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流行るWebサービスに共通する3つの心理的ポイント

今日もWebサービスの話をしよう。

私たちは毎日Webサービスを利用している。Google・Facebook・Amazon・YouTube・Instagram・ZOZOTOWNなどなど。私たちはここで情報を得たり、物を買ったり、楽しいひと時を過ごしたりしている。この記事を読んでくれている皆さまはいままさにnoteを使っているはずだ。

そんな私たちの生活をより便利にしてくれるWebサービスは、世界中に数限りなく存在している。だからこそ私たちはより良いサービスを求め、幾度も出会いと別れを繰り返す。あんなに毎日開くのを楽しみにしていたmixiもいまや記憶の彼方だ。

そこで疑問が浮かんでくる。なぜ無数のWebサービスの中で、使われ続けるものと、そうでないものが存在するのだろうか?

良質なデザインや、ニーズを満たす機能群などはその回答になるだろうか?きっとそれは十分とは言えない。問題の本質は「なぜニーズを満たされるとそのサービスを使いたくなるのか」にあるからだ。その理由の一端を、サービスと心理学の観点から解明してみたいと思う。

あなたはひとりになるとき「欲求」に従う。

Webサービスを使うとき、往々にしてあなたはひとりだ。いかにSNSで遠く離れた友人とつながっているとしても、いまあなたのスマホ画面を覗いているのはあなたしかいない。これは驚くべき事実である。誰かと一緒に同じ画面を眺めるサービスは議事録のためのGoogle Docsか、家族で見るNetflixくらいのものである。それほど複数人で使われるWebサービスは少ない。

つまり、あなたがそのサービスをどんな風に使おうが誰も口出しをしないということだ。あなたはスマホの画面に向き合うとき、どこまでもわがままになれる。あなたはその無機質な液晶のパネルに心を開き、どこまでも素直になる。社会の目も、自分を押さえ込む理性も気にしなくて良い。あなたがWebサービスを使うとき、無意識に一匹の生物に戻っているのだ。そんなとき利用者は「ある欲求」に従い始める。

POINT1:マズローの5段階欲求

下のピラミッド型の図を目にしたことはあるだろう。これはマズローの「欲求5段階説」と呼ばれるもので、人間が産まれながら持つ欲求を5つのレイヤーに分類したものである。

1-5番の優先順に並んだ欲求は、低いものから順番に現れ、その欲求がある程度満たされると、次の欲求が現れます。
出典:マズローの欲求5段階説をこの上なく丁寧に解説する

詳しくは上記のサイトをご覧いただくとして、ここでは「欠乏欲求」部分の欲求は人々の心を捉えやすいということを押さえておこう。

例えばFacebookは下から3つ目の「所属と愛の欲求」を満たしてくれるサービスと言える。家にひとりぼっちだった私たちの生活は、Facebookのおかげでいつでも所属感を得られるようになった。さらに「いいね!」という機能は下から4つ目の「承認欲求」を満たしてくれる。(ちなみにいまは5種類ある「いいね!」スタンプだが、数年前までは1種類のシンプルな「いいね!」しかなかった。A/Bテストで「よくないね」を実験していた時期もあったが、実装されなかったところを見ると結果は芳しくなかったのだろう。それも当然だ。承認欲求を損なう機能はつけても意味がないのである)

さらに「承認欲求」に言及するならば、Instagramはその際たる例だろう。インスタ映えという用語がそれを象徴しているように、ユーザーはこのサービスの中に他者からの承認を求めたのだ。一方、同じSNSサービスでもビジネスマン向けのyentaは、欠乏欲求より高次に位置する「自己実現の欲求」を基底としているため、これら2つのアプリほど流行ってはいない。ここで重要なのは、成功を左右するのは女子高生 or ビジネスマンといったターゲット設定ではなく、拠り所とする「欲求」の設定にあるということだ。(もしビジネスマン向けの「承認欲求」充足サービスが生まれればかなり普及するはずだ。)

