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バイオフィリアと環境問題 (英単語一つで人生の本質が学べる! 85)

Today's English

biophilia 「バイオフィリア」 (本文で解説)

エドワード・O・ウィルソンが'bio'の「生きる、生命」と、'philia'の「好む、病的愛好」を合わせて作り出した造語。'philia'は「人が好きにならないようなことに対して先天的に病的に愛している」という多少のネガティヴイメージがあるため日常会話では使わない方が良い。また、医学用語で「血友病」を指す'hemophilia(ヒモフィリア)'がある。ネットでは'Aminephilia(アニメフィリア)'のように「アニメ愛好家」という意味で検索ヒットするが、アカデミックな用語ではないので注意。

biophobia 「バイオフフォビア」 (本文で解説)

'phobia'は「嫌い、病的恐怖」という意味で、例えば'Acrophobia(アクロフォビア)'は「高所恐怖症」を意味する。また、筆者がそうなのだが'claustrophobia(クラスタフォビア)'「閉所恐怖症」がある。この'phobia'は名詞としても使うことができ、'I have a phobia about flying.(私は飛行機恐怖症です。)'などと日常会話でも見られる。後天的に何かのきっかけで嫌いになったというよりは、先天的に恐怖を感じるという意味合いが強い。

Introduction

最近は本の紹介や、おすすめのアーティスト、詩など、娯楽要素がある内容が多かったので、今回は学問的な内容にしたいと思います。大学で多くを学んだのは良いのですが、インプットばかりでアウトプットがほとんどなく、いざ人に教えようとするとあたふたしてしまうことが多いです。なので、このnoteを機にしっかりアウトプットしていきたいと思います。個人的に、授業の小話等で使えると思うのでやる気を出して参ります!本記事はToday's Englishに載せてある英単語を詳しく説明していきたいと思います。

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(グアムで撮った崖です。)

Content

ここでは、最初に提示した「biophilia (バイオフィリア)」と「biophobia( バイオフフォビア) 」の解説を行っていきたい。この言葉はアメリカの昆虫・社会生物学者で、環境保護に尽力しているエドワード・O・ウィルソンが下記の本にて提唱した言葉である。


この言葉は大学でエコクリティシズム、簡単に言えば「文学を環境保全の視点から論じるエコ批評」で学んだ言葉である。

彼曰く'biophilia'とは、我々が後天的に生命への愛好を学ぶ以前に、先天的(生得的)に自然界の一部を「好む」性質を備えているものではないかという仮説である。人間には、人間以外のあらゆる生物と密接に関わり合いたいという本能を持っており、それはもはや脳に刻まれたプログラミングであるとされる。その傾向は幼年期以降、各々の心象や生理的反応において、予測できるかたちで姿を表す。いわば人類に現れる一つの普遍性なのだ。

簡単に言うと、人間は本能的に自然を求め、それと接することで幸せを感じるようにできているという考え方である。例えば幼少期に頃、蟻の行列に目を奪われた人は少なくないだろう。何かを求め細やかな列になっているその風景は、ごく小さい生き物の生命を感じ、著しい興味を惹く。他にも、誰かに教えられたわけでもないのに、我々は美しい木々に心を癒され、川のせせらぎに耳を傾ける。虹が見えれば心が躍り、太陽光からエネルギーを授かる。このように、我々の自然に対する寄り添いたいという衝動は、教育によって「自然は癒してくれるもの」と教わったのではなく、生得的なものからやってきているとされるのだ。

詰まるところ、我々が持つ「生きとし生けるもの全てへの愛情」は教育の賜物ではない。もちろん自然を慈しむ心を育てる道徳の快挙たる部分もあるだろうが、元来的に我々人間は自然を愛しているということである。この傾向は文学者によれば、異なる文化圏の文学テクストにて現れているとされる。例えば、アメリカやイギリス、日本や南アフリカのような様々な国の文学の中に、「森林は人に癒しを与える」という内容を垣間見ることができ、異なる文化圏のなかでも共通した表現が登場していることになる。これは文化は違えど人間が自然に対してある種の同じ感情を抱いている普遍性であると言えよう。

