、カホちゃんはぼくを抱きしめていた手を緩めると、右手だけを前の方に持ってきて、それでそっと、ぼくの心臓に触れた。
「コーちゃん。何だかコーちゃんの胸、凄くどきどきいってるよ?」
ぼくは、何も言い返せなかった。するとカホちゃんは、クスリと笑って、こう言うのだ。
「やっぱり、コーちゃんも男の子なんだね……あたしみたいのが相手でも、男の子としてコーフンしちゃうんだね」
正直な話、ぼくはその時きっと、顔が茹でダコのように真っ赤になっていたことだろう。カホちゃんの美人の顔が、ぼくの目の前にあった。そしてそのふくよかな胸も、つい先ほどまで、ぼくの胸に押し付けられていたのだ。
と、急にカホちゃんは、ぼくの両手をとり、それぞれ、自分の両方の胸の上に当てた。ぼくはびっくりして、まずその手を見、それからカホちゃんの顔を見た。カホちゃんは、泣いたあとの少しはにかんだような笑顔をしていた。ぼくの手に、カホちゃんの胸の柔らかい感じが、患者衣越しに伝わってきた。
「……どう? 触って気持ちいいかな、あたしのおっぱい……」
「うっ、うん……」ぼくは答えた。カホちゃんの、というより、女性の胸を手で触ったのは、それが初めてだった。カホちゃんはぎゅっと、ぼくの手を胸に押し付けていった。
「コーちゃんにね、ちゃんと覚えておいてほしかったの。あたし、死んで焼かれちゃったら、もうこのおっぱいも、灰になっちゃうから……だから、しっかりと感じて、覚えておいてほしかったの」
カホちゃんはそう言うと、今度は顔を近づけてきた。
ぼくはカホちゃんのキスを、割とすんなりと受け入れたように思う。カホちゃんの柔らかい唇を、ぼくは直接自分の唇で感じることができた。夢ではなく、現実のキスだ。それはとても気持ちがよくて、泣けてきそうなくらい嬉しいことのように感じた。
いや、実際そのときに、ぼくの目からは涙がこぼれたのだった。それは頬を伝い、顎のあたりまで達した。また一方で、ぼくの心は張り裂けそうなくらい不安にもなっていった。
カホちゃんのこの柔らかい唇や、胸……体そのもの。そして、その中にあるこの心。それら全てが、近いうちに無くなってしまうのだ。死ぬということは、何も残らないということなのだった。その事実を、ぼくはこのとき、ようやく理解したような気がしたのだった。
唇を離した後、ぼくはまだ何も言うことができないでいた。ただ何も言えないままで、カホちゃんの胸の上にあったぼくの手を、まず腋のほうにずらし、それからカホちゃんの背中に回した。そして今度はぼくの方から、カホちゃんの体を強く抱きしめたのだった。
恥ずかしいとか、もうそんな感情はどこかへ追いやられてしまった。できることなら、まだそんなものにも残っていてもらいたかった。この、心にヒビが入って、少しずつ崩れていってしまうような、そんな感覚が、少しでも和らぐのなら。
ぼくらは、互いの頬と頬をくっつけ合わせた。カホちゃんの息が、ぼくの耳にかかる。そして髪からは、優しい匂いが漂ってきていた。入院中で、普段使ってるシャンプーの匂いが薄れている分だけ、余計に。ずっとずっと嗅いでいたくなる、カホちゃんの匂い。
カホちゃんをこんなに近く感じたのは、そのときが初めてだった。「コーちゃん」ぼくの耳元で、カホちゃんが囁く。
「コーちゃん。あたしね、コーちゃんが生まれてきたとき、一目でコーちゃんのこと好きになっちゃったんだよ」
ぼくは暫く相槌を返すこともなく、静かに話を聞いていた。
「赤ちゃんのこと好きになっちゃうなんて、おかしいと思うかもしれないけれど、そのときのコーちゃん、ほんとうに可愛かったんだから。ぎゅって、抱きしめたくなるくらいに。そしてコーちゃん、あたしが抱くと、本当に嬉しそうにするんだもの。お母さんに抱かれても泣いていたのに、あたしが抱くと、急に楽しそうに笑って……。そんなことがあったからか、あたし、何となく気づいたの。あたしにとってこの子は、きっと将来、とてもたいせつで、かけがえのない存在になるんだろうって」
それはひょっとして、他人が聞いたら、酷く愚かしく、馬鹿みたいな話に聞えたかもしれない。けれどぼくらは実際に、こうしてお互いのことをかけがえのない存在として、認めるような仲になっていたのだ。
ぼくは胸の奥から溢れ出て来るような感情を抑えきれず、またカホちゃんを抱く手に、ぎゅっと力を込めてしまった。
「だから、あたし、自分がまだ大人じゃなくて、コーちゃんと同い年の女の子だったらどんなにいいだろうって、そう思ったの。一緒に大きくなって、同じ学校に通えて、同じように遊んで。そうやって、一緒に成長できるような仲だったら、どんなにいいだろうって、そう思ったの」
ぼくは、自分より二〇歳も離れたカホちゃんを、おばさんだとも、お姉さんだとも思っていなかった。でもその理由は、カホちゃんが、他の大人とは全然違っていたからだった。幼い女の子みたいな顔、幼い女の子みたいな声、幼い女の子みたいな性格……いや、違う。それだけじゃない。
カホちゃんは、ぼくとずっと、同じ目線で生きてくれていたのだ。純粋にぼくのことを、一人の人間として認め、愛してくれていたのだ。
「あたし、凄く変なおばさんだったでしょ? まるで子どもみたいに振舞って、ずっとコーちゃんのこと追いかけて。嫌だったよね、気味悪かったよね。愚かだったでしょ、まるで、自分がヴァンパイアみたいに、不老不死だとでも思い込んでいるみたいで。本当は、コーちゃんの倍以上、年寄りのクセにね」
「カホちゃん……やめてよ。カホちゃん。カホちゃんはおばさんなんかじゃないって。カホちゃんは、女の子だよ。俺にとって、ずっとずっと、可愛い女の子だよ」
嫌だった。カホちゃんがだんだんと、歳をとっていくようなのが。でも、それは抗えない運命だった。季節が移ろいゆくように。太陽が沈んで、また昇るように。潮が引いて、また満ちていくように。カホちゃんの死を、もう誰の手にも止めることはできないのだ。
「でもね、コーちゃん」
カホちゃんは、ぼくの腕を掴み、ゆっくり自分の体から離してから、そう言った。そのときぼくと向き合ったその目には、星のようにきらきらした涙が、たくさん、たくさん溢れていた。ぼくは、それを全部すくい取ってあげて、宝石箱入れの中に、ずっとずっと仕舞い込んであげていたいと思った。
「あたし、ヴァンパイアじゃなくてよかった。だってヴァンパイアだったら、ずっとずっと、死ぬことができないでしょう? コーちゃんよりも長生きなんて、あたし、嫌だから。それにきっと、コーちゃんだってこれから、あたしなんかよりもっと、もっと好きになる人が出来るはずなの。もっと若くて、可愛い子が。そうなったらあたし、嫉妬することでしか、生きていけなくなっちゃうから」
カホちゃんは泣きながら、笑顔を作って、ぺろりと舌を出してみせた。涙ながらに笑っているカホちゃんの顔は、もうぼくの感情を抑える弁が、どこかへ吹き飛んで粉々になってしまうくらい、いじらしくて、愛しくて、切なかった。
カホちゃんは、もう一度ぼくのことを、きつく抱きしめてくれた。できることなら、ぼくももう、この場で殺して欲しかった。カホちゃんと一緒に、このまま死んでしまいたかった。そうでなきゃ、もうぼくの人生はこの後、残る全てが闇のような気がしてならなかった。
けれど、ぼくには自殺以外に、死ねる方法がなかったのだ。そして自殺という選択肢は、これから癌で死ぬカホちゃんの運命に対する、冒涜以外の何ものでもなかった。
これはきっと、罰なのだ。今までずっと、カホちゃんと一緒にいれて、幸せの中に浸りっきりになっていたぼくに対する、天の罰なのだった。神は恐らく、罪ということに関しては、誰にでも平等に与えるものなのだ。
この世はきっと、幸せを破壊する神しか存在しないのだろう。幸せを守る神などというものは、どこにもいないのだ。もしそのようなものが存在するとしたら、きっとヴァンパイアだって、実在してしまうということになるのだから。



