世の中には2種類の予想家しかいない。

 俺か俺以外か。

 なんて大それたことを言ってしまおうかとも思ったが、そんなことをすれば「なんだこいつ!」「誰だお前!」「そもそも予想家じゃないだろ!」「ローランドかっこいい!」との声が上がるのは必然。勿論そんなことを書きたいわけではなく、今回は「予想家の見方」について。世の中に溢れている競馬予想家をどんなふうに見ていけば良いのか、とまでは言えないが、私が普段どんなふうに人の予想を見ているのかを書いておこうと思う。

 と書き始めたのだが、なにやら私の競馬予想歴を丸裸にしつつあるため、いっそのことそーゆう記事にしてしまうことにする。半分ほど書いてからここに戻ってきているため頭から読むとところどころ繋がりが悪い場所もあるかもしれないが、ご愛嬌ということで。目次までつけちゃったりする。


競馬予想の始まり、そして迷走

 まず、私と競馬予想について少し(全然少しじゃないですby添削中の私)。私が競馬にハマったのはインディチャンプの安田記念からだというのは何回か書いているはずだが、競馬予想というものもそのときに始めた。予想家という存在はその頃から認識していたし、右も左も分からない人間にとってすれば、「安田記念予想」みたいにして検索をかけるのはごく自然なことだろう。

 ここで注釈を入れておくが、この文章中における予想家とは、競馬関連の情報発信者と広く捉えていただきたい。有料無料の区別も、YouTubeやブログ等の間接的に収入を得ているものなど細かい定義がめんどくさいので。予想家を定義することが目的ではなく、私が他人の発信しているものをどんなふうに見ているかを書くのが目的であるため、予想家という使いやすい言葉で一括りにさせていただく。では本編の続きを。

 最初の頃はなんとな〜く予想をして、なんとな〜く他の人の予想を見て、被った馬を買い目にいれてみたり、当たってる人のおすすめをそのまま本命にしてみたり。そんなこんなで楽しんでいたわけだが、まあ当たらない。当たってもショボい。そんなときに出会ったのがYouTube。YouTubeというものは良くできていて、一つ動画を見るとその関連でいくつもの動画があがってくる。それらを一つ一つ見るたびに「こんなのが無料で見れてしまうのか」と驚き、ハマった。

 競馬関連のYouTubeは今でも見ているが、動画があがるたびに見に行くのは数人。当時もそれなら良かったのだが、、、YouTuberなんて無数に存在するわけだから、底なし沼。そう、その頃の私は『色んな予想を見すぎて馬よりも人を見ている状態』に陥ってしまった。他にもデータを調べたり、レース直前まで予想記事を読み漁ったり。もうなにをやっているのか分からない。

 という辺りで間違いに気づき、少し予想というところから離れた期間があった。去年のはじめ頃だろうか。競馬用のTwitterを始める前。それからはレースを見て楽しんで、レースを見る前の知識を得る用として人の予想を見るようになった。多少なりともどんな馬が走るのか分かってたほうが面白いからね。サッカーや野球の試合会場で配られるパンフレットのようなもん。

 しかしながら、見ていると予想したくなるのが人の常。というか、しっかり知識を入れた上でレースを見ていると様々なことが分かり、出走前に馬柱を見るだけでも以前より細かいところまで目につくようになる。それで始めたのがこのアカウント。最初は、好きで見ていた競馬YouTuberの方がTwitterもやっているというところからスタートし、その方に質問しようにも本垢でやるのもなぁとなって競馬用アカウントをつくった。

 そこからはそのYouTuberの方を通じて(Twitterも勝手におすすめにあげてくるからよぉ…)色んな方をフォローするようになり、純粋に競馬というスポーツを楽しんだ。この辺はほんとに見るときの知識用でしかなく、自分で予想をするといっても、「これだ!」となる馬を見つけて応援するためにしている、好きな馬探しみたいなもの。でも、自分がほんとに競馬を好きなんだということに気づけたのは良かったと思う。

