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『グレイテスト・ショーマン』による“地上最大のショー”は映画館を間違えたおれを笑顔にしたのか

結論:した。(あとボロクソ泣いた)



2018/02/27。今日は映画を観に行くと決めていた。
『スリー・ビルボード』。演技派俳優がめちゃくちゃ集まって人間ドラマをやるらしい。おれは観に行こうと思った。今日は『スリー・ビルボード』を観るために家を出た。劇場に着いた。

おれ「えー、スリー・ビルボードを」
窓口のひと「…………スリー……ビルボード…………?ハイ…………ハイ…………えっと……………………あの、こちらの……(上映作品一覧を出す)」
「アッ………………………………………………グレイテスト・ショーマン、この回で」

…………つまるところ完全に劇場を間違えた。
おれが行った劇場ではスリービルボードやってなかった。グレイテストショーマンはやってた。その事を長い長い三点リーダの中で察し、咄嗟にグレイテストショーマンのチケットを買った。

こう言うとやむなく観たみたいな感じだが(まぁ実際そうではあったのだが)、実のところ、元々グレイテスト・ショーマンも近日中に観たい映画の一つであったのだ。
故に、多少順番が前後しただけでこれは別に何ら気にすることでもないし失敗でもない。そう自分に言い聞かせながら、近所の映画館(会員登録してるので安く観られる上に交通費も抑えられる)でも普通にやってるグレイテスト・ショーマンの上映を1時間待った。
そして、おれは半ばすがるような思いで劇場に入った。ハプニングに見舞われた今日この一日が最終的にグレイトな感じで終われるかどうかはグレイテストショーマンにかかっているのだ……

グレイテスト・ショーマン、どうだった

グレイテスト・ショーマン、めっちゃ良かった…………

開始0秒から音ハメが完璧なミュージカルが始まって一気に心を掴まれ、そのまま最後は普通に泣かされていた。この映画おもしれ…………

さて、予告とかCMからの印象もあって、おれは最初この映画は「貧しいヒュージャックマンが努力によって世間から白い目で見られてきた“奇特な”人間を集めて最終的にエンターテイメントでSUCCESSする話」かと思ってたのだが、実際は結構違った。具体的には最初の30分くらいでもうヒュージャックマンはすごいSUCCESSした。
面白いと思ったのは、この映画が終始ヒュージャックマンを一流のペテン師として描写していること。
ヒュージャックマンは自分がSUCCESSするために巧みな話術で人を誑かす。大ボラを吹き担保もないのに銀行からカネを引っ張る。実際上手くいく保証なんてどこにもないのに、街中の奇人変人を集めては「絶対上手くいく」と語りショーに上げる。そして、本当に上手く成功させてみせるのだ。
天性の人たらし、そして生粋のショーマンとしての才能。それは稀代のペテン師としての才能。こっちがヒヤヒヤするレベルの綱渡りをヒュージャックマンは見事にやってのける。自ら企画した誇大広告を刷りまくり、言葉巧みに批評を軽々といなし、全てをビジネスのチャンスに変える。そして本当に莫大なカネを生み出してしまう。おがくずを黄金に変える男、とはヒュージャックマン演じる実在したバーナム本人を指した言葉である。

そんな説教臭い感じの映画か?

