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偏見の中で生きているんだなって話。


偏見の中で生きているのだ。

これは最近とても実感すること

あまりSNSをやっていない友人と閑談の中で、共通の友人の話になった

その共通の友人は子どもがいて、SNSで子どもの写真をよくあげている。

「○○のとこの子ども見た?可愛いよね」

と何気なく話を振るとその友人は「可愛いね」と言ったがその後少し躊躇いながら話してくれた。

「…このさ〜、自分の子どもをSNSにあげるってどう思う?いやまあ普通なんだろうけどさ、」

子どもの立場になってみてさ、
何年か後、何十年か後、その挙げられた写真を見てどう思うのかなって最近考えてさ、
もし私がその子どもだったらええ、嫌だな、って思うなって…

「全然否定する訳じゃないんだけどさ。ていうかこんなこと考えてる時点で結婚とか向かないって感じするよね〜」

とその友人は笑った

実際そんなに深い話にはならずただの笑い話のひとつでそのときは終わったのだけれど、そういう考えもあるなと印象に残っている


久しぶりに会った親戚と時事的な話をした
その中には今現在行われている戦争についての話もあった

細くは書かないが、
その親戚は、絶対的な悪とされているけれど色々な情報があって実は悪は悪ではなくて光のような存在なのだ、(というような感じ)と割と断定的な口振りで言っていた

それを両親にあーでこーでこんな話をされたんだよね、と言うと2人ともうーんと唸りながら、

「どう思うのかはその人の自由だと思うけどその話し方は良くないよね。
私はこう思うんだけどね、くらいに留めて置かないと。」 


それこそ、そんな情報ってどこまでが本当でどこまでが嘘かなんて分からないんだから
世間的にはこうでも私はこう思うっていうのはあってもいいけど、
一方の情報だけを鵜呑みにするのは良くないし、
ましてやその考えを強要するのはまずいよね、 

と言っていた。

一方では悪でも、一方では正義になる

どの方向から、どの立場で、どの場面を見るかで全てはガラリと変わるのだ


そんなことを考えている今日この頃。

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