私を変えた出会い、分析のスタート

 この頃私は、ようやく競馬観戦者になれた。今までもレースは見ていたが、それはどこか無機質で、言ってしまえば数字が走っているだけというようなもの。そこから少しずつ競馬を見よう、馬を見ようという気持ちになっていった。

 そんなとき、ある予想家さんに出会った。去年の夏頃だろうか。名前は伏せさせていただくが、自分が今まで見てきたものとは違うと感じた。競馬を見よう、馬を見ようという私にその見方を教えてくれる人だと確信した。(予想家紹介コーナーではないので実名は伏せますね。あと、一人登場させるとこの人との話も書きたい、となっていくのでさーせん。それくらい多くの人に良くしていただいているんですよね。いつもありがとうございます(唐突))

 具体的にその方がなにをやっていたかというと、今では当たり前のようにやっている馬個体の分析とそれをもとにした能力比較。レースを見ても、やべー!はえー!つええー!くらいで、予想→データみたいな方向に行ってしまった私は、レースの見方が分からない。今から思えばそれまでなにやってたん?となるわけだが、知らんもんは知らんからしゃーない。重ね重ね、そのときに気づけて良かった。

 語弊のないように補足するが、馬個体の分析やそれに基づく能力比較は予想家の皆さんがやられていることだと思う。ただ、YouTubeの動画やちょっとしたツイートの予想印ではそれが表に出ないことも多い。◎◯▲+穴馬、みたいなのを書いたり喋ったりするものが多く、それらは決まって強調材料がメインで語られる。弱点が語られるのは人気馬に対するものがほとんどで、その中でも「距離不安」や「状態不安」のようなはっきりしないものが多かったから、1頭ずつ長所と短所を述べられているものは新鮮だった。今となればそれを見つけられていなかっただけで、ようやく辿り着いたのがたまたまその人だったということだと思う。

 ということで主線に戻るが、その人と出会ったからと言ってすぐに見方が覚えられるわけではない。ということで、その人の分析をパクって、自分でもやってみることにした。パクるというのはそのままそっくり同じことをやる、ということで、参考にするとかそんなものではない。徹底的にパクり、その人と同じことが言えるようになるのが目標。まあこれは今でもやっていることだから、具体的なやり方を紹介する。

〇〇(馬名)
前走は△△で負けた
〇走前に✖✖の競馬をしているから強い
□□のようなレースになれば力を出せる

 こんなツイートや、note、YouTube等での寸評は誰もが見たことがあると思う。これを、パクる。パクるといってもそのまま記事にしたりツイートしたりしたら怒られるから、頭に叩き込む。前走は△△で負けた、と書いてあれば△△の部分を実際に見る。〇走前に✖✖の競馬、と書いてあればそれを見る。映像を見て、文章を読み直し、また映像を見る。その繰り返し。ちなみに、映像はパトロールビデオとセットでJRAのホームページからタダで見られるし、個体分析関連のnoteやYouTubeはタダで見せてくれる心優しい人が多いからこの辺はタダでできる。セコいけど(笑)。かかるのは時間だけ。

 そして、パクるということの本質はここから。頭では理解できても、実際にやらなければできるようにならない。学校の授業を聞いただけで受験に受かった!という人はいるまい。それと同じ。だから、ある程度パクって理解ができるようになってきたら、その人の先を行く。その人がツイートなりnoteなりを出す前に自分で映像を見て、その人の書きそうなことをメモっておく。そうすればその人が記事を出したとき、答え合わせができる。これを繰り返すことで、その人の目を自分のものにすることができるのである。

※もうこの時点で既に「観戦」という領域からはかけ離れている。ただ、これで競馬を見るのが更に楽しくなったのは事実。これを第三者が見てどのくらいの変態度だと思うかは分からないが、私からすればあまり難しくはなかった。興味ある方は是非。


回顧の重要性に気づいたとき

 先述のようにして競馬の見方を学び、今年に入ってからはそれを自分の言葉でアウトプットするようになった私。この時点でほぼ今と同じなのだが、この辺りで回顧の重要性に気づくことになる。

