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「ベイトマンニュース」歳をとる、という修行

私の母は85歳です。8年前に父を見送ってから、現在は神戸の集合住宅で一人暮らしをしています。
元々母は社交的で誰とでもすぐに友達になれるタイプなので、一人暮らしになってもきっと大丈夫やろう。楽しく過ごしていけるやろうと思っていました。そしてその通り、母は毎日元気に楽しく過ごしてくれているので、遠く離れた所で暮らす私も安心しています。

歳をとる、というのは、人生の中でも最難関の修行の一つやと思います。今まで簡単にできていたことが、だんだんとできなくなる。あたりまえのように動いていた身体が動かなくなったり、痛みがでたり、姿勢が変化したりして、日常生活に影響がでる。忘れてしまうことが増え、人に頼らなければできない事がどんどん増えてくる。
今までの人生ずっと「人のお世話をする」立場であり、いつも世話焼きで人情あふるる性格の母が、今では「人から手伝ってもらう」立場へと変化し、人からの助けを受けとる、あるいは受け入れることを学んでいく時期に入っています。
それは簡単なことではないやろう、と想像するけど、母はほんまによう頑張っていると思いますね。

母はとにかく明るく、できないことも「ま、しょうがないか。」と受け入れ、人から手伝ってもらうことを「ありがとう。」と感謝して受け入れる。
できない自分にイライラしたり、落ち込んだりすることもあると思うんですよ。そやけど基本は「受け入れる」。それってすごいことやと思います。
そしてできることは自分で自立してやっています。日常のルーティーンがあるので、そこは崩さない。朝早く、毎日決まった時間に起きて、朝一番で近所のジムで仲間たちと一緒に運動をする。その後洗濯をして、自炊して、ゴミを出して、掃除もします。地域のイベントにも積極的に参加し、今日は「歌う会」、明日は「チェアー体操」、明後日は「麻雀」、と動き回っています。
ここ数年、母の腰がどんどんと曲がってきてしまったので、歩く速度は遅くなり、動く範囲も狭くなり、できることも確実に減ってはいます。物忘れも多くなり、何度も同じことを質問したりもします。
それでもやるべきことをカレンダーに書きながら、自分のルーティーンに沿って生活し、自立して、地域に溶け込んで生活している母の暮らしに、私は脱帽するのです。

私が近くにいればなぁ。いろいろ手伝えることがあるやろに。そんな風に考えると心が痛くなります。でも、それでも、こうして私が遠くにいるからこそ、母は頑張って自立しているのかもしれない。そして母にこうして私のスコットランドでの暮らしを話したり、写真を見せたり、文章に書くことで、母にも私の世界を少しだけ経験してもらっている、と思っています。そして年に一回久しぶりに会った時には、普段の日常では得られないような濃密な時間を一緒に過ごします。
そんな風に私は私らしくここで暮らし、母は頑張って日本で暮らす。それが私たちの「今」のベストなやり方やと思っています。

人生の終盤にやってくる「歳をとる」という修行は、本当に大変なことやと思います。でもそんなしんどい時間を明るく受け入れて、できる範囲のことを自分できちんとやり、人からの助けも感謝して受け取る。そういう生きる姿勢を私は母から教えてもらっています。そして私自身もまた、母のように明るく歳をとっていけたらいいな、と思っています。


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