病室を出たとき、きっとぼくの目は、泣き腫らして真っ赤になっていたはずだった。そんなところ、看護婦さんやお医者さんたちにも見られたくなかった。なるべく下を向いて、そそくさと病院から立ち去ってしまいたかった。
そんなときタイミング悪く、また吹奏楽部一年生の、ナツキに会った。彼女は手に、きらきら輝く、金や銀やラメ入りの折り紙で折られた鶴が、幾重にも連なったものを手に携えていた。それがいつぞや言っていた、千羽鶴に違いなかった。
「イチノセセンパイ?」
と、ぼくを見るなり彼女は、疑問形で声をかけてきた。
「よ、よぅ」
ぼくは、少し気分が悪いようなフリをして、右手で眉毛のあたりを押さえながら、ナツキに声をかけた。バカみたいかもしれないが、涙を隠すための苦肉の策だった。
そんなぼくのささやかな努力に気付いたのか気付かないのか、ナツキはぼくの前に、折り鶴を差し出した。
「見てください! 遂にできました!」
「もう……千羽いったの?」
訊くと、彼女はぶんぶん、首を横に振った。
「まだ、五〇〇羽です。あと、半分作らないと!」
……なんだ、そうなのか。はぁ、とぼくは、思わず溜め息をついてしまった。よくよく考えれば、五〇〇羽折っただけでも賞賛に値するだろうに。彼女の期待の裏切り方が、それを上回ってしまっていたのである。やっぱりこの子、おかしいんじゃないか。そう思い、できるだけ早く、彼女のそばから離れたかった。
「それよりセンパイ! センパイに見せたいものがあるんです!」
と、彼女は、「ハイ」と一旦ぼくの左手に千羽鶴ならぬ五〇〇羽鶴を預けると、肩に下げていた大きめのトートバックの中から、見覚えのある、黒くて薄っぺらな作品を取り出した。なんだ、また結局蝙蝠作ったのか?そう思ったのだが。
次の瞬間、ぼくはぎょっとしてしまうことになったのだった。彼女が一枚の蝙蝠をトートバックの中から引っ張り出すと、その下から芋蔓式に、同じ形の折り紙が、ずらずらっと連なって出てきたのだ。こ、これは、千羽蝙蝠!?
「見てください! センパイからは鶴にしなよって言われたけれど、一応、コウモリバージョンも作ってみたんです。そしたらこれが、結構チャーミングで……」
確かにそれは、なかなかに面白い作品に仕上がっていた。それというのも、蝙蝠が黒一色ではなくて、赤や黄や青や、色んな色の折り紙で折られていたからだった。
「別に、黒に統一しちゃうことなんて、なかったんですよね。こうやって色んな色をつなげれば、可愛く作れるってこと、簡単なことなのに私、全然気づきませんでした」
ふっ、ぼくは笑ってしまった。ぼくだって、全然気づかなかった。千羽蝙蝠と聞いて、真っ黒い蝙蝠が沢山連なっているようなものしか想像できないでいた。カホちゃんが好きな蝙蝠は、全然そんなのじゃないのに。もっと可愛らしく、愉快で、楽しいものなのに。
「なぁ、N高のコンクールの自由曲、あれ、どんな曲か、知ってる?」
と、病院の廊下の壁に寄り掛かり、相変わらず右手で目頭を押さえた体勢のままで、ぼくはナツキに語りかけた。何とか、声の調子は普通だった。ここで声が震えていたら、何もかも台無しだ。
「はい、『「こうもり」セレクション』ですよね。何だか、とっても元気な曲の」
「原曲は、聴いたことあるか?」
「げんきょく?」
ポカンとして、彼女は尋ねる。どうやら、一から説明する必要があるみたいだった。
「あれはね、ヨハン・シュトラウスの、喜歌劇「こうもり」序曲っていうオーケストラの曲を、吹奏楽用に編曲してあるものなんだ」
ぼくは、左手に五〇〇羽鶴を下げたまま、喋り始めた。
「キカゲキ、わかるかな、〝喜びの歌劇〟と書いて、喜歌劇。つまり、愉快なオペラの曲なんだ」
「愉快な、コウモリたちが出てくるオペラなんですか?」
ふふっ、僅かに笑って、ぼくは答える。
「違うよ。劇中に登場する、ファルケ博士っていうキャラクターのアダ名なんだ。その由来も、蝙蝠みたいに不気味だからってんじゃなくてね。仮装舞踏会に蝙蝠の格好をして行ったら、酔っぱらって帰り道の森の中で爆睡しちゃって。翌日の昼間に目が覚めて、慌てて家に帰る姿を近所の子どもたちに見られてしまって、「こうもりだ! こうもり博士だ!」って」
ナツキはクスリと笑って、「面白そう、一度観てみたいですね」そう言った。
「でも私、あの曲に原曲があるだなんて、知りませんでした」
ナツキの台詞に、ぼくはちょっと苦笑した。原曲は、聞けばきっと誰もが知っているはずの曲なのだが、流石に『「こうもり」セレクション』の場合は、少しアレンジが効きすぎているのかもしれない。
けれどもナツキの発想は、それを飛びぬけていた。
「あたし、『「こうもり」セレクション』ってタイトルだけに、コウモリ先生が作曲した曲だって思ってたんですよ」
ぼくはまたもや吹き出しそうになった。とんでもない勘違いだ。けれどぼくも、そうだったらいいな、と思えた。もしもカホちゃんが自分でシュトラウスの「こうもり」をアレンジするなら、きっとこれと同じように、元気でワクワクするような曲にしていたに違いない。
カホちゃんは、コウモリ先生というアダ名を本当に愛していた。何となく不気味なイメージのある蝙蝠を、可愛らしく、愉快なものととらえていたからだった。カホちゃんが愛し、憧れていた蝙蝠は、そんな蝙蝠なのだ。
だとすれば、ぼくが描くべき蝙蝠も、どんなものか、わかるような気がした。
「センパイ」
と、ナツキはまた、ぼくに何かを差し出した。千羽蝙蝠……いや、実際には、二〇羽ぐらいの短いものだ。
「センパイ、これ、あげます」
「えっ……これ、先生へのお見舞いに持ってきたものじゃないの?」
「まだ、試作品ですから。また、作り直します」
あ、試作品、ね……。ぼくは、左手に持っていた五〇〇羽鶴と交換で、その試作品の二〇羽蝙蝠を受け取った。この子、本当にカホちゃんが言うように、優しい子なんだろうか。何だか少し、調子が狂わされてしまうような気もする。
と、交換が済んだあと、ナツキは右手に五〇〇羽鶴をぶら下げ、余った左手でぼくの右手を取った。ぼくが涙を隠すために、目の上に添えていた手である。ナツキはそれを、ぼくの顔から離し、ぎゅっと強く握った。
「センパイ、もう泣かないで。元気、出してくださいね」
バレていた。ぼくが泣いていたことなんて、ナツキにはもう最初から、バレていたのだった。