 少し大げさな書き方をしたが、回顧=分析であるということに気づいたということ。レースの前になって「前走はああだこうだ」と分析するなら、その前走が終わった段階でなにがあったかを書いておけば早いじゃないかと。

 まあ気づいたというより、GⅠシーズンが近づいてきて、知ってる馬が増えたというだけの話。GⅠに出るような馬は何度も重賞に出ているから、改めてレース前に分析しなくてもなんとなくどんな馬か覚えている。簡単に言えば、「マイネルメモリーってどんな馬?」って聞かれて答えられる人より、「アーモンドアイってどんな馬?」って聞かれて答えられる人のほうが多いよねということ。ちなみにマイネルメモリーとは、2歳未勝利で4戦連続2着している馬で、そろそろ勝てて良さそうなのに毎回勝てない馬である。良い馬だから是非とも勝ち上がってほしい。

 脱線した。要するに、どうせリアルタイムでレースを見ているなら、記憶の残っているうちに分析してしまえば良いじゃん、という発想。このとき、分析→回顧→分析→回顧という流れが自分の中で出来上がったように思う。というか、過去レース分析というものは回顧が積み上がったもの。分析、回顧というと難しいように感じるが、やっていることは一緒。走りを見て特徴を抽出する作業。


予想ファクターについて

 この辺りでこの話をしておこう。競馬予想というと、様々なやり方がある。血統や馬体、調教なんかはよく見るが、データも勿論含まれるし、サインなんかもその一種と言える。

 その中で私がやっているのは能力の比較。過去のレースから得られたもので出走馬の能力を推定する。そしてそれを比較し、順位付けしていくというごく単純なもの。前半部に書いたようにデータを見ていた時期もあったし、追い切りや血統なんかも勉強しようとしたことがあった。ただ、なにせ時間がかかるし、そもそも見てもなにも分からない。馬が走っているのをみたところでこの馬大きいな小さいなくらいしか分からん。だからその辺りは早々に諦めた。

 データも、数字で出ている以上は説明されてなくても意味があるはずだ、と思っていた時期があった。だが、そんな訳のわからないもので予想をして外すという姿を客観的に見たら、こいつ頭悪っとしか思えなかったからやめた。

 どっちみち競馬を見続けるのなら、レースを見て楽しめるようになろうと思い、レース映像を何度も見ることにしたという経緯。他のファクターを批判しているわけではないし、むしろそれで結果を残されている方には凄いという気持ちしか湧かない。この辺の考え方も書こうと思えばいくらでも書けるのだが、既に読み返すのが億劫なほど書いているので割愛。


迷走から抜けた先に見えてきたもの。他人の予想との付き合い方

 今、「このnoteの本題はなんだったでしょう?」と質問をして答えられる人は少ないだろう。私でさえこれはなにを目的に書き始めていたのか忘れかけていた。

 こうして振り返ると、私の競馬予想は多くの予想家さんと共にあった。色々な予想を見て、ハマって、離れて、パクって、今がある。そして、ある程度自分のやり方、競馬の見方が分かってきたからこそ見えるものがある。

 「予想家」にはいろいろな人がいる。先述のファクターを考えても、それぞれを主戦場とする方がいる。だから、それを見る側も理解する必要がある。「サインで予想しました。芸能人の〇〇さんが結婚したのでその人の誕生日の〇番と〇番が本命です!」という予想があったとして、それが外れたとする。そのときに、「おい!お前の予想に乗ったのにこなかったじゃねーか!!」とキレる人はいるだろうか?まあこれだけ広い世界だから何人かはいるだろうが、多くの人はそんなことで怒らないはず。

 ではなぜ、血統で予想している人や、追い切りで予想している人は予想を外すと怒られるのだろうか?こいつは当たらない、とレッテルを貼られるのだろうか?その人がなんのために、どこに目標を置いて予想しているのかも知らずに。

