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"フレッシュマン"に憧れて。壱

 私は小さいころから本が好きだった。私の中に残っている記憶をたどってみる限りだと、保育園では誰とも話さず絵本にかぶりついていたのをよく覚えている。人と話すのが苦手だった幼少期、勿論そこには友など居るはずもなく、先生方が様子を伺いに頻繁に私に話しかけに来ていた。
 小学校に上がってみると小さな村社会が少しづつ少しづつ出来上がっていく。それは学年が上がれば上がる度に、その社会の密度は濃くなり、幼年の子供たちに人の社会がどの様な人間関係を構成し、原理原則の尊さを大人たちに説き伏せられる。

 会話が苦手な私にも幾人かの友人たちができた。幼心にも感じたどこか似た雰囲気を持つ子供たちだったと思う。発する言葉の語気を弱くとも、必要十分のことを理解しあい、お互いを尊重できる良い関係であったと思う。しかし「子供は明るく、元気よく」が原則として暗に存在するような場所では、私たちは大々的に隅の者として扱われた。ただただマジョリティーが会話に話を咲かせている間、ドッチボールをしている間に、読書をしているだけなのに。 

 常識というのは場によって変わるのだろう。地区の子供たちが皆進学する公立の中学校では読書の習慣が設けられていた。お喋りに興じる者も多少はいたが、多くが読書をしていて、初めて自分が普通の、その場における常識を守っているマジョリティーの一部であると実感できたのであった。若干13歳にしては少し難しめの本を読んでいた程度であったが、特にクラスでの疎外感を感じることもなく、小学校に比べると居心地は良かった。
 義務教育のお蔭でいくらかの学力が身についた私には読書の質も上がり、勉強も楽しく感じれた。読書をしていても疎外感を感じることもなければ、大きくなっていた知的好奇心も満たされていくのは、正しく快適であり、生きやすいそのもであった。

 親と教師の間で決められた通りに県内一の進学校へ進学した。大層両親は喜んでいたが、これが後の親の期待につながることは言うまでもない。進学校ということもあり、よその高校に比べると私と同じような人間たちが多くいたように思える。読書が好き、そして大きく騒ぐことが好きではない。中学のころと同じような快適さを得られるのだと思いながら学年を上げていくと、勉強に躓きだした。理数系の点数は大きく下がりだし、授業の理解も追いつかなくなってくる。「勉強」ができるということが唯一の懐刀であった私にはここでの躓きがどれほどの苦悩と苦痛を与えられたかは言うまでもない。
 しかし勉強という大きなくくりで挫折をみていた僕にとっての希望でもあり、心のよりどころでもあったのが国語だった。点数としても楽しさと言っても国語はどの教科とも比べられるものでなく、暗に形成されてしまう校内のヒエラルキーでも私を一目置かれる存在として確立してくれたものであった。
 勉強を知的好奇心を満たすものというより、学力闘争の物差しとして考え始め、焦燥感に追われ始めた時だった。図書室に張り出されていた、高校生の自作小説コンテストであった。今思え返すと、それは勉学による束縛から逃げ出したかっただけどとも思うが、子への期待からか頻繁に成績に口をつけ始めた両親への免罪符としては最適だった。 
 そして私は審査員賞に輝いた。初めて書いた小説というもの。もはや何を書いたか覚えていないが、勉強という大きな刀を振りかざすのを止めてしまった私に残っていた唯一の短刀が光輝いた瞬間だった。自分の今までが赤の他人に認められたのだと、嬉しかったのは覚えている。
ただこの結果が今の私を作りだし、自分をより束縛し始めるということは先に言っておきたい。(つづく)


底辺。

関東近郊の寂れた「場末」は「場末」な場所に生息している人たちで運営しています。 コラム執筆は「リーダー」が担当。その他は「私」が担当します。