病院から出た後で、ぼくはまたその日、学校の美術室に足を運んだ。すっかり夏休みも中盤頃のことで、美術部の先生も、休暇を取ったり、取らなかったり、そんな日々が続いていた。
そしてその日は、先生は来ていなかった。なのでぼくは、職員室から美術部の鍵を借りてから、あの蝙蝠の絵の続きに取り掛かった。不気味な蝙蝠じゃない、カホちゃんが好きな、もっと元気で明るい蝙蝠を描かなくちゃ。そう思った。
ぼくは蝙蝠の黒い翼に、赤や、黄や、白や、もっと明るい色を混ぜた。ナツキが折り紙で作ってくれたみたいに、チャーミングな蝙蝠が、ぼくにも絵として描けるはずだった。
そしてその折り紙の蝙蝠は、ぼくが作業している隣の机の上に、ぼくの鞄の傍らに置かれていた。平べったくて、スタンプみたいに机の上にぺたりと貼りついたような蝙蝠。それは微かなウエーブを作って、連帯で飛行している家族のようにも見えた。
その一番下の、赤い蝙蝠は、丁度糸が終わる位置にあって、少しばかり、外れそうにもなっていた。しかしよくよく見ると、それは直ぐ上の方にある青い蝙蝠と、端の部分が糊づけされていて、補強してあった。なるほど、試作品であるわけだ。
しかしぼくにはそれが、ただの補強なんかじゃなくて、上の青い男の子の蝙蝠が、下の赤い女の子の蝙蝠を、引っ張ってあげているようにも見えたのだった。
がんばれ、がんばれって。一生懸命、支えてあげているみたいに。

