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歩き煙草が嫌いな理由【たばこ嫌い】

わたしは小学生の頃
登下校のときに道端に落ちている煙草の吸い殻を手当り次第拾い集めていたくらいには
煙草というその存在自体が嫌いだ。

何故かって

それは非常に長くなり過ぎて日が暮れてしまうので割愛しよう。

歩き煙草をしている人は
火の付いた煙草を手に持ったままブラブラと歩く。

その手に持った煙草の位置というのは
大体小さい子供の顔の高さだ。

そして小さい子供がその手に持った煙草のすぐ横を歩いていても気にもとめない。

まず、その精神が嫌いだ。

副流煙は肺に悪い。
それはもう学校教育で嫌と言うほど習わされた常識である。
喫煙者本人が吸い込む煙よりもずっとだ。

何故、好き好んで煙草の煙を肺に入れている人よりも、その人のせいで吸いたくもない副流煙を吸わされる羽目になっている周りの人たちの方が健康被害に合わねばならんのだ。

誰なんだ、煙草が合法だと決めたやつは。


そんな副流煙を育ち盛りの子供に晒す
その精神。心の底から嫌いだ。

子供は宝である。
人類の宝である。
そのことを1度頭に叩き込んでほしい。

そして吸いかけの煙草には火が付いている。
勿論そのまま捨てれば火事になるのだ。

原因不明の火事や小火の殆どが
火が消えたかどうか確認もせずにそこら辺にポイ捨てした喫煙者のせいだとわたしは思っている。

これは少々わたしの偏見に溢れすぎているが
煙草をポイ捨てする人は皆犯罪者に見えてしまう。
わたしの目はそういう目になってしまっているのだ。かたじけない。

火事も駄目だが
それ以前にポイ捨てがまず駄目だ。
怒り心頭だ。まったく。

"煙草一本火事の元"

そんな煙草を
子供の顔の高さに晒して平気で歩いていること自体が有り得ないのだ。
子供とすれ違いざまに子供に煙草の火が付いてしまったら、そして火傷になってしまったとしたら、、

そこまで考えて行動する脳みそを持ち合わせていないのだ。
そうだ、己が煙草さえ吸えれば良いのだろう。
自己中心的極まりねえなおい。

何ということだ。まったく。

だからわたしは今日も
歩き煙草をする人が嫌いだ。

いただいたサポートは楽曲制作の為に使用したり思い出のモノへと変換し、素敵な思い出をたくさん作っていきたい所存です( ˘ω˘ )♡