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心技体の「体」の価値について。わたしが自分のことを「スキルコーチ」とは自称しない理由など。

まえがき


フィジカルについての話をしよう。

いきなりだが余談から。

わたしは、記憶が正しければ「スキルコーチ」と自称したことがない。もし記憶違いだったとしても、今現在自分のことをスキルコーチと言うことはない。

私は「バスケコーチ」だ。

発信(という名の盛大な独り言)を始めて以来、「Basketball Coach Ryota」というツイッター名を変えたことはない。おそらくSkill Coachの方が響きはよいのだけれど、どうしてもそうする気にはなれない。

これは単語ひとつの違いかもしれない。言葉遊びでしかないどうでもいい話かもしれない。

それでも自称の仕方にこだわるのには理由がある。


「バスケコーチ」の目的


私はバスケコーチだ。

バスケコーチの目的はシンプルで、教えた相手がバスケットボールの試合に勝てる確率を少しでも高めることだ。

バスケの試合に勝つためには何をすればいいだろうか?

努力の軸は「心技体」だ。

古くから存在している3文字だが、スポーツに必要なことを綺麗に3要素に分けることに成功している。

言い換えれば「メンタル・スキル・フィジカル」だろうか。

どれも必要なものだ。

やる気がなければそもそもバスケを始めることもないだろうし、技術がなければルール違反祭りで得点は夢のまた夢、身体が弱ければ1試合走ることすらできやしない。

多少の例外はあれど、NBA選手をはじめとしたトッププレイヤーたちは一般的なファンと比べて心技体が極めて高い水準にあるはずだ。

そう、バスケに勝つためにはスキルだけでは不十分なのだ。メンタルとフィジカルを含めて総合的に向上させていくことで初めて競技力が高い選手と言える。

バスケに勝てる状態を作っている役割を担いたい私は、やはり「スキル(だけを教える)コーチ」ではない。

正確には「スキルコーチの成分は間違いなくあるが、スキルを教えておしまいというのは効果的でない指導になってしまう」と思っている。

さて、ここで本旨に入ろう。

私はスキル・メンタルよりもフィジカルの方が重要だと思っている。


「体」の価値の大きさについて


心技体には優先順位が存在する。

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