#10

【二〇〇三年八月】

「○○県代表、N高校。課題曲、Ⅰ。自由曲、ヨハン・シュトラウス作曲、鈴木英史編曲、喜歌劇「こうもり」セレクション。指揮、コモリカホコ」
支部大会当日。アナウンスと共に、舞台上にぼくらのN高校の吹奏楽団が入場を始めた。
カホちゃんは、また真っ黒くて大人っぽい衣装を着ていた。けれど本人曰く、それはただの仮装に過ぎないらしいのだ。喜歌劇「こうもり」のファルケ博士を真似ているだけなのだと。
「見て見てコーちゃん!面白いでしょ、これ!」
今更のように、カホちゃんが初めて衣装を披露してくれた日のことを思い出す。
「ううん……面白いって言うか……」
「え、ダメ? やっぱりちょっと、変かな……」
いや、そうじゃなくて……凄くセクシーで、どきどきする。
そんな本心は、勿論口にすることはできなかった。自分の体型が、異性に与える印象について、カホちゃんは鈍感すぎたのだ。
だから、学校に勤めている間、色んな男性教師から告白されても、全部軽く受け流してしまって、「お世辞で好きなんてことは良く言われるけど、ぜんぜんモテないんだよね、あたし。おバカだからなのかなぁ」なんて言って、よく笑っていたものだ。
でも、今となって思えば、本当にただ鈍感なわけでもなかったんだな……。
と、そんなぼくの余計でくだらない思考も、次の瞬間、一気に消え去った。カホちゃんが、タクトを振り上げたのだ。
ぼくは、カホちゃんが今日この舞台を無事に乗り切れるのか、気が気じゃなかった。演奏開始のとき、ぼくはカホちゃんのことを、ほぼ祈るような気持ちで見ていた。けれどその不安は、課題曲の最初のファンファーレが鳴り響いた瞬間から、無駄だったとわかった。
課題曲Ⅰ、「ウィナーズ-吹奏楽のための行進曲」は、厳かなトランペット一本の音から始まる。最初から合奏で始まる他の曲に比べ、難易度がかなり高い。その一人の奏者への責任があまりに重く、余所の学校の演奏では、緊張のせいでいきなり音を外してしまうところも多かった。
けれどN高の奏者、部長も務めている女子生徒は、カホちゃんのまっすぐ伸ばした手に、綺麗に音を這わせるように、揺るぎのない一直線の音を奏でた。やがてトロンボーンやオーボエも、それに習うように、徐々に音色を重ねていく。まだ打楽器すら無いそのメロディーを聴いているだけで、ぼくの胸の底から何か温かいものがこみあげてくるような気がした。
そして徐々に近づくように鳴り響くドラムロール。だが、まだそれは導入に過ぎない。一般の行進曲は、打楽器によってカチッとリズムがキープできるのに、その主役はまだまだ出番を抑えられている。管楽器の一人が僅かでも油断すれば、一気に全体が崩れることになりかねない。長い長い緊張の局面が続く。
そんな無茶とも思える曲の構成を理由に、これを課題曲に選ばなかった学校も多い筈なのに。カホちゃんは、どうしてわざわざ難解なこの曲を選んだのか。
「だって、〝ウィナーズ〟って、勝利者って意味でしょ? あたしたち、今年は勝ちにいかなきゃいけないの。だから、この曲を選ぶのよ」
思い出せば確か、そんな風な、呆れるくらい単純な理由だったな。けれど今は、それで正解だったと感じる。演奏の素晴らしさに、ぼくは今、胸を打たれている。
曲はようやく主題に入り、ドラムスの響きが、広大な大地のように広がった。そしてその上を、金管が駆け、木管が踊り出す。この行進曲は、確実にN高を勝利へ導いていると、そう確信した。
これまで他のどんな学校が演奏してきた課題曲とも、まるで違って聴こえた。それはまた、ぼくがこれまで何度も音楽室の下で絵を描きながら耳にしてきた演奏とも異なっていた。こんなに豊かで命に溢れた曲を、ぼくはこれまで耳にしたことがあっただろうか。
クライマックス。また打楽器の音が止み、しばし管楽器だけの静かな場面に変わるが、それを打ち消すようなバスドラムの音が響くと、再び力強い金管のファンファーレが鳴る。そして最後はすべての楽器が重なり、一音、大きな音を響かせた。その瞬間、楽団がまるで、とてつもなく大きな一つの玉になったような気がした。
そうして、課題曲は終了した。観客の拍手は、ここでは起こらない。自由曲が始まるまでは、僅かな沈黙が続く。楽団が譜面をめくる音だけが会場に響いた。
その沈黙の間にも、ぼくの鼓動は張り裂けそうなほど高鳴っていた。周りに聞こえるんじゃないかというくらい。明らかに興奮していた。これが、カホちゃんの命の輝きなのかと思った。
癌に侵されていながら、まだこれほどのものを作り出すことができるのか。ぼくは数週間前、病室でカホちゃんに抱きしめられたときのことを思い出していた。あのときぼくは、いっそこのまま、カホちゃんと一緒に死んでしまいたいと思った。今のぼくには、そのことが恥ずかしく思えた。
限りある命を、カホちゃんはすべて、今日のこの日に出し切るような、そんな演奏をしていた。健康な体を持ちながら、まだこの先に長い将来を抱えていながら、中途半端なままで命を捨てたいと願ったぼくのような人間が、カホちゃんを受け止めることができるのだろうかと思った。カホちゃんの方が、ぼくを奮い立たせてくれているようだった。