 こんなふうに考えると、見る側の理解が足りないことが多いように思える。逆に言えば、発信する側の自分がやっていることへの理解、発信の仕方に問題があるようにも思える。

 また例を出すが、馬体や追い切りだけを見て予想をしている人が「この馬は前走よりも走れる状態にあります」と発信して、結果1着だったとする。これを見ると、すごい!となりがちだが、それはほんとにそうか?を少し考えてみる。仮にその人が発信した通り状態が前走より上がっていたとして、前走とメンバーが全く同じで、コースや気候条件も全く同じ、枠順も相手の状態も全く同じだったとしたら納得。ただ、競馬は毎回条件も相手も変わる。だから、「状態が良かったから勝てたのか?」は100%正しいとは言い切れない。

 逆に、状態が良いとされていた馬が負けた場合を考えても、必ずしも状態の見極めが間違っていたとは言えない。その馬の状態が良くても他馬の状態はそれ以上に良かったかもしれないし、そもそも相手が違うから前の時より実力のある相手だった可能性もある。

 これはどのファクターでも同じで、馬という人間以外の生物同士が戦うもの、そして不確定要素の非常に多いものを予想している以上仕方のないこと。将棋や囲碁のようなものではないから、これが勝因です、敗因です、とは言い切れない。にも関わらず、的中すればそれが正解、不的中ならそれは不正解とする風潮がある。これこそまさに結果論。

 予想の印を見ても、人それぞれ考え方は違うはず。これは、テレビの解説者の予想でも「この馬が1着になる可能性が高いと思って◎をつけました」というAさん(仮)もいれば「この馬が馬券内になる可能性が高いと思って◎をつけました」というBさん(仮)もいるから間違いない。この場合、AさんとBさん双方の印の意味への理解がなければ、この二人の予想を比較することは意味をなさない。

 こんなふうに、相手がなにを発信しているのかを理解しなければ、予想家の評価などできない。Twitterで「この人の予想は儲からない」と言われているのを見て、その人の予想を見に行ったら、なによりも的中することを目指していたなんてことはザラにある。

 この章が長くなってしまったが、私が競馬の見方を覚えたことで図らずとも得られたのはこれ。「この人当たらねーな」と思っていた人が回収率特化の予想だったんだということに気づけたり、当たらない予想家の当たらない理由まで推察できたり。また書く必要のないことを書くが、「この予想当たらないだろうなぁ」と思うようにもなった。勿論自分の予想や分析が絶対正しいとは言わないが、明らかに整合性のとれていない予想や買い目は存在する。これは予想していると自分も陥ることがあるから仕方のないことだとは思う。ただ、見る側がその予想に乗るか?と言われればNOだろう。

 ここで戻ってくるのが冒頭のセリフ。こうやって見ると、「俺か俺以外か」というのはあながち間違っていないような気もする。私は、『俺』の骨格となるものを手に入れたから『俺以外』を理解しやすくなり、それによってまた『俺』を強くすることができている。ここで一番当たり前かつ一番大切なことを書くが、馬券はあくまで自己責任。誰がなんと言おうと、買うのは自分、買わないのも自分。周りの声がどれだけ大きくても、そんなのは『俺以外』の声に過ぎない。

 ここに私なりの一つの結論を書くとすれば、大切なのはやはり「競馬との向き合い方」ということになるのだと思う。お金儲けを目的にするにしても、ちょっとしたゲームとして楽しむことを目的にするにしても、人の予想を見て嫌な思いをしたり、ストレスを溜めたりなんてのは必要のない負の感情。自分の軸が決まれば、あとはそれを一人でやるか、誰かの力を借りるかというだけ。人の予想を見るにしても、基準が決まっていれば変に感情が動くことはないはず。

 ああだこうだと語ったが、この2年半があって、今の私は競馬がめちゃくちゃ楽しいということを伝えたい。そして、それをぜひ多くの人に分かってもらいたい。競馬って素晴らしいものだから。


あとがき

 いかがだったでしょうか。あなたが求めていた文章だったでしょうか。ちょいと昔話がすぎましたね。元々の主題からは遠く彼方へ行き、ギリギリ戻ってきて着地させたこの文章。もちろんこれもあなたにとっては『俺以外』の声に過ぎませんし、ここまでお付き合い頂いたことにほんとに感謝します。あなたの競馬人生に幸あれ。ありがとうございました。

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