人殺し未遂から、人を救う霊視カウンセラーになった"たった一つ"の理由
「このまま目の前を通りすぎるトラックに突っ込んだらどうなるだろう。誰か悲しんでくれるかな・・」
自分の人生がまさかこうなるとは思ってなかった。
【はじめに】
どうもこんにちは!
やばたです!
宇宙から、「自己紹介書いて」って降りてきたのですべての仕事を放り出して執筆中です。笑
「こいつ頭おかしいんか?w」
そう思う方もいるかもしれませんが、
このnoteに辿り着いた時点で、何か直感的に感じるものがあったんでしょう。
このnoteを書くにあたって、僕はあなたに何を伝えたいのか?
それを考えた時にまず浮かんだのは
「人が大きく変わるのは人との出会い」ということだ。
無論、僕と出会った時点であなたは変わるキッカケを手にしている。
これを生かすも殺すもあなた次第というわけだ。
未来に希望を見出せず、生きることを諦めようとした過去から、
独立して会社経営、愛する家族、恵まれた仕事仲間、信頼できる友人達に囲まれて生活している。
あの時あの瞬間に、こうなることを誰が想像しただろうか。
自分の人生を振り返り、今に至るまでものすごく遠回りをした。マジで絶望的な状況からでも、どれだけ大変なことがあったとしても、自分が望めばいつか報われることを伝えていきたい。
気分が悪くなる方もいるかもしれないが、無理はせず読み進めて欲しい。
僕が恥ずかしくて話せなかった過去も、あなたが変わるきっかけになるのなら、喜んで全てノンフィクションでさらけ出してしていこうと思う。
【初めての経験〜小学校時代〜】
小学4年生くらいまでは、それなりに成績も良く、友達もいる。学級委員長的なことをしたり、いわゆる優等生タイプだった。スクルールカーストで言うならば上位。先生や友達の親に褒められることも多かった。
我ながら、すべてが上手くいっていて人生に何ひとつ不安などなかった。
すべてが変わったのは5年生になってからだ。
"いじめ"
よくある話だ。
しかも俺がいじめる側だった。学校の先生をいじめ始めた。
理由は「息がクサい」とかそんなんだったと思う。
原因は今だからわかるが「両親が毎日のように喧嘩していた」ことだ。
父親の怒鳴り声、モノが投げられる大きな音、皿が割れる音、母親のヒステリックな叫び声。父親には怖くて逆らえず、母親には甘えるのに気を遣う。それから今までの温かい家庭の雰囲気はなくなり、
小学生ながら、人の顔色を伺う生活をしていたのだ。
父親が仕事から帰ってきて俺がリビングでテレビを見ていたらなぜか怒鳴られ、自分の部屋に追いやられる。
基本的に命令口調で、自分が正しいと思っている性格だ。
僕は父親が心底嫌いだった。
僕がいじめを始めたのはストレス発散と自分の存在価値を証明したかったんだと思う。
朝のホームルームではかくれんぼをやり始め、昼休み中に学校から逃走して警察沙汰に。授業中は先生に消しカスを投げて遊んでいた。やがて学級崩壊が起こり、先生は一旦離職。母は父母会で他の親に責められ、謝り倒していたようだ。
誰もが認める優等生から一転して、出来の悪い劣等生の烙印を押されるまで、時間はかからなかった。
書きながら感じるが、本当にクソみたいな小学生だったと思う。
先生が離職していじめが落ち着いたあと、今度は僕がいじめられ始めた。
今考えれば当然の報いだ。
いつも一緒にいた友達からは話かけると無視され、空気のように扱われるようになった。陰でこちらを見てニヤニヤしている。教室に入れば笑い声が一旦静まり、話題を変える。通りすがりに「キモ」と小声で言われる。
僕が触ると「みやもと菌(仮)がうつったーww」とでかい声で鬼ごっこを始める元友人たち。
「なんでこんなことされなきゃいけないんだ!」
怒り、悲しみ、喪失感、自己嫌悪、寂しさ。様々な感情が入り混じっていた。
今までスクールカーストで言えばトップだった俺が、一瞬で下落した。惨めすぎて、恥ずかしすぎて、逃げたくて、本当に何度も死のうかと思った。
でも、怖くてできなかった。
【変化の中学生時代】
中学に入ってもいじめは続いた。
いじめられてるやつは特有の雰囲気が出るからだ。
ある日突然、いじめが止んだ。
違う小学校のボスみたいなやつが、いきなり教壇に立ち、こう言ったんだ。
「みんなーちゅうもーく。今からこいつイジメたら全員ぶっ飛ばすからよろしく。」
何が起きたのか分からなかった。
僕のヒーローだったことは間違いなかった。
僕の人生を変えてくれた友人の一人だ。
そこからいじめは止み、友達もできて楽しく過ごしていたが、
自分でも言語化できない大きな問題があった。
それは、「自己肯定感の圧倒的な欠如」
友人に裏切られた経験
お前ほんと使えねえな