これじゃあ、まるで立場が逆じゃないか。ぼくは自分が、酷く情けなかった。情けなさと、感動と、そして興奮で、涙が出そうになっていた。
しかし、まだ演奏は終わっていなかった。これから、自由曲が始まるのだ。カホちゃんが好きな、「こうもり」の曲が。
ひょっとしたらカホちゃんは、自分のためにこの曲を選んだのだろうかと思った。カホちゃんは、空を羽ばたけるような翼が欲しかった。しかしそれは、鳥のような、大きくて美しいものである必要はなかった。蝙蝠みたいな翼さえあれば、それで充分だったのだ。
大空を羽ばたけなくても、楽しく踊って、歌い舞われるような、そんな翼があればよかったのだ。
カホちゃんがタクトを上げる。序盤の木管から、トランペット。続くクラリネットやフルートたちが、むじゃきで愛らしい音を奏でる。そして低音楽器が一定のテンポで音を刻んだあと、徐々に演奏は、力強さを増してくる。金管のメロディー、木管のきらめくような旋律、それが交互に二度繰り返された後に、木管と金管は交わり、演奏は豊かな広がりを見せる。
そのあとも、木管と金管の掛け合いは続くが、それはまるで、互いにダンスを見せ合っているかのようだった。穏やかで、優しい表現の木管。一方で、力強く、躍動感に溢れる金管。カホちゃんは、その両者を巧く繋いでいた。とても元気いっぱいで、楽しんでいるように。指揮台の上で跳ねるカホちゃんの姿が、そこにはあった。
その直後のドラムロールと、金管のファンファーレから、物語は一変する。何だか少し切ない、短調の音楽。一度前の主題が繰り返される部分もあるが、曲はクレシェンドしながら、悲しげな装いとなる。それはひょっとすると、ある人に恋い焦がれるような、そんな気持ちに似ているのかもしれない。
やがて、オーボエのソロがはじまったころには、いっそう悲壮感の漂うような起伏を見せ始める。だが、またそのあとの、雄大で、優しげなムードに変化する感じは、どのように例えたらよいのであろうか。
そう、だんだんと回復するカホちゃん。癌と診断されながらも、力を振り絞って生きていこうとするカホちゃん。曲はまたしばらく、穏やかに続く。そのあとで、再び僅かばかり不安な陰りもみせるが、確実に力強さの方がそれを凌ぎ、着実に、着実に音楽を、明るさに向かって盛り上げてゆく。
そして終盤。曲は一気に、元気よく、弾むようなテンポを取り戻す。子どものように手を叩いて踊ったり、少しおすまし顔で、淑やかに踊ったり。いつもの、いつもの元気なカホちゃんの姿が見えた気がした。
やがて、楽団の全員が、皆手を繋いで、踊り始めているような気がした。金管も、木管も、パーカッションもコントラバスも。男子も女子も分け隔てなく、皆仲良く、踊り合っていたのだった。
ぼくも、その輪の中に混ざりたいと思った。カホちゃんは、とても、とても楽しげな様子だった。重い病を患って、ぎりぎりの状態で生きているのではなかった。人生そのものを謳歌するように、夢中で、楽しく生きていたのだ。
音楽が、終りに近づく。まだ、終わってほしくなかった。もっともっと、カホちゃんの喜んでいる姿が見ていたかった。ぼくの視界が、突然ぼやけた。ぼくには、目から溢れ出たそれを、拭くことさえままならなかった。最後のドラムロールが終わるまで、ぼくは体がマヒしたみたいに、じっとステージに目を向けていた。
そして。
演奏が終わった。周りから一斉に、拍手が巻き起こった。でもぼくは、手を動かせず、そのままでいた。カホちゃんが、客席を振り向いたのが見えた。一瞬、笑った表情が見えたような気がした。
けれど、次の瞬間だった。
カホちゃんが、その場に崩れ落ちたのが見えた。会場の拍手は、一気にどよめきに変わった。演奏を終え、楽器を持ってまっすぐ起立していた部員たちも、慌ててカホちゃんの元へ駆け寄った。特に、小さい楽器の者は、それを椅子の上や、床の上に置くことも忘れて。
そのときぼくは、一体何をしていたのだろう。どうしても、それだけが思い出せない。大勢の観客が喚いている中で、ぼくは、今全てが終わってしまったのだということを感じていた。これからぼくがどこにいくのか、これから世界がどこへ向かうのか、何もわからなかった。まるで、全てが闇に包まれてしまったかのような、そんな感覚だった。
ひょっとするとぼくは、何かを叫んだのかもしれない。カホちゃん――。しかしその叫び声は、もう本人には届かないだろうということは、わかっていた。舞台から崩れ落ちたカホちゃんの体は、既に無だった。いつものカホちゃんは、もうそこにはいなかった。
ざわめきの中でぼくは、何かが空に飛び上っていったのを、見た気がした。それは、よくよく考えてみれば、ただの幻に違いない。けれど、何となく、見えた気がしたのだ。小さくて可愛い蝙蝠が、ホールの天井を突き抜けて、高い高い空へ、飛んで行ってしまったのが。

