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(読書)「ファスト教養」レジー著

前回、「映画を早送りで観る人たち」を紹介したが、今回はエンタメではなく教養のファスト化である。エンタメだけじゃなく、学びにおいても即席、短時間での効率を求める動きがあることを指摘する本書。そこで指摘されていることには、エンタメのファスト化と重なる部分もあるし、教養において顕著な特徴もあった。

まず、エンタメのファスト化と同様に指摘されていたのはタイムパフォーマンス、時間対効果の圧力だ。取引先で相手に合わせる話術のための教養といった超近視眼的な動機で教養を求める立場もあれば、そこまで軽薄ではなくとも、最近よく言われるVUCA(変動、不安定、複雑、あいまい)な世の中に適応することを迫られた私たちは、のんびりしていたら環境の変化に追いつかずつぶされてしまうかもしれないし、環境の変化が緩やかだったとしても、他人との競争を強いられていればやはりのんびりしてはいられない。最近でいえば他人だけでなく、単純作業や論理的思考で人間をぶっちぎるAIともパイを取り合わないといけなくなっている。そうなればやはり早く手短に最先端の役立つ情報を欲してしまうのもやむなしか。また、かつて教養は「知らないこと」から生まれる精神的な不自由から脱せられる手段として求められてきたが、今はその不自由とは金銭面の不自由(いわば手元不如意)の脱出に置き換わっている。そう本書では指摘している。著者はそうした現在の教養に向けられたニーズを頭ごなしに否定するわけではなく、現状に照らして致し方ない部分を認めつつ、そうした近視眼的な教養へのニーズを否定ではなく超えていくための考えとして、自分にとっての成長とは何かを再考することを促している。

 前回紹介した「映画を早送り…」でも、特定のコンテンツに対する深い理解を備えたヲタクへの羨望について言及があったが、本書で求められる教養もまた、その場の流行りに合わせるためのダイジェスト的な知識ではなく、流行りに流されずに自らが関心をもったことを掘り下げていった先にあるものと考えられている。「時間の無駄になりそうな部分を削ぎ落したスリム化した教養」をむさぼるのではなく、「無駄かどうかによらず関心をもった事を掘り下げ、むしろそれを無駄にならないよう活かしていく」思考が必要なのだろう。周りに合わせるためにあくせく効率重視で知っていく他者準拠の価値判断ではなく、直感でもいいので自分の価値観(山口周さんの言葉でいえば美意識)に準拠した価値判断で知識を積んでいくことが望まれる。

 基本的には前回紹介した「映画を早送り…」とも重なりつつ、次回紹介する「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか」にもつながる内容で、ファスト教養を求める人々の根底にある心理と課題を分かりやすく示した良書だった。中ほどの章でファスト教養の戦犯を挙げ連ねていくところは冗長で退屈だと思ったが、それは私もまた、ファスト教養にとらわれているからか(しかし、これはなんかちょっとずるい論理な気もするぞ)。



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