容姿をいじられた経験
お前ほんとつまんねえな
本音を言えずに両親の言いつけを守ってきた経験
お前ほんとキモいな
他人の顔色を伺ってきた経験
そのすべてが、自分の価値観を形成していった。
「自分は人から嫌われいて、どうでもいい人だと思われているんだ」
「自分には無理だと自動思考している」
「自虐しすぎて距離を置かれてしまう」
「自分はコミュニケーションが苦手だと思い込む」
「常に遠慮しがちで譲ってしまう」
「優しくしてもらうと”ありがとう”より申し訳ないと思う」
「つい相手の顔色をみてしまう」
「人に褒められると嘘だろって思う」
「彼女欲しいけど俺カッコよくないからな、、」
僕は中学を卒業するまでの間に、自己肯定感低いやつあるあるを
見事コンプリートしていた。
【闇の高校時代】
高校にもなると暗黒時代の僕を知っているやつはほとんどいなくなり、
髪型と眉毛を整え、高校デビューをかました。つもりだった・・・
ここにきて発動してしまったのだ。自己肯定感の低さが・・
「かっこいいね」
→そんなことはあり得ないし、俺のことイジってるに違いない
「友達がモテモテだった」
→あいつと比べて俺なんか全然モテないしブスだ
「みんなで遊びに行く」
→自分が何したいか言えない、てか考えたこともない。
「コミュ力高いやつがクラスにいる」
→俺にはあいつみたいにコミュ力ないし、仲良くなるために他人と何を話したらいいのかわからない
思い返してみても酷い拗らせ方だ。
仲のいい人にだけ自分を少しだけ出すことはできたから、
周りからしたらリア充に見えていたかもしれないが、
心の中はそんなことなかった。
そんな自己肯定感の低い俺が、
色々あってサッカー部の部長になってしまった。
自分の意見も言えず、他人と比較して落ち込むような俺が。
「みんなより下手くそな自分に命令されて嫌に違いない」
「面倒臭い仕事を押し付けされただけで本当はやりたくない」
そんな思いを胸に秘めたまま、嫌われるのが怖くて、
誰にも言えることなく部長をやることになった。
しばらく部長を続けていると、やはりうまくいかなかった。
言うことを聞かない自由な部員たち、
先輩は強かったのに、僕らの試合では大体負ける。
自分がダメだから何も上手くいかないんだと思った。
学校周りの道をランニングするのがメニューに組み込まれていたが、
フェンスに寄りかかって休憩している間、
また"死"を考えた。
「このまま目の前を通りすぎるトラックに突っ込んだらどうなるだろう。誰か悲しんでくれるのかな・・」
自分には価値がないと思っていた。
誰からも必要とされてないと思っていた。
トラックが来るタイミングに合わせて、体がふらふらと動き出しそうになる。怖くて我に返り、また同じことを繰り返す。定期的にそんなことを繰り返していた。
夕陽に照らされたオレンジ色の景色。残暑で少し暑かった。ノルマを達成したのでフェンスに寄りかかって休憩していると、部活でもクラスでも一番仲良いやつが隣に座ってきた。壊滅的に体力のないサボり癖のあるやつだ。
勇気を振り絞って、
「自分が部長であることに自信がないこと」
「時々死にたくなること」
初めて自分以外の人間に打ち明けた。
「お前のことはみんな信頼してるし、部長はお前以外務まらない。俺が一番お前を信じてるから大丈夫。死ぬ前にいつでも話聞いてやるからな。死にたくなったら俺に話せ」
その瞬間、自然と涙が溢れてきた。
俺にはこんなにも恵まれた友達がいたんだ。
自分を少しは信じてもいいんじゃないか。
自己肯定感がすべて改善することはなかったが、
仲の良い友達に対しては信じられるようになっていった。
ちなみに14年経った今でも親友だ。
いつか裏切られんじゃないかと思っていた恐怖は、次第に薄れていった。
【看護師と霊能力】
高校でも進路を決める季節になった。
働くやつ、なりたい職業が決まってるやつ。俺は焦っていた。
小学生から自分がやりたいことなんて何もなかった。
言っても無駄だと感じてから、他人にも自分にも諦めていたからだ。
漠然と人の役に立ちたいし、困らないくらいのお金が欲しいと考えていた僕は担任や母親の意見を聞き、看護大学に進学した。
大学編は長くなるので省略するが、10年経った今でも毎週サウナにいく親友ができた。もちろん、他人不信は治らず友達と呼べる友達はその親友以外いなかった。
1年休学したが、看護師、保健師の国家資格を手に入れることができた。
しかし、看護師として働き始めて、3ヶ月経たずに退職を決意した。
朝が弱い僕にとって壊滅的だった。
お金が欲しい僕にとってあと30年この生活を続けるのは無理だと思った。
自由が欲しい僕にとって時間拘束が長すぎて無理だった。