#11

棺の中に入ったカホちゃんは、とても穏やかで、まるで眠っているような顔をしていた。少し化粧をされているせいなのか、頬や唇は健康的なピンク色で、死体と知らされなければ、もう一度キスしてあげたいと思うほどだった。
「カホコさんに、何かお供えされるものはありませんか」
火葬場の係の人がそう尋ねたとき、その場に付き添って来ていたナツキが「はい」と手を挙げ、ようやく完成した千羽鶴を差し出した。
「あの……それと、よかったらこれも」
と、トートバックの中から、彼女は千羽蝙蝠も取り出した。ぼく以外の人々は初めて目にするもので、一体それはなんだろう、という怪訝な顔でそれを見ていた。取り敢えず、係りの人がそれを受取ろうとしているところで、ぼくはそれを止めた。
「それは、燃やしちゃだめだよ。燃やしたらたぶん、カホちゃんがっかりするから」
それは、なかなか苦労を重ねて作ったのであろう、立派な千羽蝙蝠だった。勿論、見栄えは、本来の千羽鶴と比べたら何となく奇妙な感じもしたけれど、カホちゃんだったらきっと、そっちの方に愛着を持つ筈だった。そして千羽蝙蝠は、その後、カホちゃんの家の仏壇に飾られることとなった。
火葬が終わるまでの間の記憶も、ぼくには無い。親戚や、吹奏楽部の連中が、お菓子を食べながら何やかやと話している中から、ぼくは一人抜けて、何処かへ行っていた。
トイレだったろうか。それとも、火葬施設の中を、ぶらぶらとほっつき歩いていたのだろうか。はたまた、施設の外へ行き、煙突から昇る煙の色を眺めていたのかもしれない。その、紫色の煙を見ながら、あぁ、あれはカホちゃんかな、などと考えていたのだろうか。
しかしその煙も、本当に紫色だったのか。ただ何かの本で、火葬場から紫色の煙が上る、なんて文章を読んで、勝手にそう思い込んでいるだけなのかもしれない。
そして、やがて然るべきときが来たとき、ぼくはどうして、骨上げの場所へ向かったのだろうか。ひょっとしたら、ナツキか誰かが呼びにきたのかもしれない。センパイ、骨上げ始まりますよ。しかしただの一部員という立場のナツキが、カホちゃんの骨上げまで手伝ったかどうかの記憶も、定かではない。
そのとき、ぼくは無だったのだ。泣いてもいなかったし、苦しんでもいなかった。全くの、無という存在だった。
唯一覚えていることと言えば、骨上げの瞬間くらいだ。現れた骨は、いったいなんの骨なのか、よくわからなかった。カホちゃんの骨であることには違いなかったが、とてもそうは思えなかった。少なくともそれは、ぼくの知っているカホちゃんではなかった。
骨になってしまうと人間は、何だかよくわからない物体になってしまうんだなぁ、と、そう思った。コーちゃんにね、ちゃんと覚えておいてほしかったの。あのときの、病室でぼくのことをぎゅっと抱きしめてくれたときの、カホちゃんの言葉が思い浮かんだ。あたし、死んで焼かれちゃったら、もうこのおっぱいも、灰になっちゃうから。
あぁ、あの言葉は、本当だったんだ。当たり前に思うことだったけど、単に理解しているのと、現実目の前に示されるのとでは、こうも隔たりがあるのだな、と、そう感じた。
カホちゃんの葬儀が終わって、三日後。もう夏休みも残り二、三日となったある日、ぼくは学校を訪れた。運動場のフェンスに、端から端まで広がるくらい、横長の幕が貼られているのをぼくは見かけた。N高校吹奏楽部、吹奏楽コンクール○○支部大会、金賞受賞。赤いゴシック体の字で、太く太く、そう印刷されていた。
美術室には、先生のいる気配はなかった。なのになぜだか、美術室の扉には鍵がかかっていなかった。ちょっと、外出しているのかな。不用心とも思えなくもなかったが、どうせこんなガラクタ倉庫、盗むようなものは何も無いだろう。それよりも、職員室へ行って鍵を借りてくる手間が省けてよかった。
教室の奥には、ぼくの蝙蝠の絵が、キャンバス台の上に乗っていた。その前日に、ようやく仕上げられた絵だった。ふと、絵の横に小さな紙切れが置かれてあった。それには赤いペンで、A+、という評点が付けられていた。
結局この絵を、カホちゃんが死ぬまでに完成させることは出来なかった。コンクールが終わったら、と思っていたぼくがバカだった。
先生のA+という評価を、どう受け止めたら良いのか。完成したらカホちゃんにあげるという目的を失いつつも、それでも何とか完成させられたことに対する評価なのか。いや、そもそもこんなもの完成と呼べるのか。
ぼくは無だった。カホちゃんが死んでからぼくは、無の存在だった。この絵はもう、ただ単に、課題として仕上げただけなのだ。もうある程度の方向性が見えている上で、完成までもっていくことは難しくはなかった。いくら心が無だとしても、技術一つだけで、何とか乗り切った。
しかし、それがいったい何になるというのだ。この絵は一体、何のために存在しているのだ。
ぼくは、キャンバスを両手で、思いっきり掴んだ。こんなもの。キャンバスを高く振り上げ、そのまま台に向かって、叩きつけようとした。そうすれば、この布でできたキャンバスに、脆くも大きな穴が開くに違いない。
何週間も、苦心して作り上げた作品。しかし、別にそれで台無しにしたっていいじゃないか。どうせこの作品は、無なのだ。無のものを破壊したって、今更悔やむようなことは、もう何もないのだ。
しかし、ぼくの手は下におりなかった。振りおろそうかと思うたび、カホちゃんとの思い出が頭の中によぎった。コーちゃん……ぼくを呼んで、微笑むカホちゃんの顔。あぁ、あぁ……。涙が、頬を伝った。まだ、こんなに……ぼくは思った。まだこんなに……カホちゃんはぼくの中で、生きていたのだ。
あぁ、あぁ……。声に出さず、ぼくは泣いた。やがて、ゆっくりと手を下ろし、キャンバスを、元の台の上に戻した。ぼくの心は、無なんかじゃなかった。まだこんなにも、こんなにもたくさんの思いが、ぼくを満たしていたのだった。
そのとき、ガラッ、という音がして、教室の扉が開いた。そこに、美術部の先生が立っていた。よぉ、コウヘイ。来てたのか。
「よく、仕上がっているじゃないか。その蝙蝠。お前らしく、立派に描けているよ」
先生……違うんです。ぼくは言った。
「先生、違うんです。こんなもの、立派でもなんでもない……本当は、もっと早くに完成させるべきだったんです。おれは、この絵を、ある人に見せたかったんです。でも、完成する前にその人は……その人は、死んでしまったんです。だから、こんな絵、立派でもなんでもない。なんでもない、つまらない絵なんです」
「……コウヘイ」と、先生は低い声で言ったあと、ぼくの元へと歩いて来て、その岩のような手を、ぼくの頭に乗せた。そして、こう言ったのだった。
「コウヘイ。作品に目的なんてものは必要ないんだ。例えそれが失われたとしても、それがその作品自体の評価を下げるようなことには、絶対にならない。いや、こんな言い方は違うな。寧ろ、評価自体が、その作品にとっては、何の意味も無い。大切なのは、それを作った人間が、その作品とどう向き合ったかなんだ。どんな思いを込めたのか、どれほど苦労をかけてつくったのか。また、どんな思い出が、そこに刻まれたのか。それこそが、一番重要なんだ。目的や評価というものは、そのあとに付いてくる、ただのおまけみたいなものだ。無いなら無いでも、別に、どうだっていいじゃないか。だから、大切にしなくちゃだめだ。その人を思って、必死に描いた絵を、お前は大切にしなくちゃだめだ」
ぼくは、また蝙蝠の絵を見た。そこには、沢山の思い出が刻まれているような、そんな気がした。元気に羽ばたくその姿は、吹奏楽コンクール支部大会で、「こうもり」の指揮をしたカホちゃんの姿を思い出させてくれた。
そのとき、破られる筈だったその絵。今は、ぼくの家の部屋に飾られている。生前のカホちゃんの写真を持っていないぼくにとって、それは唯一、カホちゃんのことを思い出すための、形見のようなものである。