しかしながら、文学者の中には今日の自然観が変わってきていると主張する者もいる。企業のCMは常に「美しい森林」を見せ、本を開けば「連なる山々の絶景」が映し出される。我々が自然を求めて赴く先は「綺麗に整備された自然」であり、我々が見ている自然は実は「人間にとって都合の良い自然」なのだ。

恋は盲目というように、人間は好きな異性に対して都合の良い解釈をしてしまう。それと同じように現代人は自然に対して都合の良い解釈をしてしまっており、「環境保全」と謳っていても「人間中心的な環境保全」になっていることが多いのである。

本来の自然は、美しい情景だけでなく、凍えるような雪原、怯えてしまうような切り立った崖も含まれる。下を見れば、動物の糞尿や気色の悪いと感じる昆虫もいるだろう。それが自然なのだ。

よって、人間は「biophilia (バイオフィリア)」を備えているのだが、現代では偏って自然観になっていると警鐘を鳴らされている。このままでは、偏ったネガティヴな病的愛好になってしまいかねないのだ。

この状況に気付き、自然観を人間中心的なものから、「人間も自然の生態系の一部」という地球中心主義的な考え方に転換しなければならない。最近はサスティナブルという言葉が流行っているように、環境に配慮した製品が数々生み出されて少しずつ環境を守っている風潮になっているが、製品云々よりも、案外、環境解決の鍵は我々の思考の中にあるかもしれない。

最後に、もう一つの英単語'biophobia' 「バイオフフォビア」について簡単に説明していきたい。最初に述べたように'phobia'には「嫌い、恐怖」という言葉があるためすぐに察しがつくだろう。人間が、生命や自然に対し先天的に、ある対象に「恐怖」を抱いているという仮説である。例えば、腹の赤い蛙を目の当たりにした時、何も知識がなくとも「死の予感、危ないという直感、一種の恐怖」を感じ取るだろう。これは、ヒトのDNAに刻まれた情報であり、本能が危ないと言っているとされる。毒蜘蛛や蛾、歪な模様のした動植物に対し本能がSOSを示しているのである。もしかすると、自然や生物によって息絶えた我々の先祖の歴史がDNAに植え付けたのかもしれない。

特に蛇は面白い生物で、我々は蛇に対して畏怖崇拝を持っているとされる。蛇は人間を死に至らしめる致死性の毒を持っているだけでなく、人々を魅了し崇拝する魅力をも持っている。世の中には拝蛇教と呼ばれる宗教もあるぐらいで、蛇は両面性を持つ珍しい生き物なのだ。しかし、人間の教育では「蛇は危ないから殺せ」と教えられる。イギリス文学者のD.H.ロレンスは蛇に対し好意を抱いていたが、彼は人間の教育によって蛇を攻撃してしまう。教育によって意思とはそぐわない方向へ導かれたロレンスは教育を「呪われたもの」と言っている。興味深いので、ぜひ調べてみて欲しい。

以上、'biophilia'と'biophobia'の解説である。これは全く日常英会話に登場する単語ではないのだが、文系を目指す者は必ず知っていてほしい。仮に目指さずとも、生きる上でとても大切な価値観である。

この本も面白そうである。翻訳されているのでぜひ。


Review

biophilia 「バイオフィリア」 (本文で解説)

エドワード・O・ウィルソンが'bio'の「生きる、生命」と、'philia'の「好む、病的愛好」を合わせて作り出した造語。'philia'は「人が好きにならないようなことに対して先天的に病的に愛している」という多少のネガティヴイメージがあるため日常会話では使わない方が良い。また、医学用語で「血友病」を指す'hemophilia(ヒモフィリア)'がある。ネットでは'Aminephilia(アニメフィリア)'のように「アニメ愛好家」という意味で検索ヒットするが、アカデミックな用語ではないので注意。

biophobia 「バイオフフォビア」 (本文で解説)

'phobia'は「嫌い、病的恐怖」という意味で、例えば'Acrophobia(アクロフォビア)'は「高所恐怖症」を意味する。また、筆者がそうなのだが'claustrophobia(クラスタフォビア)'「閉所恐怖症」がある。この'phobia'は名詞としても使うことができ、'I have a phobia about flying.(私は飛行機恐怖症です。)'などと日常会話でも見られる。後天的に何かのきっかけで嫌いになったというよりは、先天的に恐怖を感じるという意味合いが強い。


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