友達に無視されたトラウマがある僕にとってシカトは地獄だった。
カレーがしばらく食えなくなった。笑
患者さんに感謝されることはもちろん嬉しかった。
けど、こんなにもストレスのかかる環境で、心身ともに疲弊した自分に一体誰を救うことができようか。
看護師に未来はないと思い副業を始めたが、
自信のない自分には副業で成果が出るはずもなく、2年がすぎた。
このまま看護師を続けるのはマジで無理。早く頑張って稼がなきゃ。
そんなとき出会ったのが霊能者の師匠だ。元々引き寄せの法則や見えない世界があることは信じていたタイプだからその人を信用するまでに時間は掛からなかった。
数十秒経って驚くべきことが起きた。
さっきまで全然自信なかったのに、
100万稼げる気しかしなくなっている。笑
その半年後に看護師の2倍稼いだタイミングで独立し、
その後収入は8ケタを超えた。
お金は増えたが、虚しさが残った。
まだこう考える癖が抜けず、解決策をずっと模索していた矢先、師匠に再会した。実績はここでは言えないが、日本、世界問わず、各国の重鎮や皆が一度は聞いたことのある有名人にセッションしているらしい。もちろん表には出ていない。
師匠にコンサルを依頼し、
「トラウマを一瞬で消す気功、霊術、チャクラの開き方、内観、見えない世界の話など」
様々なことを教わった。
この中の気功と内観を自分に使った結果、さらに驚くべきことが起きた。
自分が抱えていたトラウマ、悩み、自己肯定感の低さ、嫌いな感情がすべて消え去ったのだ。
毎日が精神的に安定し、充足感で満たされ始めた。
白黒だった味気ない景色が色鮮やかになった。
未来への不安がなくなり、希望で満ち溢れた。
結婚してケンカばかりだった家族関係。
話せば愚痴ばかり言う友人。
性格の合わない仕事仲間。
何かしていなければ価値がないと思い自己犠牲していた自分。
これら全てが人生から消え去った。
家族とは感謝を伝え合い、穏やかに過ごす日々。
愚痴が多かった友人からは自然と連絡が来なくなった。
自分をさらに高めてくれる新しい仕事仲間ができた。
何もしていなくても充足感で満たされている自分。
そして嫌いだった父親、いじめてきた元友人、無視してきた職場の先輩に感謝はもちろん、愛の感情すらある。
これは感謝を向けることが大事とかっていう綺麗事抜きで、強がっているわけでもなんでもない。
本当に心の底から愛と感謝を向けている。
嫌いだった父親→愛している
嫌いだった息子→愛おしくてたまらない
自信のなさ、自己肯定感の低さ、人の目を気にする性格、他人と比べて落ち込む性格、嫌いな両親も、考えるだけで苦しい。だからほとんどの人は意識的に考えないようにしている。
だけどいくら考えないようにしても、定期的にあなたを苦しめる出来事が必ず起こるようにできている。
なぜなら、あなたが執着しているから。
僕は身につけた技術で、嫌いだった父親から大好きな父親に変わった。
父親にはいつも否定されていたし、顔も合わせたくなかったレベルだが、感謝を伝えたら嬉しそうな顔しやがって、霊能力も応援してくれるようになった。
嫌いという執着を手放し、愛に変われば相手も変わる。
どうしても許したくないならそれでいい。だが、気にならなくなったレベルに変えることができる。
精神論ではなく、技術的に変えることができるんだ。
【さいごに】
世の中は完璧だ。
人生は思い通りになるし、
必要なコトは必要なタイミングで必ず目の前に現れる。
今これを読んでいるあなたも、そういうことなんだろう。
僕は(人)自分を何度も殺そうとしたけど、踏みとどまって本当によかった。このnoteであなたが変わるきっかけになると思うから
僕はここで書ききれないくらい
いろんな人に助けられてきた。
だから次は僕が助ける番だと思うし、そういう自分で在ることに決めた。
僕は1人でも多くの人生を変えるキッカケを与えていくし、
1人でも多くの人を救っていく。
今まで500人以上の方の相談に乗り、
消した悩みの数なら1000は超えてるだろう。
日本中の豊かになりたい人達を全員救いたい。
変わりたいけど変われない人を救いたい。
かつての僕みたいに苦しんでいる人を救いたい。
だけど、救うにはあなたの1歩が必要になる。魂は輪廻転生するけど、あなたがあなたとして生きているのはこの人生1回きり。もしかしたら事故で明日死ぬかもしれない。
今の自分のままこの人生を終わりにしていいのか?
本気で人生を変えたい、自分を変えたい方は自ら動いて欲しい。
ここに僕がいるから安心して、1歩踏み出してほしい。
ーー終わりーー
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