#12

【二〇〇三年九月】

ふと、ぼくの意識は、公園の滑り台の上に戻った。何だろう、何か思い出しごとをしているうちに、寝てしまっていたようだった。空はもうすっかり、星空となっていた。
ぼくは上体を起こし、胡坐をかく姿勢になって、滑り台の周りを見渡した。あれ、さっきナツキがいたような気がしたと思ったんだけど……あぁ、やっぱり先に帰ったのか。
「センパイっ、ようやく起きましたね!」
と、いきなり背後から抱き締められて、心臓が飛び出しそうな気がした。完全に死角となっていたにしても、傍にいるのに全く気配が無いとは。忍者か?
「なんだよ、お前……まさか、ずっとそこに?」
「ふふっ、センパイの寝顔、可愛かったですよ!」
やれやれ。ぼくは頭を掻いた。やっぱりこの子、変わってる。ぼくは、ナツキの手を振りほどこうとした。しかし、彼女はそれを拒み、ぎゅっと力を込め、ぼくの背中を抱いた。
「何? どうしたの? ちょっと、苦しいんだけど」
ぼくはそう抗議したが、ナツキはそれでも、離そうとはしなかった。くだらない悪ふざけなら、やめろよ。そう言おうとしたが、ぼくはそこに、何か少し真剣な空気が流れていることを感じた。
「センパイ、泣いてましたよ。夢を見ながら、また、泣いてましたよ」
ぎくっとした。マズイところを見られたと思った。
「わ、悪いか?」
照れ隠しにそう言った。けれど、ナツキはぼくの後ろで、ぶんぶんと首を横に振ったようだった。
「別に、悪くないです。泣いてください。泣きたいときは、泣けばいいんです」
ナツキにそう言われたのは、初めてな気がした。前にぼくが泣いていたとき、彼女は、泣かないでくださいと言った筈だった。
「どうして?」
思わずそう尋ねた。するとナツキは、こう答えた。
「私、最近初めて知ったんです。恥ずかしいことかもしれないけれど、こんな簡単なこと、初めて知ったんです。物は、壊れちゃうと、もう二度と元には戻らないんです。お茶碗とか、花瓶とか。人や、動物の命だってそう。だけど、傷ついた心は、壊れてもまた、修復できるんです。涙を流すことで、痛みは和らぐんです。もちろん、完全には癒せないかもしれない。けれど、泣いたら泣いた分だけ、痛みは引くんです。だから泣いたらいいと思います」
ぷっ。ぼくは、笑った。確かに、ぼくはそのとき笑った。何だか、カホちゃんが死んでから、初めて笑ったような気がした。
「あっ、何で笑うんですか!」
ナツキは抗議したが、仕方ない。彼女が真剣に話してる姿が、ぼくにはどうしても、可笑しくてたまらなかったのだ。
けれど、笑ったらまた、ぼくの目から涙がこぼれた。それは止め処なく、まるで滝のように溢れ出てきた。何を馬鹿なことを。ぼくは思った。冷静に考えてみたら、この状況は酷く恥ずかしいものだった。なんで高校生にもなる男子が、後輩の女の子に背中を抱かれて、涙しなきゃいけないのか。
しかし、ぼくはそうせざるを得なかった。カホちゃんは死んでしまった。もうぼくは二度と、カホちゃんみたいな人に会うことはないだろうし、カホちゃんみたいに人を好きになることも無いのだろう。この喪失感を、ぼくはもう、これから先の長い人生の中で、一度として埋めることはできないのだ。
ならばせめて、この心は取り戻さなければならなかった。少しでも傷が癒えるのなら、ぼくは、涙を流さなければならなかった。それこそが、ぼくにかかった呪いのようなものに対する、唯一の抗いであるように思えた。
ぼくたちは月明かりに照らされながら、夜の公園の滑り台の上で二人座っていた。そのとき、ふと、パサパサと、どこかで何かの羽音が聞こえたような気がした。蝙蝠。これから彼らも、夏というものに別れを告げ、冬眠の支度を始めるのだろうか。
この先には、長い長い冬が待っていた。寒く、厳しい冬が待っていた。けれどぼくは、その厳しさの中で、生きていこうと思った。
辛いときは涙を流し、生きていこう。ぼくはそう、覚悟を決めたのだった。

#13

【二〇一〇年九月】

以上が、私の兄の物語である。ここから語るのは、その後日談だ。正直、語るべきかどうか、少し躊躇われる。兄が書いた物語を、それ単体で評価するならば、これからの話は全く以て蛇足。下手に語れば、兄の名誉を傷つけることにもなりかねない。
それでも敢えて語るのは、これから私が、私についての物語を語らねばならないからだ。もう過ぎた過去のことは一度精算し、前に進まねばならない。それが、今を生きている私たちに、常に求められている責務だと思うから。
さて、それでは振り返りつつ、語っていく。まずは、兄の物語について。冒頭に書いてあった通り、物語は二〇〇三年六月から始まり、同じ年の九月で終わっていた。
けれどこの日記は、二〇〇五年の春、家を出て行こうとする直前に書かれたのではないかと思う。恐らく二〇〇三年当時はまだ、兄にこんな文章を書く力は無かった筈だ。
あんな風に日々ぼーっとして、まるで無気力で過ごしていた人が、「厳しさの中で、生きていこう」なんて力強い宣言が出きるとは、とても思えない。
コモリカホコという一番身近で大きな存在を失い、傷つき、何も出来なくなった兄。繊細と言えば聞こえはいい。しかし他人から見れば、ただだらしなく、情けないだけだった。
あんなに懸命になって描いていた絵も、カホ姉が死んで以来、止めてしまったのだ。唯一の部員がいなくなったN高校の美術部は、それ以来廃部になったと聞く。カホ姉が生きていたら、さぞや嘆いていたことだろう。
そしてもっと酷かったのが、ナツキさんとの関係だ。ナツキさんはよく家にも来てくれ、休日も部屋に引きこもっている兄を、少しでも元気づけようとするように、外へ連れ出してくれた。
ひょっとしたら、二人の間に恋でも芽生えたなら、また兄も元気を取り戻すかもしれない。両親もそう思い、密かに二人の仲を応援していたようなのだが。
結局半年も経たないうちに、ナツキさんは家に来なくなってしまった。僅か半年、いや、寧ろ半年もの間よく続いたものだと思う。なぜなら、ナツキさんから連れ出されるとき、私の目には、兄はいつもつまらなそうな顔をしているように見えたから。
ナツキさんという人は、結局兄にとっては何でもない存在だったのだ。カホ姉の代わりになるわけなんかない、ただのちょっと風変わりな後輩に過ぎなかったのだと、私も当時は思っていた。
二〇〇五年、兄は大学進学を機に、他県へ旅立っていった。無気力に見えても勉強だけはしっかりやっていた兄。或いは、無気力でも〝技術一つだけで、何とか乗り切った〟というところだろうか。高校進学当初、私立の芸大に進みたいなんて言っていた兄は、それとはまったく正反対の、公立大学の経済学部に進んだ。
そうして兄が不在となった直後のこと。一度だけ、ナツキさんが家に訪ねてきたことがある。
「兄は、他県の大学に進学しました。今は一人暮らしです」
まだ兄のことが忘れられないのだろうか。そう気の毒に思いながらも、玄関に出た私はナツキさんにそう言ったのだが。ナツキさんの方は全然気にしていないという風にほとんど表情を崩さず、「うん、知ってるけど」と言いながら、何かを私に差し出した。
それは、鍵だった。銀色の小さな、何のアクセサリーも付いていない鍵。
「それ、イチノセセンパイのアパートの合い鍵。ウチに送られてきたんだけど、返そうと思って」
当時まだ小学六年生だった私は、少しだけぎょっとした。合い鍵という言葉の響きもそうだったが、それを、兄の方からナツキさんに贈っていたとは。
「イチノセセンパイに、伝えといてくれないかな。フラレた側がもう一回アプローチしてきたって、カッコワルイだけですよ、って」
ナツキさんの言葉には戸惑うより他なかったが、彼女が帰った後、受け取った鍵をじっと見つめながら、ゆっくり時間をかけて考えた。私は、大きな誤解をしていたのだろうか。
ナツキさんという人も、やはり兄にとって大切な存在だった。けれどナツキさんにとっては逆に、兄はそこまで大切な存在ではなかったのではないか。
……否。ひょっとしたら、その誤解していたという考え自体も、とんだ誤解なのかもしれない。帰り際、ナツキさんはこうも言っていた。
「ホント、カッコワルイでしょ、コーちゃ……じゃないや、イチノセセンパイ。ヨリ戻したいんなら、今度はあたしの方からコクハクしたくなっちゃうくらいカッコヨクなってくんなきゃ、ね。男の子なら」
それは諦めて吐いたようにも聞こえるが、まだなにがしか、期待も込められているような言葉だと思えなくもない。真相は、定かではない。まったく、人間の気持ちというものはわからないものだ。周りの人間にとっては勿論のこと、あるときは、当人にとってさえ。
それから兄のアパートの合い鍵は、結局兄には返していない。ナツキさんから伝えるように言われた言葉も伝えていないけれど、別にその必要も無いだろう。これは、二人の問題だ。妹の私が口を挟むようなことではない。それで二人の関係が自然消滅したとしても、それは仕方の無いことだ。
ナツキさんもやがて、この街を出て行った。今はどこにいるのかもわからない。ひょっとしたらまた、兄の傍にいるのかもしれないし、全然違う別の場所にいるのかもしれない。
ただ当時の合い鍵だけが、今もなお私の机の中で眠っている。当時の記憶を、そのギザギサした窪みに刻んで、ただ眠っている。