で、この映画は小人とか黒人とか、世間から白い目で見られてきたマイノリティの人達がショーに出て注目を浴びる映画なわけだが、おれは観る前からこの映画が一部の批評家から「マイノリティが描けていない」だとかそういう批判を受けていることを知っていた。
結論から言うと、その批評に関してはおれはそうでもないと思った。その批評はこの映画にはあたらないと思った。
そもそも、この映画におけるヒュージャックマンは慈善事業でそういう人達をショーに上げたわけではなく、誰も見たことのないエンタメとして彼らはそれぞれに価値があり、間違いなくカネになるとヒュージャックマンの商人、もといショーマンの目が踏んだからである。「彼らをスポットライトの下で輝かせたい……」だとかそういう崇高な精神の下に“サーカス”が生まれたわけでもなく、全てはヒュージャックマンのSUCCESSのため。シンプルだ。
そして、マイノリティたる彼らは世間の人々から「表に出てくるな」と言われてきた人々だ。見るに耐えない、ということだ。ハッキリ言って小人の男を「誰もお前を笑わない、お前はショーでスターになれる、軍服を着て将軍になれる、皆お前に敬礼する」と、まだ始まってもいないショーの未来を舌先だけで信じこませ、口説き落としたヒュージャックマンには普通に引いた。実際ヒュージャックマンの言った通りにはなったのだが、この男本当にヤバイな…と序盤にして思った。実際彼らは見世物だし、彼らのお陰で散々良い思いをした挙句一度は見捨てかけたヒュージャックマンにもう一度彼らがついていくのはおかしい、ヒュージャックマンに都合が良すぎるという批判が出る理屈はわかる。
確かにヒュージャックマンはペテン師でクズだ。彼らを使ってカネ儲けをしているショーマンだ。しかし、世間はそもそも彼らに目を向けなかった。居場所を与えなかった。サーカスは家族、というのは非常に象徴的な台詞だと思う。繰り返すが、ヒュージャックマンはペテン師だ。だが彼らに夢を見せただけでなく、”本物の”居場所を与えた。おれには、彼らが、無関心のままに彼らに何もくれなかった世間と違い、本当の居場所を、価値をくれたヒュージャックマンについていった理屈の方がよくわかったのだ。それだけの話だと思ったのだ。

偽物は本物に勝てないのか。おれこのテーマだいすき

この映画の本質について。まぁ本質と言っても観る人によって色々思うところあるとは思うが(それこそマイノリティの人達の戦いの映画であるという解釈もあると思う)、少なくともおれは、”偽物と本物“を描いた映画であると思った。
この映画のヒュージャックマンは持ち前のペテンの才能を用いて“偽物”に価値を与え、市井の人々に見せ、カネを生んだ。そんな彼が”本物“の歌声に魅入られる瞬間のシーンはめちゃくちゃ良く、それをキッカケに”本物“になろうとするヒュージャックマンの足掻きが凄まじい。冒頭のエピソードからしても、彼が上流階級に対する強いコンプレックスを持っていたのは明らかだ。かつて自分をぶん殴った恋人の父親に思い知らせる。恋人と子供を幸せにする、そんな小さな願いが次第に自身の強いコンプレックスと溶け合っていき、成功に溺れる。ここの描写が本当に上手かった。地上最大のショーを生み出した男の原点は一人の女の子を笑顔にすることだった〜ってベタベタだけどめっちゃ良いよね……
スカした上流階級の人間にも俺を認めさせる、俺も”本物“の上流階級になる、その願いは確かに家族の幸せに繋がるものではあったんだろうけど、っていう、うん……
結局ヒュージャックマンは本物にはなれなかったし、全てを失った。本物の輝きに魅入られたヒュージャックマンは、その眩しさの前に輝きの本質を見失った。何もかも失くした。
その上で『グレイテスト・ショーマン』という映画は、何もかも失くしたと思ったとき、それでもお前に残ったものこそが”本物“だ、と言ってみせた。ここがマジで良かった。劇場は焼け落ちても、奇特な人達にはまだ居場所がある。大ボラ吹いて、誇大広告で”偽物“を売ってきた挙句、”本物“で商売して堕落したペテン師の男に残されたもの。
実際『グレイテスト・ショーマン』は、どんなに頑張っても偽物は結局本物にはなれないんだ、という映画であると思う。しかし、そこから更に踏み込んで、「偽物の輝きは本物の輝きに劣るとは限らない」、おれは『グレイテスト・ショーマン』をそういう映画だと解釈した。この映画の最後にヒュージャックマンが作り上げた地上最大のショー、それを見た人達の笑顔は間違いなく本物だった。「アイルランドから来た巨人」が実際アイルランド人でもなければそんなめちゃくちゃでかくもない事がなんだというのだろう。“偽物”で、人に夢を見せる。それでも、エンタメとしての本質は“本物”となんら変わらない。
人を、笑顔にする。地上最大のショーはどうしようもなく偽物だが、本物のエンターテイメントだった。偽物が、輝きで本物に勝てない道理はない。『グレイテスト・ショーマン』はどこまでも前向きで、本物のエンタメ映画なのだ。

#映画 #映画感想 #感想文 #グレイテストショーマン

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