私がnoteを始めた理由

初めまして!こんバウアー!ことバウアーです。
 私はYouTubeにてCoDの実況動画を上げたり、Rush Gamingのファンをやっているが「誰やねん、こいつ」って思っている方が多いと思う。
 それもそのはず、基本的に私はGorouRush公式チャンネルくるたみさんの配信にしか顔を出してないためだと思う。それも最近KRTMdiscordから始めたeスポーツチームの練習で顔を出す回数も減っているのでなおのことだ。一応GorouとRush公式チャンネルのモデレーターやっているのに顔を出せてないのが申し訳ないと思っている今日この頃である。

ごろうかっこいいよごろう()

 さて、私がnoteを始めた理由だが、主にチームメイトで同じGorouファンの同志である paraoさん。初めてリア友以外とパーティ組んで遊んで以来変な親近感があるあおたろー.さん。この2人がnoteに書いた文章の影響がほとんどである。

 私という人間は面倒くさがりで、このように自分の思いを伝えること苦手で、Rushクラスタ、KRTM族の中で流行っていたnoteを見て、「僕にはできない。」と思っていた。(自分の人生は薄っぺらで、書くネタがないということがほとんどであったが)

何も成しえなかった男の教訓

 以前Twitterにて呟いた話だが、基本的に私の行動指針は「無理をしない」ということだ。初めに言っておくが、これは「努力しない」という意味ではない。“継続は力なり”という言葉の通り、どんな人でも最初は初心者で、才能と継続的な努力で天才が生まれる。これは間違いない事実であるということが、21歳である私の、薄っぺらな人生の教訓である。
 それがどう「無理をしない」ということにつながるのか。それは私の数少ない成功と数多くの失敗を分析することにより解明できるが、正直ネットで自慢話を聞いても本当かどうか証明できないし、つまらないと思うので私の数多い失敗を2例挙げ、似た状況から成功した友人の話を持ち上げることによって解明しよう。

私の失敗

 私の失敗体験の内紹介するのはYouTube活動と大学受験である。
 一つ目のYouTube活動だが、これは今やっている活動ではなく、中学時代行っていた活動である。私の実況動画を見ると1本目から編集を行っていることが分かると思うが、いきなり編集ソフトとキャプチャーボードに投資するほどうちの家は金持ちではない、これは中学時代恥ずかしながら実況動画を上げていたため持っていたものである。私は前にも言った通り面倒くさがりで継続的な動画投稿を続けることが出来ず、登録者3桁もいかずに動画投稿を完全にやめてしまった。

 もう一つの失敗体験の大学受験は単純に言うと、第一志望の大学を落ちたという話である。私は高校受験にて第一志望の高校に合格してから、まったく勉強しなくなった。高校3年生の時、受験シーズンになり、自分の将来を考えた時、最初に思ったのが「楽して稼ぐ」ということだった。
親せきと話し、愛知県には土木や建築の学科が少なく、競争が全く激しくない、さらに市役所などの土木課に進めば、業者に発注して現場に少し出て現状確認するだけで稼ぐことが出来るため「楽して稼ぐ」ことができそうであった。
 私の「楽して稼ぐ」理論を聞いて同じ大学の同じ学科を受けたいと言ってくれた友人と一緒に合格するために、最後の3か月学校に居残り、家に帰っても勉強する受験生らしいことをした。
 しかし、ここでまったく勉強してこなかったツケが回ってきた。残り3か月で取り返せるほど高校の勉強は優しくなかった。私は受験に失敗した。一緒に受験した友人は、特別奨学生として合格していた。
 この時は自分という人間が本当に惨めな人間だと思ったし、一緒に受けてくれた友人に申し訳ないと思った。
 これが私の失敗体験2つである。

それでは私の友人の話をしよう。

 私の高校時代の友人に登録者3000人程度の実況者がいる。彼は凝った動画編集としゃべりで上手い実況者だと思う。世間的に見れば登録者3000人はざらにいると思うだろうが、そうではないと私は中学時代の経験で感じている。彼は毎日というわけではないが定期的に動画を上げて、ゆっくりじっくりと登録者を伸ばして3000人の登録者を獲得している。今ではRolandのオーディオインターフェースにゼンハイザーのマイク、AverMediaの最高級キャプチャーボードを使用して高品質な動画、生放送をしているが最初はキャプチャーボードを持っておらず直撮りから始め、少しずつレベルアップして今の状況がある。