ほかにも見てみよう。Amazonは下から1つ目の「生理的欲求」を土台としている。生命の維持と銘打ってはいるものの、この欲求は現代社会においてはより拡張された概念として機能している。つまりは食事や飲料、趣味に関わる用品をより手軽に手に入れたい欲求と捉えて良いのだ。「私モフモフのクッションがないと死んじゃう」といったジョークはあながち間違っていないというわけだ。

さて。もしあなたが流行るサービスを作りたいとすれば、この土台4段階のうち必ずどれか1つを盛り込む必要がある。だが決してサービスのテーマがそうあるべきというわけではない。Instagramも元をただせば、ただデザインの良い、可愛く映るフィルター付きの写真アプリだ。これだけではyentaと同じく「自己実現の欲求」を満たしているに過ぎない。このアプリが一世を風靡した理由は、そこにハートがたくさん集まる仕組みを取り入れたことだ。そのために彼らは広告に厳格なレギュレーションを設け、ブランドに徹底的にこだわり抜いた。これは細かいことに見えるかもしれないが、本当に重要なことなのだ。

POINT2:隣人よりも優れていると思いたい

次にあげるのは隣人よりも優れていると思いたいという心理である。
心理学でよく取り上げられる面白い研究がある。

アメリカの高校生を対象にして、各自のリーダーシップ能力を評価させたところ、70%が「自分は平均以上」と答え、「平均以下」と答えたものは2%しかいなかったという。私たちは、自己評価にあたっては非常に好意的な過大評価を行う傾向があるといえる。
出典:自己の人気度とプレゼンテーション能力に対する過小評価について

平均点は文字どおり平均なのだから、50%の人間は必ず平均以下になるのだが(中央値の議論を抜きにしよう)、実際にそれを認めたがる人間は驚くほど少ない。裏を返せば、誰しもが自分は優れていると思いたいのだ。

マズローの欲求説に照らし合わせれば、劣っている=勝ち残れない=生命の危機(生理的欲求)と捉えることもできるし、優れている=人に認められたい(承認欲求)と捉えることもできるが、いずれにしても、人々にとって大事なのは、客観的な評価(真実)ではなく、主観的な希望であるということだ。

この心理はゲーム業界でよく使われている。いわゆるガチャ商法である。
確率的には0.2%(1000人に2人)しかSSRが当たらないと分かっていても「私なら引ける、推しのアイドルを引いてみせる!」という主観的な希望をもとにお金をつぎ込んでしまうのである。この心理の面白さは、別に誰かに自慢したいとかそういった社会性に訴えていないところである。目当てのイケメンやアイドルが自分のところに舞い込んでくる(=自分を選んでくれる)というある種の選民思想が彼ら彼女らを突き動かすのだ。

この思想を延長させると「あなただけの」というキーワードも浮かび上がってくる。YouTubeのリコメンドやGunosyの最適化によって実現されるそれは「他の人はきっとこんなに便利に使ってない。だって私だけがこんなに便利に使っているのだから!」という具合に機能する。これも主観的な選民思想を満たしていると言えるのだ。(Gunosyはある時期からこの最適化を放棄し、よりポピュラー路線をたどり始めた。これはこれで「所属欲求」を満たしているため悪くない判断だと言えよう。個人的には残念に感じているが)

POINT3:主観的なお得を感じたい

同じく主観的というトピックでは行動経済学にも有名な実験がある。

10万円のものを1万円まけてもらって得をした場合と、10万円で買ったものが近くの店で9万円で売っていることが分かり、1万円損をした気分になるのとでは、多くの人は、前者の得した気分より、後者の損をした気分のほうが強く感じるだろうし、後々まで尾をひく。心理学の実験では、損のインパクトは得のインパクトの2.25倍だそうだ。
引用:「損の影響は得の約2倍」、経済心理学のススメ

この実験は「1万円得」と「1万円損」はプラスマイナスゼロなのだから論理的には何もなかった状態と同じはずなのに、多くの人は「損をした」と感じるという心理を明らかにした。つまり人々は「得をしたのは○○円だから嬉しい」ではなく「得をした気がするから嬉しい」と感じるというのだ。