今、兄は大学を卒業し、東京の証券会社で働いている。実家に帰ってきて就職してくれることを望んでいた両親は大いに落胆したが、兄は「地元じゃ仕事無いから」と言って聞かなかった。
かと言って、本当に地元で仕事を探したのかと言えば、そうじゃないような気もする。単純に、兄はこの街に戻ってきたくなかったのではないか。どこに行ってもカホ姉との思い出しか無いこの街に。失ったものの面影ばかりを見てしまう故郷へ。
けれど、もしそうだったとしても、私は兄に、尚更帰ってきて欲しいと思う。私は兄について、まだよく知らない。年が離れていようと、血の繋がった身近な存在である筈の兄のことを、まだ。
もう一度、兄に傍にいて欲しいと思う。そんな気持ちは、そう、嫉妬みたいなものかもしれない。カホ姉への、ナツキさんへの。私も兄にとっての大切な存在であることを、忘れて欲しくないのだ。
私は言いたい、兄に。確かにあなたは、とても大きなものを失った。もうそれは、二度と取り返しのつかないものだ。一度空いてしまった穴は塞がらない。別のもので埋めようとしても、違和感しか残らない。
けれど、忘れないでほしい。あなたにはまだ、失っていないものも沢山ある。あたしも、両親も、そしてこの街も。それらはまだ、あなたと繋がっている。これまでも、そしてこれからも、あなたが生きている限りずっと。
そして、それはまた、私自身へ言いたい言葉でもある。私もこの夏、大きなものを失った。けれど、そのことで塞ぎ込んでいるわけにはいかない。嘗て抜け殻のように過ごした日々を、繰り返してはいけない。
兄が自分の喪失の物語を書き綴ったように、今度は私が、物語を書かねばならない。そしてそれは、ただの喪失の物語ではなく、また新たな何かを獲得するための物語でならなければならない。

日曜日の夕日が、ゆっくり住宅街の中に沈んでいく。いつもは哀愁しか感じさせないその輝きが、今日ばかりは、新しい一日の誕生を祝うような、賑やかで美しい光に見える。
今、一日が終わろうとしているこの場所の裏側の世界では、新しい一日が始まろうとしている。
三〇分ほど前、私は家を出た。電車に乗り、この場所にたどり着いた。かつて、サクマミチコが通学に使っていた駅だ。私も一度だけ降りることになったその駅に、今、こうして再び立っている。
ここから新しい物語が始まるわけではない。物語は全て、過ぎ去ってしまった過去の出来事だ。始まったところで、それはまた別の新しい話として、未来における過去として語られるだけである。
それでも、伝えなければならない。紡がねばならない。私の物語を。それが、他人の目にどう映るかは関係無い。
大切なのは、物語を紡いだ人間が、その物語とどう向き合ったかだ。どんな思いを込めたのか、どれほど苦労をかけてつくったのか。また、どんな思い出が、そこに刻まれたのか。
そうして私は、この場所にさよならを告げる。別れの為ではない。もう一度、彼女に巡り会うために。
やがてこの物語が終わると同時に、私の物語が始まる。
最後に、兄の表現を借りて、こう記しておく。その物語は二〇一〇年六月から始まり、同じ年の七月で終わる。
それは、私が失ったものについての話であると同時に、私が新しく得たものについての物語である。

【二〇一〇年一一月】

追記。
先日、兄からメールが届いた。「来年の正月、一度実家に帰ってくる」と、それには書かれていた。
言葉は、ただそれだけだ。紹介したい人がいるんだ、なんて思わせぶりなことが書いているわけでもない。
けれど、別にそれだけで構わない。また兄に会えるというだけで、十分だ。それだけで私は、なんだか、わくわくしてしまっている。
そしてメールには、油絵の画像が添付されていた。誰の作品かは書かれていないが、それでもわかる。この美しく、踊るように鮮やかな色は、兄のものだ。
その絵を――優雅に舞うような真っ赤な金魚の絵を、新しい物語の題材にしようと、私は思う。

(完)

#創作大賞2023  #恋愛小説部門


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