これはその実況者の友人に「また実況を始めてみようと思う」と伝えた時にくれたものである。本当にありがとう。


 私の中学時代からの友人に、ある理系の国立大学に通っている人がいる。彼とは同じ中学から同じ高校に通っていたが、高校入学時の成績では私の方が上であった。彼は高校に入ってからも努力を続け、最終的には第一志望であった国立大学に入学した。入学後も勉強し続け、その大学内で1桁台の成績をとっているそうである。

失敗と成功の分析

 実況者の方はまっさらで何も知識がないというところから、大学受験の方では高校入学時の成績はむしろ私の方が上であったというところからということを考えると、全く条件は一緒であると考えられるのにいったいどこで差ができたのだろう。それは単純明快。「続けたか続けなかったか」この差であると思う。彼は動画投稿をし続けた。彼は勉強し続けた。たったこの差で大きな差が生まれるのである。
 続けることが力となることは分かった。それでは続けることに必要なことは何なのであろうか。続けるために必要なことはそれに対してつらいと思うかどうかであると私は思う。“好きこそものの上手なれ”との言葉通り、好きなものに対し、人は自分から進んで努力をし続ける。私自身中学時代、大会優勝経験のある剣道では自分から練習していた、だって楽しいから。ただ勉強に関してはそうではない。

 ではなぜ彼は続けられたのだろうか。おそらくは半分使命感みたいなものはあっただろう。ただ使命感だけでは続けることが出来ない。残り半分は何だったのだろうか。それはつらいと思わない程度に頑張っていたということだ。

 もちろん人生、無理をしなくちゃいけない場面が多い。徹夜で課題やったり、受験勉強もそうだ。しかしそれはいつか終わりが来る。大事なのはそれ以外の終わりのない努力をどれだけ高いレベルで続けることが出来るのかというところだと思う。なぜなら誰だって受験勉強は同じくらい頑張る。それでは差がつかないのだ。差をつけるためには他の人が頑張っていないうちに頑張るしかない。つまりは“うさぎとかめ”作戦である。
 “継続は力なり”という言葉の真意はここにある。そもそも“力”とは絶対的なものではなく、相対的なものだと私は思う。なぜなら力が“ある”か“ない”かを判断するには必ず相手がいないと判断できないからである。その相手が他人なのか、過去の自分なのか、ある一定の水準なのかは人それぞれだったり、力の種類によっても変わってくると思う。

 私の行動指針である「無理をしない」というのはつらくない程度に努力をし続けるということであるが、そこから転じてこのようにとることが出来る。それは持続可能性を考えて行動することである。私がnoteをしようとしなかったのはここにある。時間は有限で24時間周期、かつ7日間周期で同じサイクルを繰り返すことが多い。その限られた時間の中で、私は継続的にnoteを投稿し続けることが無理だと判断した。毎日のチーム練習、大学の課題、土日の48時間の予定や経験的な時間の余り、すべてを考慮した結果である。

気持ちの変化・・・?

 でも私は今このようにnoteの文章をつらつらとMicrosoft Word 2010に書き込んでいる。私は人生を持続可能性だけを考えて行動するようじゃ面白くないからと思ったからである。これは私の行動指針「無理をしない」の全面的な否定ではなく、部分的な否定である。私は今、持続可能性がないことをしているが全くつらくはない。それはparaoさん、あおたろー.さんのnoteから得た感情の揺らぎであろう。2人の投稿は私にnoteを投稿してみたいと思わせるには充分であった。

 私が苦手な自分の気持ちを伝えるということを無視し、持続可能性への部分否定を見出した。そもそも持続可能性に関してはこの分野で結果を残そうと思うものに関しての話で、私がnoteに力の差を求めようとしたこと自体が間違っていたのである。本当に好きだからやる。それでつらくないんだからいいんだ。

最後に

 この先、周期的にnoteの投稿をするかどうかはわからないが、気が向いたら程度に、否、「無理をしない」程度に投稿しようと思う。

 努力をし続ける話は誰だってわかっていることだと思う。それを長い文章で書いてしまい本当にこの文章は駄文であると思う。ここまで読んでくれた人には本当に感謝しかない。この場を借りて感謝を伝えます。

ありがとう。

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