この手法は現実社会でも多く使われている。ポイントカードはわかりやすい例だろう、20回ランチを食べると1回タダになるアレである。仮に1000円のランチだとすると、論理的には5%OFFと同義なので900円で提供されている隣の定食屋の方がお得なのだが、ついついポイントに釣られて通ってしまう。1回タダで食べられるという主観的な「お得感」が勝るのである。(ここには「あとちょっとでポイントが貯まる」というワクワク感も含まれているため、より正常な判断ができなくなるからくりも潜んでいる)

この「主観的お得感」にはいろいろなバリエーションがある。「隣の誰かよりも得をした」「いつもより得をした」「思っていたよりも得をした」。そんな類のものだ。

一世を風靡したグルーポンはまさにこの手法を利用した。いろいろな商品がなんといまだけ90%OFFで手に入るのだ!人々は「お得感」に惹きつけられ、多くの取引がなされた。だがその商品は本当にあなたが欲しいものだっただろうか?普段見向きもしない足つぼマッサージや、高級おせちなど、落ち着いて考えれば必要なかったものである。ベネフィットを感じてお金を払ったのではなく、人々はお得感を得るためにお金を払ってしまったのだ。

またAmazonの「参考価格」もこの心理を巧みに利用している。適正価格がいくらかは知らないが「いつもより得をした」感が得られるというわけだ。(店頭に行ったら実は同じ価格だったというのもよく聞く話だ)
楽天やYahoo! JAPANがポイントにこだわるのもこの心理をよく突いている。ポイントには2つの効果がある。また来てもらうための足かせの効果と、客観的な金額をわからないようにするという効果である。ポイントを円に換算し、家計簿をきちんとつけてみると、そんなに得をしていないことがわかるだろう。でもそれは重要なことではない。繰り返しになるが「お得に感じられたかどうか」が大事なのだ。

旅行比較サイトもこの心理を利用したサービスと言える。トリバゴが安い価格を提示できるのは、使われる予定のない旅客機の空席や宿の空室を提供するからであり、見方によっては処分品に値札をつけて売っているだけとも言えるのだが、多くの人々にとってそれは「お得な買い物」なわけだ。(選択の自由を差し出す代わりに、宿を安く手に入れるというトレードオフがなされている)

まとめ:最強のWebサービスとは?

さて。支持されるWebサービスにはいろいろな欲求を満たしたり、特定の心理を突く仕組みが備わっていることを見てきた。あなたがよく使うWebサービスにはどれくらいが含まれているだろうか。

この視点の面白いところは、ちょっとしたことでこの欲求を満たしたり、また満たせなくなったりすることがあるということだ。冒頭に挙げたmixiはその良い例だろう。「あしあと機能」の撤廃がそれにあたる。あの機能はまさに「集団と愛の欲求」を体現した素晴らしい発明であったにもかかわらず、そんな天啓とも言える機能がある日突然使えなくなったのだ。悲しみにくれたのは私だけではなかったはずだ。まるで愛する人を失った悲劇のヒーローのように、私たちは申し合わせてもいないのに、次第にオレンジ色のコミュニティーから青いアメリカ製の新天地に歩みだした。こんな些細なことでWebサービスの隆盛は左右されるのである。(しばらくしてこの機能は復活したが、失うことが得られることよりも大きく心理に影響するのは前述の通りである)

では最後に、最強のWebサービスとはどんなものか考えてみよう。
それはきっと「何かを投稿すれば承認」され、そして「自分のなりたい姿」を見せてくれる。「所属感」が感じられ、「お得感」が得られる。さらに「自分だけが優れていると思える」サービスだ。

もしかしたら白雪姫の魔法の鏡が最強のサービスなのかもしれない。
こんなサービスを作ることができればヒット間違いなしだろう。だがどんなにヒットしているサービスでも、全部の要素を盛り込んでいることはまずない。よくあるサービスに思えても、一振りの塩としてこれらをトッピングするだけでぐっと味がよくなる

Webの広野には、まだまだ無限の可能性がひらかれている。完璧なWebサービスといったものは存在しない。完璧な欲求が存在しないように。だからこそ私たちWeb業界の人間が存在する意味があるのだ。

それでは。
今日もお仕事頑張りましょう!

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