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コーチの「なんもしないをする」が子どもを主体化するキーになる。感情を揺り動かす体験のつくり方。

「なんもしないをするコーチ」と「子どもの主体化」の密接なつながりについて。


先日も近い内容の記事を書いたのだが、改めて重要な内容だと思うので再度書いていこうと思う。


主体性とは「自分がやりたいからやるという認識」を指すし、主体化ならば「自分からやりたいからやるという認識を持たせる」ということになる。

言い換えれば主体化とは「やらされている状態からの脱却」だ。

子どもたちのスポーツにおいて、主体化を図る際にコーチに欠かせない能力が「なんもしない力」だと私は考えている。

今回はこのテーマについて書いていきたい。


子どもの指導をする初心者コーチからよくある相談がある。

「何から教えるべきかわからなくて困っているのですが、どうすればよいでしょうか?」

というものだ。

この問いに対して技術論の観点から回答するならば「基本を教えましょう」だったり「試合をやってわかりやすく課題として見えた内容を教えましょう」などの回答になる。

指導対象の年齢やレベルによるので当然一概には言えないが、少なくともある程度の自分の指導論を持っておくのは重要なことだろう。

ただ、今回は技術論ではない別の視点でこの質問の"背景"を見ていきたい。


この質問者の中にはおそらくこんな考えがあるのではないだろうか?

「指導者だから、何らかの指導をしなくてはならない。」

この考えは非常に危うい。

手段の目的化をしてしまっているからだ。
指導者の存在する意義とは、子どもの成長にある。

子どもの成長という目的をクリアするための手段として「指導する」というカードがあるだけだ。

指導者はあらゆる立ち振る舞いを成長のためのカードにすることができる。

というか、嫌でもあらゆる立ち振る舞いは子どもたちに見られており、強制的にカードをその瞬間ごとに選択せざるを得ない立場にあると言える。

そして、場面ごとにカードには正解不正解がある。

ジャンケンと同じで、相手がグーならばパーのカード。相手がチョキならばグーのカードを選択しなければならない。

教えるべき状況の時に教える(相手がグーの時にパーを出す)のが正解で、これは子どもたちの成長を生む。

一方で、教えるべきでない状況の時に教える(相手がチョキの時にパーを出す)のは不正解となり、子どもたちの成長を阻害したり、主体性を失わせてしまうことになる。

タイトルから主張している通り「なんもしない」すなわち「教えずに見守り、任せる。」というカードを切ることで、子どもたちを主体化することができる

私は「なんもしない」というカードをクリニックのゲームでよく使う。

具体的にはこうだ。

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