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言語を失った体験価値

こんにちは。ムラカミリョウです。

最近、ホテルステイで仕事をしたり作業をしたりすることが多いのですがどの宿泊者の方を見ても外国人。

外国に来たんかってくらい外国人宿泊客が多くて驚きます。
値段も東京都内だと1万円で泊まれるビジネスホテルの方が少なくて、平気で2-3万するようなところばかり。物価上昇×給料ステイに耐えられない日本国民はどうなるのでしょうか・・

さて、先日行ってきた「言葉のない喫茶店」というカフェがとても素晴らしかったのでその紹介になります。

概要はこちらから!

クリエイティブディレクターの明円卓さんがプロデュースした期間限定の喫茶店。

明円卓さんといえば「いい人すぎるよ展」や「やだなー展」など、そう!それそれ!となるようなアイデアを具体化するのがとても素敵で、いつも驚かされております。

言葉のない喫茶店は文字通り店内で言葉を使用するのが一切禁止の喫茶店。

口の動きを読むのもNGなのでジェスチャーや目で訴えかけて(怖)頼みたいものを注文していきます。

実際に体験して素晴らしいなと思ったのは、

言語がないことによって新しいコミュニケーションが生まれる。という体験です。

「ん?」って思いません?

人間はコミュニケーションを円滑に進めるべく言語というものを発明した動物。その言語を取られたらコミュニケーションって生まれないのでは?と思うじゃないですか。

でも違うんです。

お客さんと店員さんの間のコミュニケーションではなく、
お客さんとお客さんの間にできるコミュニケーションが生まれたんです。

僕はアイスコーヒーが飲みたくて豆を引くポーズ&寒そうにするポーズをしたのですが、店員さんにイマイチ伝わらず・・

そうすると、目の前にいたカップルが僕をみて「(苦ーい!というポーズをしないとコーヒーだと伝わらないよ)」と教えてくれたんです。ジェスチャーで。(後々考えたら豆を引くポーズはお茶を淹れるポーズと似てるんですね)

普通、喫茶店とかで全く初めてのお客さん同士がコミュニケーションをとる機会って少ないじゃないですか。日本は特に。

でも、前から居たお客さんは一度ジェスチャーで注文する難しさを知っちゃってるものだから、次に入ってきたお客さんが困ってると手を差し伸べてあげようとするんです。

でもジェスチャーがうまく伝わることばかりじゃないから、なんとか必死になって伝えようとして、その必死さゆえに可笑しくなってお互い笑っちゃう。みたいな。

外国とかであるあるじゃない?と思った方もいると思うんです。
でも、たとえば英語が通じないときってどうにか伝えようとするとき店員さんとのやり取りにならないですか?メニュー表持ってきて指をさすとすんでしまいます。

でも「言葉のない喫茶店」では紛れもなく「お客さんtoお客さん」のコミュニケーションが発生する。

言葉がないからこそ、新しく生まれるコミュニケーションがまさにそれで
通常の喫茶店だとできない体験だなあと思うんです。

言葉や文字がもたらしてくれる利便性から一回解き放たれてみた先の新しい発見。不自由からの発見は、何不自由なく生活できてる僕らが考えないといけないことなのかもしれません。

今日は以上でーす。



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