首里城が燃え落ちて

象徴とはこういうもののことを言うんだな、と初めて実感した。

朝起きたらすべて燃え落ちたあとで、まさか戦争と自然災害以外で、つまりなんの前触れもなく失われるとは、考えたこともなかった。

首里に住む友人は相当にショックを受けていた。たまたま東京の私の家に泊まりに来ていたその子は、親からの電話で先に起きていた。石塀のおかげか近隣にはあまり燃え広がらなかったこと、その甲斐あって死傷者は出ていないこと、けれど木造建築の城はほぼ壊滅状態だということを教えてくれた。

私は首里城のことをほとんど何も知らない。小学生の頃に社会科見学で一度行ったきりだ。写真も撮っていないし、解説もされたのだろうけど記憶にない。
それなのに仕事から帰ってひとりになったその日の夜、どうしてこんなに涙が出るのかわからなかった。

きっと、ものが燃える姿はそれだけでショッキングであることに加えて、
沖縄戦で燃やされたのを思い出すであろう人たち、戦後に何十年もかけて再建に奮闘した職人たちを、想像してしまうからだ。
そして、昨日まで当たり前にあったものが一夜にして失われることを受けて、打ちのめされているのだ。

私の生活や心身には何の影響もない。それでも確かに、損なわれる感覚があった。できることは那覇市が即座に開設した口座に募金することだけだった。代表者の名前がいかにも県民らしくて、その勇ましい響きに少しだけ励まされた。
こういうとき、離れたところから微力でも何かした気になれるから、多少なりとも金があって本当によかったと思う。

その後は、ひたすらに原因究明を待った。

自然発火であってほしい、白状すると、悪くても煙草の不始末などであってほしいとすら願った。
誰かの故意による放火でなければ、一部の人が盛り上がるような展開にならなければ、もうなんでもよかった。

まだ確実ではないけれど、おそらく電気系統の異常ではないかというのが、現時点での見立てだそうだ。

何度も燃えてきた首里城は、何十年かかろうともまた朱く塗り直されて建つはずだ。そう願うことしかできない。
いつかのその日、今度こそきちんと見に行こうと思う。それまでずっと待つ。

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