秋山選手、日本球界復帰!彼の入団の決め手は「人」だった!

皆さん、こんにちは。

合同会社EGUSの星田憲佑です。

今日は、メジャーリーグ挑戦から3シーズンぶりに日本プロ野球界に復帰した、元埼玉西武ライオンズ、元広島東洋カープの秋山翔吾選手についてです。

■稀代のヒットメーカー、秋山選手!
秋山翔吾選手は、“ハンカチ王子”で一躍名をはせた斎藤佑樹投手と同い年、田中将大党首や前田健太投手など、球界最高レベルのプレイヤーを多く輩出している88年世代の選手です。

そんな秋山選手、メジャーリーグに挑戦するまでは、日本屈指のヒットメーカーとして大活躍。毎年当たり前のように打率3割を記録、最多安打のタイトルは、彼の定位置でした。

2015年には、日本記録となる1シーズン216安打を記録するなど、歴史にも名を刻む選手です。

■予想外!?秋山選手の移籍先は広島に!
そんな秋山選手は今年、メジャーリーグの下部組織3Aリーグに所属していましたが、メジャーリーグからお呼びがかからなかったことから、日本プロ野球界への復帰を決断。

獲得に向けて動いたのは古巣の西武ライオンズに、金満球団福岡ソフトバンクホークス、そして、他球団からの獲得選手が少ない広島東洋カープでした。

この3球団による秋山選手獲得合戦は、広島が圧倒的不利だと思われていました。

しかし秋山選手が入団を決めたのは広島。

本気で秋山選手のことを思い、必要としてくれた球団と、日本代表でともにプレーした選手たちからのメッセージが、秋山選手の心を動かしたんだそうです。

■勝負すべきは熱い想い!!
見事秋山選手を獲得した広島球団からは、多くのことを学べます。

それは何より、「これから先の時代、『想い』によって人を動かしていくんだ」ということです。

科学が発達したおかげで、今や誰でも簡単に、同じような品質の製品を作れるようになりました。

そのため、昔は、製品の品質や、完璧な仕組みを築き上げることで、他の会社や他人と差別化し、生き残ることが可能だった企業や個人が、今や製品や仕組みで差別化することは、すっかり難しくなってしまいました。

となると、個人間や企業間で違いを生む唯一の要素は『人』。目の前の相手にどこまで全力でぶつかり、いかに目の前の相手を大切にできるか、それがすべてということになります。

僕も自分の『想い』を大切に、いい仕事を続けていきます。

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