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ひかりの歌

日常が愛おしくなる作品のにおいがして、『PATERSON』と同じ映画館に観に行った。
役者さんの発音が印象的な映画だった。

女の子たちのしゃべりかたが、とろんとしている、みんなに聞かせようとしてるんじゃなくていまそこにいる相手にだけ話しかけているような発音で、まずそれにいいなあと思った。

対して男の人、特に1章の野球部のゆうやと4章のかっちゃんは、ごろんとしていてぶっきらぼうで、地面に落とすような言葉の出しかたで、それもいいなあと思った。

4章それぞれ、気持ちの擦り合わなさを描いているように感じたけど、それがもっとも色濃かった2章がいちばんこびりついている。
ガソリンスタンドで働く女の子が、告白されて始まり、告白されて終わる話。同じ気持ちを向けられて同じく結ばれない展開なのに、相手との関係性によってこんなにも揺れ幅がことなることを、あたりまえなんだけれど、喉が乾くほどひりひり表現していた。

2度目に告白された後、走って走って自販機の灯りしかない場所まで来てしまうシーンがある。私は迷うことが多いから、こういう場面を見るといつもぎゅっとなってしまうことに気づいた。
彼女がひとりで「ごめんなさい」と声を上げたことが最初ストーリーとうまく結び付けられなかったけれど、
いま回想してみると、自分の好きな人に対しては気持ちを伝えずひねりつぶしていたことを、告白されることで他者から浮き彫りにされたからじゃないかとじんわり思えている。

上映後、監督の杉田協士さんと、観るきっかけをくれたトナカイさんとがトークショーに出てくれた。

私はあまり説明のない映像に慣れていないから、トナカイさんが「ここが好きなんです、あれはこう感じました」と話してくれるのがすごくよかった。
3章のヒロさんが人との距離を誠実に少しずつ縮められる人だなんて、ひとりで初見だとたぶん気づけない。

杉田監督のお話も、今後映画を観て「どう受け取ったらいいかわからない」となったとき、都度思い出したいと感じた。

「どれだけ親しい人とでも私たちは完璧にわかりあうことはできなくて、たとえば死に別れたときに、あのときどういう気持ちだったんだろう、と謎が残る。
映画でだけ、そうじゃない状態にしたくなかったんです。映画でも、人の気持ちをわかりやすく説明しない、相手の知らない部分やわからないところを残しておきたい」

確かこのようなことだったと思う。どう受け取ったらいいかわからないのは、映画に限ったことではなくて、目の前の現実に対してもそうだった。忘れていた。

パンフレットにサインをしてもらうとき、かっちゃん役の松本勝さんが劇中と同じく関西弁だったことにほっこりした。

地上に戻るエレベーターで、乗り合わせた人が3人くらい開ボタンを押して一瞬誰も降りなかったことが、この映画の優しさをあらわしているなあと 嬉しくなりながら帰った。

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